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正義の味方
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<side尚孝>
今日はひかるくんが楽しみにしていた外出の日。
毎日リハビリを終えた後のお茶の時間でもずっと、僕と未知子さんに動物園の話を聞いていた。
僕が最後に動物園に行ったのは、小学校六年生の時の春の遠足だったか。
もう15年くらい前になるから、記憶も曖昧だけれど外で食べるお弁当と、みんなで交換したおやつのことはよく覚えている。
ふふっ。花より団子だな。
けれど、外でみんなで広げて食べるお弁当は何よりも美味しかったのは事実。
うちの母はあまり料理が上手ではなかったけれど、焦げた卵焼きと揚げすぎの唐揚げでもあの時は美味しく感じられた。
その話をしたらひかるくんが目を輝かせていたから、きっと未知子さんはシェフにお弁当を作るように頼んだことだろう。
なら、私は何にしようか。
おやつの交換をしてあげたいと思っても、ひかるくんの身体にはジャンクフードの類はまだ無理だし。
そう考えた時にふといいものが下りてきた。
ああ、あれだ!!
あれなら見た目にも可愛いし、栄養にもいい。
ひかるくんが見たこともないだろうし、きっと喜んでくれそうだ!!
せっかくなら、当日作りたてのものが買える限定品にしよう!
そう思って、当日意気揚々とお店に向かうとそこは長蛇の列。
ああ、しまった……出遅れたか……。
だが、限定品の数には間に合いそうだ。
店がオープンして、並んでいた人が少しずつ中に入っていく。
これなら買えそう!
ひかるくんが喜んでいる姿を想像するだけで笑みが溢れる。
店内までもう少しと思った瞬間、突然横から女性が割り込んできた。
しかも何も気にする様子もなく同行の女性とぺちゃくちゃとおしゃべりしながらだ。
呆気にとられたものの、僕の後ろにはたくさんの人たちがずっと並んでいて、この二人のせいで買えなくなる人もいるかもしれない。
そんなの絶対に許せない!
身体に触れて難癖つけられてはいけないから、後ろから少し大きめの声をかける。
「すみません! すみません!」
女性たちはおしゃべりしながらちらっと僕を見たけれど、そのままおしゃべりに戻ってしまう。
絶対に聞こえているくせに無視するつもりなんだ。
「すみませんがみんな並んでいるんです。横入りはやめて後ろに並んでください!」
さっきよりも大きな声で彼女たちの前に並んでいる人にも聞こえるように声をかけると、彼女たちはようやくおしゃべりをやめて、
「これくらいのことでいちいち目くじら立てないでよ! 私たちが入ったからってそんなに変わらないでしょ! 大体朝っぱらから男一人でこの店に並ぶなんておかしいんじゃないの? 私たちが入るのが気に入らないなら、あんたが出ていけば?」
「はぁ? どうしてそうなるんですか? いいから、さっさと後ろに並んでください!」
「ちょっとやめてよ! 警察呼ぶわよ! 男が女に因縁つけてるってだけで心象悪いんだからね、あんたがどれだけ言ったって捕まえられるわよ!」
「呼べるもんなら――」
「こんなところで何を騒いでいるんですか? お店の方にも近隣住民にも迷惑ですよ」
突然の声に驚いてそっちを向くと、カジュアルな服に身を包んだ長身のイケメンが立っていた。
うわっ! かっこいい!
