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◆ 閑話休題編2
26 例の事件と言えば
しおりを挟む王立フェレイオ学園のとある日。一日の講義が終わった学園生たちが課外活動をも終えて家路に急ごうとする時間。
衛士が学園の完全閉鎖三十分前を、巨大なドラでゴウンゴウンと鳴らし始めたその音は、私語すら許されぬ空気の図書館にも盛大に轟いて静寂をぶち壊していた。
魔法体系の専門書や古文書や歴史書を紐解いて、貪る様に自分の知識に変換していた生徒たちは、そのドラの音色が図書館をも閉鎖する事をも意味しているのは充分承知であり、帰れ帰れと無言のプレッシャーを与え始めたキツネ姿の獣人で図書委員の女生徒が眼鏡の奥から放って来る冷たくて怖い光の視線を避ける様に、いそいそと本を棚にしまって帰り支度を始めた。
「……ぐ……ら……にゅう……と……お……」
図書委員の凍てつく波動が利用していた生徒たちの背中を寒々しく廊下へと押し出す中、一人だけそれに気付かない生徒が、未だに書物を読みふけりながら何かしら小声でブツブツと呟いている。
本来なら誰がどう足掻こうがどう言い訳しようが終了は終了。学園自体の閉鎖時間が迫っている中で個人の事情などは聞く耳持たないのが管理側の取るべき態度なのだが、このキツネ耳の図書委員は未だに勉強を続けるこの生徒にだけは「あとちょっとくらいは許してやっても……」と、自分の情に勝てずにしばしの猶予を与えていた。
それだけ彼が真剣だったのである。閉鎖準備のドラの盛大な音すら気にならないほどに、目の前の書物に夢中だったのである。
「……た……ま……ご……しろ……み……」
ハードカバーの専門書の隣には、記号の組み合わせによる文字早見表を置いて記号を指でなぞりながら、早見表で必死になってそれを言葉にする少年。
硬い机すら穴が開きそうなほどの眼力を持って書物に挑んでいるのはシリル・デラヒエ。最近は「よろずやシリル」を朝と昼の開業に限定し、課外活動の時間帯はこの図書館へ足しげく通っていたのであった。
「……め……れ……ん……げ……い……」
彼的には白熱しており最高潮なのか、図書委員が目の前に立って声をかけようかどうしようかなどの優しい躊躇などお構い無しで、貪り尽くす様に専門書に魅入っていたのだが、それも思わぬ方向からの一声でピリオドが付いてしまった。
「あら、あらあらあら! シリル君こんなところにいたのね! 」
現れたのは学年主任のアンヌフローリア・ボーマルシェ。現在はシリルの保護者でもあるアンヌフローリア先生が、シリルと一緒に帰宅しようと彼を探していたのだ。
「あらあらまあまあ、シリル君が図書館にいるなんて驚いたわ」
「いやちょっと、調べものがありまして」
「くうううっ! シリル君からそんな言葉が出るなんて私感激よ、やっと真剣に勉強と向き合うようになったのね」
人目をはばからず、頬を紅潮させながらシリルに近付き強引にハグをする。思春期に突入しようとする少年なら、綺麗な大人の女性が抱き付いて来れば、心臓がフルパワーで鼓動を早めて、良い香りを楽しむ鼻腔や相手の身体の感触をそれこそ五感全てを総動員して感じ、夢心地の甘い世界を楽しむはずなのだが、シリルはちょっとそれとは違っていた。
アンヌフローリア先生とのハグを楽しむどころか、「あはは」と引きつった愛想笑いでその場を誤魔化しながら、机の上に広げてあった書物のページを片手でこっそりと閉じる。
「ねえ、ねえ! 何の勉強してたの? 」
「い、いや……まだ文字が分かり辛いから、片っ端から何でも読んでみようかと」
アンヌフローリア女史の興味は、シリルがどんな書物を読んでいたのかにシフトする。背後に本を回して隠そう隠そうとするシリルに手を伸ばし、笑顔のまま強引に取り上げたのだ。
「あっ、先生ダメ! ダメです」
「良いじゃないのよ、助言が必要なら私が見てあげるから」
必死に隠そうとするシリルから、照れ屋さんなんだからもう! と言いながら表紙を見て、そしてペラペラとページをめくり始める。
