鷹城先生の特別授業

波木真帆

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先生、教えて  <前編>

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私は鷹城たかじょう右京うきょう、31歳。
都内に病院を構える開業医だ。
午前の診察を終え、院長室でしばしの休憩をとっていると、突然スマホに着信があった。

三枝さえぐさ先生、どうかされましたか?

ー君に少し頼みがあってね、連絡したんだ。

ー私に頼み、ですか?

三枝先生が私に頼みだなんて珍しい。
よほど困っておられるのか。

ー君の病院の休診日は水曜日だっただろう?

ーはい。そうですね。

ー来週の水曜日は予定は空いているか?

ー来週……特に予定は入ってませんが、それが何か?

ーいや実は――――

そうして三枝先生は詳しく説明を始めた。

三枝先生の経営する病院は、都内屈指の偏差値を誇る私立の中高一貫の男子校から委託を受けて三枝先生のご両親の代から数十年学校医を任されている。
ところが、今年の担当の先生が急病で入院が必要になり、他の先生たちで毎日交代で学校医として出勤しているようなのだが、来週の水曜日だけは誰も都合が悪いという。
そこで私に白羽の矢が立ったというわけだ。

ーどうだろう? 引き受けてくれないだろうか?

ーいいですよ。いつもお世話になっている三枝先生直々の頼みなら断るわけにはいきませんから。それにその高校は母校ですからね。私もいい恩返しになりますよ。

ーああー、ありがとうっ!! 助かるよ!! 本当に困っていたんだ。

安堵のため息が漏れ聞こえて、本当に困っていたんだと理解する。
まぁ、こんな機会でもなければ母校に行くこともないからな。
良かったのかもしれない。

学校医なら特別忙しいこともないだろうし、男子校なら女子生徒に騒がれなくて済む。

自分でいうのもなんだが、私はかなりモテる。
開業医で高身長で顔もモデル並みだと言われているから、当然だろう。
だが正直言って、女性には興味がない。
かといって男性に興味があるわけでもない。
言うなれば、誰にも興味がないのだ。

もちろん、医師として治療には最善を尽くすが決してその人に興味を持つことはない。

ーじゃあ、学校には君が行くことで話を通しておくから、来週の水曜日、朝8時に学校に行ってくれたらいい。必要なものは揃っているから持ってくるものはお弁当くらいでいいよ。

ーわかりました。

そう言って電話を切った。

久しぶりの母校か。
あの学校は変わらないだろうな。

  *   *   *

そうして、迎えた当日。

車で学校に向かい、指定された駐車場に車を止めると遠巻きに視線を感じる。

気にしても意味はない。
女性の甲高い声で騒がれるよりは、見られるだけの方が楽でいい。

慣れ親しんだ校舎に入り、事務局に向かうと三枝先生の話がしっかりと通っていたようで大歓迎で迎え入れられた。

鷹城たかじょう先生ですね。この度はお引き受けいただきありがとうございます」

「いえ、こちらこそ本日一日だけですが、しっかりと務めさせていただきます」

挨拶が終わるとにこやかな笑顔を向けられながら、クリーニング済みの学校医専用の白衣と学校医という名札を手渡され保健室に案内された。

まぁ、案内されなくても場所はわかるが、説明は受けなければいけないからな。

「このファイルに、保健室に来た生徒の名前と要件、処置の内容の記載をお願いします。部屋のものは自由に使っていただいて構いません。お食事は……」

「ああ。お弁当を持ってきたので大丈夫です」

「そうですか、他に何かご質問はございますか?」

「いえ。問題ありません」

「そうですか。何か困ったことがありましたら、いつでもお呼びください」

そういって事務局の人は保健室を出て行った。

さっと白衣を羽織り、渡されたファイルに目を通す。

保健室に通うような学生はいないようだな。

怪我や体調不良で毎日数人訪れてはいるが、教室に入れないような子はいないみたいだ。


午前中に保健室を訪れたのは三人。
いずれも高校三年生で突き指や擦り傷の症状。
聞けば高校三年は屋内のバスケと屋外のサッカーに分かれて球技大会をしているらしい。
昼休みを挟んで一日中やるそうだから、午後は少し増えるかもしれないなと思いながら、湿布や消毒液の補充をしておいた。