まるでファッション雑誌から抜け出てきたような人が突然目の前に現れて、女性たちとの諍いも忘れて茫然と見入ってしまう。
「あ、あの違うんです。この人が突然言いがかりつけてきて……困ってたんです」
「な――っ、ちがっ! それはあなた方が――」
そう言い返そうとしたら、その長身の彼が僕をサッと制して、彼女たちに話しかけた。
「あなた方の声が店内まで聞こえてましたよ。順番を無視して入り込んだんですよね。しかも、一人でこの店に来るのがおかしいとまで言ってましたよね」
「そ、それは……」
「私も一人で来ましたよ。ですが、それを誰にも咎められることはないと思いますが」
長身の彼の言葉に彼女たちは何も言えず、俯くだけ。
「順番に並ぶのは社会のルールですし、大人ならば当然のマナーです。それができないというのなら、あなた方こそお店に入る権利はないと思いますよ。列の後ろに並ぶ気がないなら、帰ってください」
「ちょ――っ、そこまで言われる筋合いないんだけど! あんた、少しかっこいいからって調子乗りすぎ! 何様のつもりよ!」
「さっきも言いましたが、私はここに買い物に来たただの客です。ですが、お店の方も同じように思っているようですよ」
そういうと、長身の彼の後ろから職人さんのような方がやってきて、
「私はここの店主です。ここではみなさん平等に並んでご購入いただいております。順番を守ってご購入ください」
とはっきり言ってくれた。
「な、なによ! せっかくきてあげたのに! こんな店、もう来ないわよ! ネットで今日のこと全部晒すからね! 客を選ぶ最悪な店だって! 覚悟しておきなさいよ!」
彼女たちはそう言い捨てたが、
「そんなことをしたらすぐに名誉毀損であなた方を訴えますよ」
と店主は冷静に返した。
「何言ってんの! そんなことできるわけないでしょ」
彼女たちが鼻で笑うと、長身の彼はクスッと笑って、
「大丈夫ですよ、私が弁護しますから」
と言い切った。
「えっ? どういうことよ」
「ああ、申し遅れました。私、弁護士なんです」
「うそ――っ!」
「本当ですよ、ほら」
そう言って、長身の彼はカジュアルなシャツの裏側につけた弁護士バッジを見せた。
「今日はプライベートなんで見えない場所につけてるんです」
彼女たちは彼が本物の弁護士だとわかるや否や、さーっと顔を青褪めさせ走って逃げていってしまった。
あまりにも早い逃げ足に呆気にとられながらも、
「あ、あの……ありがとうございます」
と声をかけると、長身の彼は爽やかな笑顔を見せ、
「いや、君が注意できたからだよ」
と肩をポンと叩いて労ってくれた。
店主さんにも声をかけて、彼は颯爽と立ち去っていった。
なんだか、すごい人だったな。
あんなに爽やかなイケメンでしかも弁護士……。
天は二物を与えずと言うけど、彼に対しては特別みたいだ。
そんな騒ぎの中、ようやく僕の順番が来て急いでひかるくんへのお土産を買い、貴船邸に向かった。
そこで出会ったのはまさかのあの人……。
あの店で出会った人が、貴船会長の秘書さんだなんて思いもしなかった。
弁護士資格を持ち、その上あの貴船会長の秘書さんをしているなんてどれだけ能力が高い人なんだろう……。
あんまりちゃんとお礼も言えずに帰ってしまったから気になっていたけれど、もう会えないだろうと思っていた。
この広い東京でたまたま巡り会った人だと思っていたのに、まさか、ここで再会できるなんて……本当に信じられない。
この奇跡とも言える再会に僕の胸はなぜか高鳴っていた。
なんだろう、この気持ち。
会えないと思っていた人に会えたから?