「うむ? ……今日からあなたも一流シェフ、ワンランク上の家庭料理……だと? 」
シリルが読んでいた本が一体何なのか、そしてそれは一体何を意味するかが理解出来たアンヌフローリアは、まるで背後に「ゴゴゴ…… 」と巨大な文字が浮かび上がるかの勢いで怪訝な表情へと様変わりして行く。
「シリル君。あなたが読んでいたのは料理の本なのね? 」
「あはは……。いや、あの」
「そうなのね? 私の料理がクッソ不味いからなのね?」
「これには訳が! 訳があるんです! 」
確かにアンヌフローリアの料理スキルは皆無と言っても過言では無い。せっかく手に入れた新鮮な水牛の肉も彼女の手にかかれば、表面も中もパサパサでガッチガチの炭化ステーキに様変わりし、野菜スープは悪魔の毒毒塩スープに変わり果ててしまう。ハンバーグ入りオムレツ……オムハンバーグを単なるひき肉入りスクランブルエッグにしてしまうのは、ある意味神業と呼んでも良い。
結果、呆れたシリルが調理する様になったのだが、ここに来て改めてシリルが料理の勉強をするのもおかしな話ではある。
「訳なんかある訳無いでしょ、そんなに私の料理が嫌だったの? 」
「違います! 先生女の人だから甘いもの好きかなって、作ってあげようと思っただけです! 」
あの店はクオリティが高い、完成度が高い。こっちの店は見てくれはまあまあだが、素材に力を入れてて味が傑出しているなどなど、甘くて頬がとろけそうになるショコラやケーキの話を、クラスの女子たちが休み時間にかしましく話していた。
ーー女の子は甘いものが好きーー
なるほど。そうであるならば、彼氏いない歴イコール実年齢のアンヌフローリア先生もまた、彼女たちと同じアイデンティティを維持しているはず。
甘いものを食べて喜んでくれれば、独り身の寂しさを紛らわす様に、夜に抱き枕の様にギュウギュウ首を絞められる事も無くなる。
そう閃いたシリルではあったが、いかんせん手持ちの金では店でスウィーツなど購入出来る訳が無く、手作りで何とかならんかと、この図書館に足を伸ばしたのであった。
「私のためなんてウソよ、絶対ウソ! 」
「ウソじゃないですよ! 」
姉弟喧嘩の様に真正面からいがみ合う二人、図書委員は早く帰ってくれないかなあと呆れ顔でバトルを見詰め、帰り仕度を始めた利用者の生徒たちは面白がって眺めている。
「私だってこんなに頑張ってるのに、何でウソなんか言うのよ! 」
「だからウソじゃないって言ってるじゃないですか! 」
「……それに! 」
ーーそれにと言う言葉の後、シリルは罪を犯してしまった。激昂して口にしてはいけない事を言ってしまったのだ。
「ウソをついてるのは先生の方じゃないですか! 先生のその胸は……はうっ!? 」
(……先生の胸? 胸の一体何がウソだと言うのだ?……)
先走った事に気付いて慌てて口をつぐんだシリルではあったが、図書館内に残っていた全ての生徒の視線が、アンヌフローリア女史の胸元に集中したのは事実。
そして事の真相を知るシリルは顔を青ざめながら額にびっしりと冷や汗を垂らし始め、アンヌフローリアはピタリと硬直しながら微動だにしなくなった。
「あ、あはは! あはは!……違う、違うんだよ! 先生の胸には夢……そう! 夢が詰まってるんだああ! 」
その場をなんとか取り繕う様に、その場しのぎの苦し紛れのセリフも不発。後にこれが伝説の事件として巷に広がり長く語り継がれるのだが、言われた側の当の本人はワナワナと顔を震わせながら背後から凶悪でドス黒いオーラを放ち始めた。
「アンヌフローリア先生の目が真っ赤じゃ」「大気が怒りに満ちておる。先生の怒りは大地の怒りじゃ! 」
と、どこぞのおばば様が言ったかどうかは定かではないが、買い物客でごった返す夕方の街では「顔を真っ青にしながら逃げる弟を、垂れる涙と鼻水をそのままに顔を真っ赤にしながら追いかける姉」……と、この話題で持ちきりであったそうだ。
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