そうして、もうすぐ昼休みに差し掛かろうとするその時、友人に付き添われながら苦悶の表情を浮かべた生徒が保健室にやってきた。

「すみません、先生。幸翔ゆきと、足を挫いたみたいで……」

身長差が20cmはあるだろう。
思いっきり腕を伸ばし、片足に重心をかけながら歩いてくる。
そんなことをしては挫いた足だけでなく、もう片方も痛めてしまう。

私は急いで扉に向かい、怪我をした彼を抱きかかえた。

「えっ?」
「わっ!」

驚く二人に、

「あの椅子に座らせるだけだから心配しないでいい」

と言って、彼をそっと診察用の椅子に座らせる。

「あ、あの……いつもの先生は……?」

「ああ、今日は臨時で私が請け負っているんだ」

事務局から白衣と共に受け取った名札を見せると、安心したように笑顔を見せた。
まぁ、見慣れない者が保健室にいれば驚くのも無理はない。

「悪い、幸翔。俺、この後先生に呼ばれているから」

「うん。連れてきてくれてありがとう」

付き添いの生徒が扉を閉めて出ていくのを確認して、私は彼に幾つかの質問をした。

「えっと、クラスと名前を教えてくれるかな?」

「はい。三年十組の音羽おとわ幸翔ゆきとです」

「えっ? 十組って……もしかして高校生?」

この学校は中学生までは七クラスしかなく、高校になると進路別に十組に分かれる。
ちなみに十組は最難関国立コース。
言うなればこのクラス全員が桜城大学を希望する生徒たちということだ。

「はい。そうですけど……なにか?」

きょとんとした顔で見られて慌てて誤魔化す。

「あ、いや。なんでもない」

童顔だし、身長もおそらく160を超えるかどうか。
てっきり中学生だと思っていたが、そうか。
じゃあ一緒に来た子はクラスメイトなんだろうな。

「それで今日はどうしたのかな?」

「あの、バスケで着地の時に人とぶつかってしまって、右の足首が痛くて……」

「なるほど」

ファイルに記載してから、

「じゃあ、ちょっと診察してみよう。骨が折れていたら、すぐに病院に連れていくからね」

と言いながら、彼の右足をそっと持ち上げて足置きに置いた。

「靴と靴下を脱がせるよ」

「あっ、自分で……」

「無理すると余計に痛みが増すから私に任せて」

そう言って、彼の小さな靴を脱がせる。
少し汗ばんだ靴下を脱がせるが、汗臭いどころかいい匂いしかしない。

今まで感じたこともない感情に自分でも驚きつつ、腫れ上がった足首に意識を持っていった。

「ああ、これはまたひどく捻ったね。ここまで来られたのが不思議なくらいだよ。ちょっと痛いかもしれないが、骨折か捻挫かを調べるからね。痛い時は遠慮なく声をあげていいよ」