そうだ、きっとそうに違いない。
あとでもう一度ちゃんとお礼を言っておこう。
毎日ひかるくんのお世話をしているだけあって、貴船会長の抱き上げ方は本当に上手だった。
ああやって苦痛を与えないように抱き上げるのは僕たちPTや介護士でもかなりの訓練がいることなのに。
やはり勘違いじゃない。
きっとひかるくんへの想いが貴船会長を動かしているんだ。
残念ながらひかるくんは会長の思いには気づいていないようだけど、でもこれからどうなるかなんて誰にもわからない。
まだまだリハビリは始まったばかりなのだから。
玄関を出て、見たこともないような大きな車に驚いて立ち尽くしていると、
「今日は志摩くんが運転してくれるから、谷垣くん、悪いが助手席に座ってくれないか?」
と貴船会長から声をかけられた。
後部座席で、ひかるくんはともかく、会長や未知子さんと一緒に座るのは緊張感が半端ないと思っていたけれど、助手席で志摩さんと二人っきりというシチュエーションもなんだか緊張してしまう。
それでもなんとか返事をして、助手席に乗り込むと
「谷垣さん、今日はよろしく頼みますね」
と笑顔を向けられた。
「は、はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
「ふふっ。緊張してますね。でも、今日はせっかくの動物園ですから、楽しみましょう。谷垣さんは動物園はよく行かれますか?」
「い、いえ。もう15年以上は行っていないかと……」
「そうですか、ならきっと楽しめますよ。今日はひかるさんのためにいろんな体験も予約しているんです。谷垣さんの分ももちろん予約してますから楽しんでくださいね」
「えっ、ありがとうございます!」
「ふふっ。谷垣さんって、本当に幸せそうに笑いますね」
そう言ってくれた志摩さんの柔らかな笑顔に惹かれる自分がいた。
<side志摩>
ひかるさんへのお土産を買いに行った先でトラブルに巻き込まれていた彼を店内から見かけた。
彼が会長が好意を持っているひかるさんをトラックで轢いてしまった加害者で、今はひかるさんの専属PTとして誠心誠意尽くしている谷垣さんだとすぐにわかった。
なんせ谷垣さんについて、会長がありとあらゆる方面まで調査していたのだから。
彼がこれまでの人生で人に言えないようなことをしてきたこともない、本当に誠実な彼だったことに安心していたのをよく覚えている。
理学療法士として担当したすべての患者から絶大な信頼を得ていた彼が仕事を辞め、家業を継いだときは患者もスタッフも皆涙して送り出したと書かれていた。
それほどまでに誰に対しても真摯に向き合っていたのだろう。
調査報告書に添付されていた写真でも、人を癒すような優しい笑顔で写っているのが印象的だった。
あの事故は悪いことが重なったが故の出来事だったのだ。
それがわかったから、会長は大事なひかるさんを彼に預けることにしたんだ。
外の騒がしさにふと視線を向ければ、その彼がいて、何があったのかと耳をそばだてるとどうやら割り込みをされ、後ろに並ぶように諭しているようだった。
割り込みをされてもトラブルを避けて声を上げることができない人も多いのに、彼は真正面から向き合っていたのが好感が持てた。
やはり調査通りの人間だったなと少し嬉しくなってしまった。
彼女たちには一切触れず、一定の距離を保って、そして口調も丁寧で……そんな彼を助けてあげたくて、店主に声をかけ、共にトラブルの現場に向かった。
私が弁護士だと言うと言いがかりをつけていた彼女たちはそそくさと逃げていって、彼を助けられたことにホッとした。
格好つけて何も自分の情報も伝えずに立ち去ってしまったけれど、会長の家で再会できることはわかっている。
彼が私をみてどんな反応を示すか、それがなぜか楽しみになっていた。
ひかるさんにお土産を渡してからも、頭の中は彼のことばかり。
待たせてしまったと頭を下げながら部屋に入ってきた彼の姿に胸が高鳴った。
驚いたように見せかけながら声をかけると、彼は目を丸くして驚いていた。
ふふっ。なんて可愛い反応をするんだろうな。
会長は私たちがすでに知り合いの様子に驚いていたが、私がすでに彼を知っていたのはご存知だ。
だが、調査していたこと自体、内緒なのだからそれを態度に表すこともない。
