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◆ 第一部終章 「さようなら」編

65 厳しい優しさと切実な優しさ

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「シリル・デラヒエ、出て来い! 」

 昼下がりの休日
 サンクトプリエンツェの市街地、王立フェレイオ学園一年生の学年主任を務めているアンヌフローリア・ボーマルシェ宅から、少年の怒鳴り声が辺りに轟く。
 その声はアンヌフローリアの同居人で目下学園側から自宅謹慎を言い付けられているシリルの声ではない。
 アンヌフローリアの許可を貰って屋内に通された学園生、クロダ・エイジその人の声だ。

「いつまで部屋でメソメソしてるんだ、貴様それでも戦士か! 」

 ゴンゴンゴンと扉を叩く音は非常に荒々しく、熱くなったエイジの心情を如実に表しているのだが、その光景を柱の影から見守るアンヌフローリアは心配そうな表情を隠そうともしていない。

 自宅謹慎が始まって二週間、その間に様々な仲間がこの家を訪問した。
 もはやアンヌフローリアの二番目の弟子と呼んでも過言ではない魔法剣士ロミルダ・デーレンダールを筆頭に、エステバンやカティア、そしてジェイソンなどはほぼ毎日、学園の授業が終わった途端に肩を激しく上下させながらやって来る。
 彼ら以外にも一年B組のクラスメイトの中でも、シリルに対するイジメを苦々しく感じていた者たちも訪問して来た。
 それ以外にも生徒会執行部のメンバーや「よろず屋シリル」でシリルと交流があった者たちも、彼を心配してアンヌフローリア宅をノックした。
 中でも赤竜の姫アルベルティーナ・ララ・ヴァルマはシリルのためにと、アンヌフローリア宅で手料理を作って振る舞おうとするのだが、結局は肩を落として帰って行く日々が続いていた。

 そして誰もがシリルを心配し、「大丈夫か? 」「元気出せよ」と、壁越しのシリルを腫れ物に触る様に優しく声を掛けるのだが、たった一人だけシリルに甘い声をかけない者が現れたのだ。それがクロダ・エイジだったのである。

 何度扉を叩いても声を荒げても、鍵をしたままの部屋は返事も無いままに静まり返っている。
 業を煮やしたエイジは、一旦振り返ってアンヌフローリアを見る。その表情は怒りに満ちながらも真剣そのものだ。

「先生、一つだけお願いがあります」
「お願いって? ……何を……? 」
「目をつぶって欲しいのです」

 ……えっ? 目をつぶれってどう言う事? 今私が目をつぶれば何かが起きるのかしら?ーー。

 エイジのお願いにどの様な意味があるのか皆目見当がつかないアンヌフローリアは、言われるまま反射的にキュッ! と両目を閉じる。
 だが、エイジが言った言葉の真意は全く別のところにあったのだと、アンヌフローリアは驚愕をもって知る事となる。

「ちぇすとおおおっ! 」

 エイジが奇声を上げた途端に、ドカン! ベキベキ! と衝撃音と木材の割れる音が屋内に響き、慌てて目を開けた彼女は、その勢いで目をぐいいんとひん剥いた。

「と……扉が!? 」
「蹴りました、責任は私が取ります。弁償など何なりと申してください」

 いやいや、生徒に弁償迫るとか教師としてちょっとどうなの? って気もするし、何か扉だけじゃなくて柱も一緒に蹴っちゃったでしょあなた! 何か柱の真ん中がふにゃって、ふにゃってなってる! 来週大家さん家賃取りに来るんで・す・け・ど・ね! ーー。

 予想外の展開が目の前で起きてしまい、頭が真っ白になったのか目を白黒させて、その場にぺたりと座り込んだアンヌフローリア。
 一方のエイジは彼女をかえりみもせずに部屋の中になだれ込み、ベッドの上で体育座りをする小さな生き物の目の前に立った。

「……エイジ」
「立て」

 エイジはシリルを見下ろしながら、一度だけ優しく声を掛けた。

 見れば目の下にビシッとクマを作り、肌艶はカサカサで生気が溢れていない。つまりは若者らしくないシリルの姿を見て、あの天真爛漫だった者がここまで落ち込んでしまったのかと、エイジも胸が痛くなったのだ。
 だが、同情するためにここに来たのではないーー。何かしら覚悟を決めたエイジは、鬼の様な形相となってシリルが着ていた服の襟首を強引に掴む。

「……立て! 立てと言っている! 」

 シリルは元気の無い表情のまま、無言で眉をひそめて拒否するのだが、襟首を掴んだエイジの力がそれを許さなかった。

「立てコラ! 立てよ! 」

 無理矢理シリルを引っ張り、彼が立とうが床に横たわろうが御構い無しに引っ張り続け、家の外に引き出そうとする。
 ーーいや、立てって言ってもそれじゃ立てないしーー
 と心の中でツッコミを入れるアンヌフローリアを尻目に、エイジはどんどんと玄関口へ向かって行く。
 やめろよう、やめろようと叫び、ジタバタしながら床を引きづられて行くシリルそれはまるで、海辺で大きなタコを捕まえてそのまま陸に上げようとするのだが、タコがのたうち回ってそれを拒む様な、一進一退の攻防にも見えた。

