自家焙煎珈琲店で出会ったのは自分好みのコーヒーと運命の相手でした

波木真帆

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不思議な飲み物

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「は、初めて、なんですか?」

「ええ。小田切にも話しましたが、千鶴さんのために配合して作ったあのコーヒーは、偶然にも私の好みと同じコーヒーだったんです。だから、あの配合で淹れたコーヒーはこれまでも店では出したことがないんですよ」

「でも、あんなに美味しいのだから、他のお客さんたちも喜んで飲むんじゃないですか?」

「ふふっ。コーヒーは不思議な飲み物なんです」

「えっ?」

「少し試してみましょうか。こちらにどうぞ」

「は、はい」

案内されたのは、カウンターの席。
左側にあるガラス張りの個室のようなところには大きな機械が二台置かれているのが見える。

「あれは……?」

「あそこは焙煎室です。焙煎してすぐは味が落ち着かないので最低でも三日は寝かせたものを淹れるんです。一種類の豆を使って淹れる場合でも淹れ方によって味は変化しますが、今はオリジナルブレンドについてのお話をしますね。この豆とこの豆をこの配合で淹れたものが、千鶴さんにお淹れしたオリジナルブレンドです」

説明をしながら長瀬さんはコーヒー豆をグラム単位まで測り、それをミルに入れて手動で挽き始めた。

「毎回手動で挽いてるんですか?」

「そうですね。細かすぎても粗すぎても味が変わってきますので、手動の方が自分の感覚がわかりやすいんです。その分、お待たせしてしまいますが、ここに来られるお客さまはみなさん、のんびりとお過ごしなのでゆっくりとお待ちいただいてますよ」

「そうなんですね。わぁ、いい香り」

挽いた豆をドリッパーにセットするだけでもいい香りが漂ってくる。
長瀬さんがそれに細口のケトルでゆっくりとお湯を注ぎいれていくと同時に店内にあの心地よい香りがさらに広がりを増した。

「うん、いい香り」

素晴らしい手つきにずっとみていられる気がする。

「ふふっ。さぁ、どうぞ」

しばらくして目の前に置かれたコーヒーはまさしくさっき飲んでいたコーヒーと同じ香りがする。
そっと口をつけると、やっぱり同じ味。

「美味しいです」

「ありがとうございます。じゃあ、今度は配合を変えてほんの少しだけこちらを多くして淹れてみますね」

長瀬さんはそう言ったけれど、正直言って私にはそこまで違いがわからない。
それくらいの微々たる違いだ。

けれど、お湯を注いだときにすぐにわかった。

香りが違う。
いい香りであることに間違いはないけれど、さっきまでの高揚する香りとは違う。

「ふふっ。さぁ、どうぞ」

同じように出されたコーヒーを口に近づけると、その時点で違うとわかる。
恐る恐る口に入れると、確かに美味しいのは美味しいのだけど、コレジャナイ、感が全身から溢れ出る。

「えっ、こんなに?」

「お分かりになりましたか?」

「はい。でもたったあれだけの違いでこうも違うんですか?」

「そうですね。それくらいに自分にぴたりと合うコーヒーを見つけるのは難しいものです。それを口にするまでは比較的なんでも美味しいと感じられるでしょうが、一度自分に合うコーヒーを知ってしまうと他のものを違うと感じてしまうものです。常連さんの中には、もう私の配合のものしか受け付けなくなったと仰る方もいらっしゃいますよ」

「へぇ……そんなに、奥深いものなんですね。コーヒーって……。知りませんでした」

「今まであまり飲まれたことはありませんでしたか?」

「そうですね。紅茶の方を好んで飲んでました」

「紅茶は世界中で一番飲まれている飲み物で、世界には紅茶を水のように飲んでいる人たちもいるくらい身近な飲み物ですからね。対して、コーヒーは古来より薬にも毒にも、そしてあるときには媚薬にもなる不思議な飲み物と言われているんですよ」

「えっ、媚薬……?」

思いがけない言葉につい反応してしまった。
コーヒーが、媚薬だなんて……ちょっと怖いかも。

「すみません。驚かせてしまいましたね。万人にそんな効果があるわけではないのでご安心ください」

「は、はい」

「その話はともかく、オリジナルブレンドは今、口にしてお分かりいただいたように、ほんの少しの配合で全く違う味に変化します。千鶴さんには違うと思われたこちらのコーヒーを美味しいと思われる方がどこかにいらっしゃるということです」

「なるほど……」

私にはやっぱり最初に飲んだものの方が好みだけど、こっちが好きな人もいる……。
本当不思議だな。
あ、でもちょっと待って。

「あの、でも長瀬さんは、私の飲んだコーヒーを美味しいと思われたんですよね? そういうこともよくあるんですか?」

「いいえ、ありません」

「えっ? でも……」

はっきりと断言されて、少し戸惑ってしまう。
同じ味を好むことがないのなら、どうして私たちは同じなの?

そんな疑問が表情に出てしまったのだろうか。

「ふふっ。千鶴さんの疑問の答えをお教えしましょうか?」

意味深な笑顔で見つめられて、私は吸い込まれるように小さく頷いた。
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