けれど、私の様子がいつもと違うことに気づいてくれたのか、車の中で私の隣に座るように谷垣さんに声をかけてくれた。
助手席に座る彼と動物園までのしばしのドライブ。
後部座席とは独立しているから、話し声も気にすることはない。
彼が隣にいる、その空気感に心地良さを感じながら車を走らせた。
基本的にひかるさんは家族だけで過ごさせて、私と谷垣さんは何かあった時のために同行し、そして園内を過ごしやすく案内するのが今日の目的だ。
だから、付かず離れずの距離を保ちながら、二人で動物園を巡る。
ある意味、デートのようなものだ。
動物園に来たのは小学生以来だという彼は、大きな動物を前に目をキラキラと輝かせながら感嘆の声を上げる。
突然の咆哮に驚きの表情を見せる姿も、動物の赤ちゃんを目を細めて愛おしそうに見つめる姿も、全てが可愛くて目が離せない。
私はもはや動物たちよりも谷垣さんの一挙一動に釘付けになっていた。
「志摩さん! やっぱり動物園って童心に戻りますね」
「ええ、そうですね。もっと童心に戻れる場所がありますよ」
さりげなく彼の手を握り、ふれあい広場に連れていく。
最初こそ、私が手を握ったことに戸惑っている様子だったけれど、目の前で可愛いウサギやモルモットたちが駆け回っているのを見ると、目を輝かせて喜んでいた。
「もしかして、ウサギを触れるんですか?」
「ええ。ひかるさんが喜びそうでしょう?」
「はい。こういった小動物との関わりは気持ちを安定させるのにもいいことですから、志摩さんはさすがですね!」
「――っ!!」
ほんのりと頬を染めながら、私を褒めてくれる谷垣さんにドキッとした。
ああ、もうこれは間違いないな。
わかっていたんだ。
調査報告書を見たあの時から、ずっと忘れられずにいたのだから。
もう認めよう。
谷垣さんを好きだってことを。
会長がひかるさんを連れてきて、早速ウサギを膝に乗せ触らせる。
ほわっと花が綻ぶようなひかるさんの笑顔に癒される。
「ひかるくん、怖がっていないみたいで良かった」
「ええ、谷垣さんも触ってみませんか?」
「大人もいいんですか?」
「ええ、もちろんですよ」
近くにいた真っ白なウサギを抱き上げて、谷垣さんの膝に乗せるとさっきのひかるさん以上の可愛らしい笑顔を見せてくれる。
気づけば、私はそんな彼の姿を何枚も何枚もカメラに収めていた。
あの笑顔を私にも向けて欲しい。
ウサギに嫉妬するなんて恥ずかしいと思いつつも、その思いを消すことはできなかった。
今日はひかるくんが楽しみにしていた外出の日。
毎日リハビリを終えた後のお茶の時間でもずっと、僕と未知子さんに動物園の話を聞いていた。
僕が最後に動物園に行ったのは、小学校六年生の時の春の遠足だったか。
もう15年くらい前になるから、記憶も曖昧だけれど外で食べるお弁当と、みんなで交換したおやつのことはよく覚えている。
ふふっ。花より団子だな。
けれど、外でみんなで広げて食べるお弁当は何よりも美味しかったのは事実。
うちの母はあまり料理が上手ではなかったけれど、焦げた卵焼きと揚げすぎの唐揚げでもあの時は美味しく感じられた。
その話をしたらひかるくんが目を輝かせていたから、きっと未知子さんはシェフにお弁当を作るように頼んだことだろう。
なら、私は何にしようか。
おやつの交換をしてあげたいと思っても、ひかるくんの身体にはジャンクフードの類はまだ無理だし。
そう考えた時にふといいものが下りてきた。
ああ、あれだ!!
あれなら見た目にも可愛いし、栄養にもいい。
ひかるくんが見たこともないだろうし、きっと喜んでくれそうだ!!
せっかくなら、当日作りたてのものが買える限定品にしよう!
そう思って、当日意気揚々とお店に向かうとそこは長蛇の列。
ああ、しまった……出遅れたか……。
だが、限定品の数には間に合いそうだ。
店がオープンして、並んでいた人が少しずつ中に入っていく。
これなら買えそう!
ひかるくんが喜んでいる姿を想像するだけで笑みが溢れる。
店内までもう少しと思った瞬間、突然横から女性が割り込んできた。
しかも何も気にする様子もなく同行の女性とぺちゃくちゃとおしゃべりしながらだ。
呆気にとられたものの、僕の後ろにはたくさんの人たちがずっと並んでいて、この二人のせいで買えなくなる人もいるかもしれない。
そんなの絶対に許せない!