「おい……おい! 」
「な、なんだよ急に……」

 とうとう家の前に引き出されたシリル、諦めがついたのかジタバタせずに立ち上がる。そして何故関係の無いエイジがこれだけ鼻息が荒いのか理解出来ないまま、悔しさに背中を押されて対峙した。

「入学当初から色々噂は回って来た。精霊王のごり押しだのコネ入学だの、本人はからっきし何も出来ない底辺だのと」
「……何を言っているんだ? ……」
「だけどな! 夏休みに天使を倒したと聞いて、俺はなるほどこの学園にいれる訳だと納得したんだ。だが記憶が無いだと? 覚えてないだと? ふざけんじゃねえぞコラ! 」
「……い、いや……それは、それは本当に記憶が……」
「馬鹿野郎! イジメの首謀者をぶっ倒した話も聞いた。そこで俺は気付いたんだ、気付いたんだよ! 」

 頭に昇った大量の血液を整理する様に、一旦口を噤んで落ち着こうとするエイジ。大きく息を吸い込んで吐き出した後に、感情に任せた怒鳴り散らす声では無く本日初めて、彼らしい落ち着いた声でシリルに問い掛けた。

 【記憶の無いヤツが、何で手加減なんて加えられるんだよ? 天使とイジメの首謀者、お前が隠してる力なら両方とも簡単に殺せるんだろ? なのに何でイジメてた奴はケガで済んだんだよ? 】

 クロダ・エイジは見事に核心を突いた。
 シリルがこれっぽっちも言い訳の出来ない質問をぶつけ、シリルの退路を完全に絶ったのだ。

「お前の秘めた力がどう言うものなのかは知らない。だがな、お前はそう言う優しい心を持つ男なんだろ? 」
「……ぼくは……ぼくは……!」
「サムライはな、名誉を穢されたら斬り捨てても正当性を認められる。それぐらい他人の名誉を穢すってのは愚かな行為なんだよ。だけどお前は半殺しで許してやった、それが優しさでなくて一体何だって言うんだ」

 怒られている様な、それでいて褒められているかの様な不思議な気分ーー。

 どこかむず痒い感覚に襲われるシリルであったが、だからと言って自分自身を飲み込もうとする悪意が消えた訳ではない。
 それはいつ片時も自分を悪意に染めようと狙っている。そしてその悪意に染まった瞬間、確かに溢れ出る強大な力を感じる事は出来るのだが、その姿を見た人々や仲間たちの怖れる顔が目に焼き付いて……

「……これをやる」

 それでも思い悩み、答えの出ないシリルの目前に、エイジは一振りの小太刀を差し出した。

「受け取れ、そしてひたすら素振りしろ、毎日毎日だ」
「……これは?……」
「お前じゃ太刀は長過ぎて御せない、だからと言って脇差しじゃ短くて修行にならない。俺が産まれた時、母親の両親が贈ってくれた小太刀“ライトニング丸”だ」
「真剣じゃないか。それにこの剣、大事なものなんじゃ……?」
「ああ、大事な業物だ。だから飾っておくより使わなきゃ意味が無い」

 ーー頭ん中がごちゃごちゃして、先に進む事も後に退く事も出来ない時はな、ひたすら素振りして素振りして、くたびれて寝るのが一番なんだよーー

「シリル・デラヒエ、お前マスターズ・リーグに入りたいんだろ? そうだよな? 今でもそう思ってるんだろ? 」
「うん、僕は……騎士王のような立派な戦士になりたい」
「だったらなおさらだ、いじけてないで素振りしろ! 」

 そう言ってエイジは身を翻し、扉の影からこっそり外を見詰めていたアンヌフローリアに一礼して去って行く。
 シリルはエイジの姿が街中に消えるまで彼の背中を見詰め続け、そして彼から譲り受けた小太刀をスラリと鞘から引き抜いた。

 そう。自宅謹慎となった後シリルは初めて家から出た。
 シリルを気遣う様な優しい声につられたのではなく、クロダ・エイジに首根っこを掴まれ無理矢理連れ出されたのだが、彼が逃げる様に部屋へ戻る事は無かった。ーーただただ無心になって小太刀を振り続けたのだ。

 そしてその光景をひっそりと見詰めるアンヌフローリアは一人泣いていた。
 シリルは常に良心と悪意が腹の底で闘っている、そう言う運命の元に生まれた子なのだと精霊王から打ち明けられた。
 今もなお、彼の中で善と悪が闘っているとするならば、ひたすら素振りを繰り返している彼が、何て痛々しくて健気なのだろうと。

 ただ、去り行くエイジに心の中で礼を言いながらも、「屋根までね……傾いちゃったよ。傾いちゃったの」と小さく呟くところを見れば、アンヌフローリアの涙には別の要素も盛り込まれていたのかも知れなかった。


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