「は、はい」

彼の声が恐怖に怯えているが、これをしないまま治療するわけにはいかないからな。

痛みに震える彼を優しく宥めながら、いくつか試したものの、結果的に彼の足は幸いにも捻挫だった。

「折れてなくて良かったよ。だが、かなり酷い捻挫だからしばらくは動かしてはいけないよ。今日は親御さんに迎えに来てもらったほうがいいな」

「あっ、でも……父も母も忙しくて、すぐには迎えには来れないと思います……」

聞けば、二人とも飛行機の距離で出張に行っておりすぐに迎えは難しいとのことだった。

「それなら、君はその間一人で過ごしているのか?」

高校生男子が一人でいてもそこまでの心配はないだろうが、彼の場合はどうも心配だ。

「いえ、さっきここまで連れてきてくれた友人の家が隣なので、食事とかはお世話になってます」

「ああ、なるほど。幼馴染というわけか」

「はい。だから、大輔だいすけに連れて帰ってもらうので大丈夫です」

「いや、彼とは身長差がありすぎてさっきも見ていて危なかったよ。片足を庇って歩くと、もう片方も痛めてしまうからね」

「じゃあ、どうしたら……?」

「そうだな。今日、帰りに私の病院に連れていこう。松葉杖を用意するよ」

「そんな、いいんですか?」

「ああ、君には必要なものだからね。ただ、私は今日は18時までここにいないといけないから、君にも待ってもらうことになるがいいかな?」

「はい。もちろん大丈夫です」

この後は球技大会にも参加できないし、ここで一緒に待ってもらうことになる。
彼とここでずっと一緒に過ごせると思ったら、なんとなく嬉しくなっている私がいた。

それがどうしてなのか、私にもわからないがどうやら彼と過ごすのは私にとって嬉しいことらしい。

「そうと決まれば、昼食だな。幸翔君がお弁当を持ってきているのなら、私がクラスに行ってとってこよう」

「あっ、今日は学食で食べる予定だったので、持ってきてないんです」

「ああ、そうなのか。だが、今の時間からでは……」

診察で昼休みも半分以上すぎている。
この時間だと確実に学食も購買もほとんどなくなっているだろう。

「大丈夫です、お昼くらい食べなくても……」

「何言っているんだ。育ち盛りなのに。ああ、そうだ。もし良かったら私のお弁当を一緒に食べないか?」

「えっ? 先生の、お弁当ですか?」

「ああ、久しぶりに作ったから多く作りすぎてしまってね。一人じゃ多いと思っていたんだ。幸翔くんが食べてくれると助かるよ」

そういうと、彼の表情がぱあっと明るくなる。
と同時に胸の奥がキュンと締め付けられるような感じがする。
なんだ、この気持ちは?

「じゃあ、準備するからあちらの席に移動させよう。しっかり掴まっていてくれ」

「わっ!」

椅子に座っていた彼を抱き上げ、少し離れたソファーに座らせる。

「あ、ありがとうございます」

「ふふっ。気にしないでいいよ。お弁当の準備をするから待っていてくれ」

小さなキッチンスペースに置いてある皿と割り箸、それから冷蔵庫から小さめのペットボトルのお茶を二本取って彼の座るソファー前のテーブルに並べる。
そして、最後にお弁当を広げると、

「わぁっ、すっごく美味しそうです!」

と嬉しい声が聞こえる。

「味は保証しないけどね。残ったらもったいないから遠慮なく好きなものをとってくれ」

「は、はい。いただきます」

彼がおかずをいくつかとっている間に、おにぎりを渡す。

「シャケしかないんだけど、食べられる?」

「はい。シャケ大好きです」

「それなら良かった」

唐揚げや卵焼き、エビフライを皿にとり、嬉しそうに頬張る。

「んんっ! これ、すっごく美味しいです!!」

「良かった」

「あ、あの……本当に、これ僕が食べても良かったんですか?」

「どうして?」

「だって、先生が一人で食べるのは多いですよ」

「ああ、そういうことか。いや、もしかしたら保健室登校をしている生徒がいたら、お弁当を分けて、その時にいろんな話ができたらと思ったんだ。でも、この学校には今はそういう子はいないみたいで良かったよ」

保健室が楽しいところで気楽に過ごせるところだと思ってもらえたらいい。
それがゆくゆくは教室に戻れるようなきっかけになることもある。
要は楽しい学生生活だったと思ってもらえたらいいんだ。

だが、今のこの学校にはそういう子はいないようで安心した。

「先生って……優しいんですね」

「そんなことないよ。医師として、みんなの心も身体も丈夫にしたいと思っているだけだ」

「心も、身体も……」

「そう。いくら身体が丈夫でもずっと悩んでいると、眠れなくなったり食事ができなくなったり、すぐに身体に影響が出てくるだろう? 心が悲鳴をあげている時は免疫も落ちやすくて病気ももらいやすい。だから、身体の健康を守るには心も穏やかでないとな」

「あの……先生に、悩みを聞いてもらうこともできますか?」

「もちろんだよ。臨床心理士のようなカウンセリングの資格はないけれど、君よりもずっと人生経験も豊富だし、病気関連でなくても話はできる。もちろん医師として心と身体に寄り添った答えもできると思うよ。少なくとも一人で悩んでいるよりは気が楽になるだろう」

高校三年生。
勉強も人間関係も、それに恋愛だっていろんな悩みを持つ多感な時期だ。
何も悩みがない子を探すほうが難しい話だろう。

「あの……じゃあ、ご飯食べたら話を聞いて欲しいです」

「ああ、君のタイミングでいいよ。さぁまずはゆっくり食べてくれ」

そういうと彼はほっとしたように笑い、再びおかずに手をつけた。

美味しい、美味しいと言ってくれる彼の心を私の力で癒せたらいい。
そんなことを思いながら私も残っていたおにぎりを口に運んだ。
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