身体に触れて難癖つけられてはいけないから、後ろから少し大きめの声をかける。
「すみません! すみません!」
女性たちはおしゃべりしながらちらっと僕を見たけれど、そのままおしゃべりに戻ってしまう。
絶対に聞こえているくせに無視するつもりなんだ。
「すみませんがみんな並んでいるんです。横入りはやめて後ろに並んでください!」
さっきよりも大きな声で彼女たちの前に並んでいる人にも聞こえるように声をかけると、彼女たちはようやくおしゃべりをやめて、
「これくらいのことでいちいち目くじら立てないでよ! 私たちが入ったからってそんなに変わらないでしょ! 大体朝っぱらから男一人でこの店に並ぶなんておかしいんじゃないの? 私たちが入るのが気に入らないなら、あんたが出ていけば?」
「はぁ? どうしてそうなるんですか? いいから、さっさと後ろに並んでください!」
「ちょっとやめてよ! 警察呼ぶわよ! 男が女に因縁つけてるってだけで心象悪いんだからね、あんたがどれだけ言ったって捕まえられるわよ!」
「呼べるもんなら――」
「こんなところで何を騒いでいるんですか? お店の方にも近隣住民にも迷惑ですよ」
突然の声に驚いてそっちを向くと、カジュアルな服に身を包んだ長身のイケメンが立っていた。
うわっ! かっこいい!
まるでファッション雑誌から抜け出てきたような人が突然目の前に現れて、女性たちとの諍いも忘れて茫然と見入ってしまう。
「あ、あの違うんです。この人が突然言いがかりつけてきて……困ってたんです」
「な――っ、ちがっ! それはあなた方が――」
そう言い返そうとしたら、その長身の彼が僕をサッと制して、彼女たちに話しかけた。
「あなた方の声が店内まで聞こえてましたよ。順番を無視して入り込んだんですよね。しかも、一人でこの店に来るのがおかしいとまで言ってましたよね」
「そ、それは……」
「私も一人で来ましたよ。ですが、それを誰にも咎められることはないと思いますが」
長身の彼の言葉に彼女たちは何も言えず、俯くだけ。
「順番に並ぶのは社会のルールですし、大人ならば当然のマナーです。それができないというのなら、あなた方こそお店に入る権利はないと思いますよ。列の後ろに並ぶ気がないなら、帰ってください」
「ちょ――っ、そこまで言われる筋合いないんだけど! あんた、少しかっこいいからって調子乗りすぎ! 何様のつもりよ!」
「さっきも言いましたが、私はここに買い物に来たただの客です。ですが、お店の方も同じように思っているようですよ」
そういうと、長身の彼の後ろから職人さんのような方がやってきて、
「私はここの店主です。ここではみなさん平等に並んでご購入いただいております。順番を守ってご購入ください」
とはっきり言ってくれた。
「な、なによ! せっかくきてあげたのに! こんな店、もう来ないわよ! ネットで今日のこと全部晒すからね! 客を選ぶ最悪な店だって! 覚悟しておきなさいよ!」
彼女たちはそう言い捨てたが、
「そんなことをしたらすぐに名誉毀損であなた方を訴えますよ」
と店主は冷静に返した。
「何言ってんの! そんなことできるわけないでしょ」
彼女たちが鼻で笑うと、長身の彼はクスッと笑って、
「大丈夫ですよ、私が弁護しますから」
と言い切った。
「えっ? どういうことよ」
「ああ、申し遅れました。私、弁護士なんです」
「うそ――っ!」
「本当ですよ、ほら」
そう言って、長身の彼はカジュアルなシャツの裏側につけた弁護士バッジを見せた。
「今日はプライベートなんで見えない場所につけてるんです」
彼女たちは彼が本物の弁護士だとわかるや否や、さーっと顔を青褪めさせ走って逃げていってしまった。
あまりにも早い逃げ足に呆気にとられながらも、
「あ、あの……ありがとうございます」
と声をかけると、長身の彼は爽やかな笑顔を見せ、
「いや、君が注意できたからだよ」
と肩をポンと叩いて労ってくれた。
店主さんにも声をかけて、彼は颯爽と立ち去っていった。
なんだか、すごい人だったな。
あんなに爽やかなイケメンでしかも弁護士……。
天は二物を与えずと言うけど、彼に対しては特別みたいだ。
そんな騒ぎの中、ようやく僕の順番が来て急いでひかるくんへのお土産を買い、貴船邸に向かった。
そこで出会ったのはまさかのあの人……。
あの店で出会った人が、貴船会長の秘書さんだなんて思いもしなかった。
弁護士資格を持ち、その上あの貴船会長の秘書さんをしているなんてどれだけ能力が高い人なんだろう……。
あんまりちゃんとお礼も言えずに帰ってしまったから気になっていたけれど、もう会えないだろうと思っていた。
この広い東京でたまたま巡り会った人だと思っていたのに、まさか、ここで再会できるなんて……本当に信じられない。
この奇跡とも言える再会に僕の胸はなぜか高鳴っていた。
なんだろう、この気持ち。
会えないと思っていた人に会えたから?
そうだ、きっとそうに違いない。
あとでもう一度ちゃんとお礼を言っておこう。
毎日ひかるくんのお世話をしているだけあって、貴船会長の抱き上げ方は本当に上手だった。
ああやって苦痛を与えないように抱き上げるのは僕たちPTや介護士でもかなりの訓練がいることなのに。
やはり勘違いじゃない。
きっとひかるくんへの想いが貴船会長を動かしているんだ。
残念ながらひかるくんは会長の思いには気づいていないようだけど、でもこれからどうなるかなんて誰にもわからない。
まだまだリハビリは始まったばかりなのだから。
玄関を出て、見たこともないような大きな車に驚いて立ち尽くしていると、
「今日は志摩くんが運転してくれるから、谷垣くん、悪いが助手席に座ってくれないか?」
と貴船会長から声をかけられた。
後部座席で、ひかるくんはともかく、会長や未知子さんと一緒に座るのは緊張感が半端ないと思っていたけれど、助手席で志摩さんと二人っきりというシチュエーションもなんだか緊張してしまう。
それでもなんとか返事をして、助手席に乗り込むと
「谷垣さん、今日はよろしく頼みますね」
と笑顔を向けられた。
「は、はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
「ふふっ。緊張してますね。でも、今日はせっかくの動物園ですから、楽しみましょう。谷垣さんは動物園はよく行かれますか?」
「い、いえ。もう15年以上は行っていないかと……」
「そうですか、ならきっと楽しめますよ。今日はひかるさんのためにいろんな体験も予約しているんです。谷垣さんの分ももちろん予約してますから楽しんでくださいね」
「えっ、ありがとうございます!」
「ふふっ。谷垣さんって、本当に幸せそうに笑いますね」
そう言ってくれた志摩さんの柔らかな笑顔に惹かれる自分がいた。
<side志摩>
ひかるさんへのお土産を買いに行った先でトラブルに巻き込まれていた彼を店内から見かけた。
彼が会長が好意を持っているひかるさんをトラックで轢いてしまった加害者で、今はひかるさんの専属PTとして誠心誠意尽くしている谷垣さんだとすぐにわかった。
なんせ谷垣さんについて、会長がありとあらゆる方面まで調査していたのだから。
彼がこれまでの人生で人に言えないようなことをしてきたこともない、本当に誠実な彼だったことに安心していたのをよく覚えている。
理学療法士として担当したすべての患者から絶大な信頼を得ていた彼が仕事を辞め、家業を継いだときは患者もスタッフも皆涙して送り出したと書かれていた。
それほどまでに誰に対しても真摯に向き合っていたのだろう。
調査報告書に添付されていた写真でも、人を癒すような優しい笑顔で写っているのが印象的だった。
あの事故は悪いことが重なったが故の出来事だったのだ。
それがわかったから、会長は大事なひかるさんを彼に預けることにしたんだ。
外の騒がしさにふと視線を向ければ、その彼がいて、何があったのかと耳をそばだてるとどうやら割り込みをされ、後ろに並ぶように諭しているようだった。
割り込みをされてもトラブルを避けて声を上げることができない人も多いのに、彼は真正面から向き合っていたのが好感が持てた。
やはり調査通りの人間だったなと少し嬉しくなってしまった。
彼女たちには一切触れず、一定の距離を保って、そして口調も丁寧で……そんな彼を助けてあげたくて、店主に声をかけ、共にトラブルの現場に向かった。
私が弁護士だと言うと言いがかりをつけていた彼女たちはそそくさと逃げていって、彼を助けられたことにホッとした。
格好つけて何も自分の情報も伝えずに立ち去ってしまったけれど、会長の家で再会できることはわかっている。
彼が私をみてどんな反応を示すか、それがなぜか楽しみになっていた。
ひかるさんにお土産を渡してからも、頭の中は彼のことばかり。
待たせてしまったと頭を下げながら部屋に入ってきた彼の姿に胸が高鳴った。
驚いたように見せかけながら声をかけると、彼は目を丸くして驚いていた。
ふふっ。なんて可愛い反応をするんだろうな。
会長は私たちがすでに知り合いの様子に驚いていたが、私がすでに彼を知っていたのはご存知だ。
だが、調査していたこと自体、内緒なのだからそれを態度に表すこともない。
けれど、私の様子がいつもと違うことに気づいてくれたのか、車の中で私の隣に座るように谷垣さんに声をかけてくれた。
助手席に座る彼と動物園までのしばしのドライブ。
後部座席とは独立しているから、話し声も気にすることはない。
彼が隣にいる、その空気感に心地良さを感じながら車を走らせた。
基本的にひかるさんは家族だけで過ごさせて、私と谷垣さんは何かあった時のために同行し、そして園内を過ごしやすく案内するのが今日の目的だ。
だから、付かず離れずの距離を保ちながら、二人で動物園を巡る。
ある意味、デートのようなものだ。
動物園に来たのは小学生以来だという彼は、大きな動物を前に目をキラキラと輝かせながら感嘆の声を上げる。
突然の咆哮に驚きの表情を見せる姿も、動物の赤ちゃんを目を細めて愛おしそうに見つめる姿も、全てが可愛くて目が離せない。
私はもはや動物たちよりも谷垣さんの一挙一動に釘付けになっていた。
「志摩さん! やっぱり動物園って童心に戻りますね」
「ええ、そうですね。もっと童心に戻れる場所がありますよ」
さりげなく彼の手を握り、ふれあい広場に連れていく。
最初こそ、私が手を握ったことに戸惑っている様子だったけれど、目の前で可愛いウサギやモルモットたちが駆け回っているのを見ると、目を輝かせて喜んでいた。
「もしかして、ウサギを触れるんですか?」
「ええ。ひかるさんが喜びそうでしょう?」
「はい。こういった小動物との関わりは気持ちを安定させるのにもいいことですから、志摩さんはさすがですね!」
「――っ!!」
ほんのりと頬を染めながら、私を褒めてくれる谷垣さんにドキッとした。
ああ、もうこれは間違いないな。
わかっていたんだ。
調査報告書を見たあの時から、ずっと忘れられずにいたのだから。
もう認めよう。
谷垣さんを好きだってことを。
会長がひかるさんを連れてきて、早速ウサギを膝に乗せ触らせる。
ほわっと花が綻ぶようなひかるさんの笑顔に癒される。
「ひかるくん、怖がっていないみたいで良かった」
「ええ、谷垣さんも触ってみませんか?」
「大人もいいんですか?」
「ええ、もちろんですよ」
近くにいた真っ白なウサギを抱き上げて、谷垣さんの膝に乗せるとさっきのひかるさん以上の可愛らしい笑顔を見せてくれる。
気づけば、私はそんな彼の姿を何枚も何枚もカメラに収めていた。
あの笑顔を私にも向けて欲しい。
ウサギに嫉妬するなんて恥ずかしいと思いつつも、その思いを消すことはできなかった。
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