4 / 25
4 風吹けば
しおりを挟む海斗の父、清水義之。
彼が帰らないってどうして、というかなぜ自分が訪問してからようやくそんなことを言い出すんだ、この男は。いったい何が目的で?
今夜は自分とそなたのふたりきりになるということか。それはそなたが敢えて仕組んだことなのか?
自分とふたりきりになっていったい何をしようというんだ。
そうしたもろもろの言いたいことは全部喉のところで止まってしまって、律の口からやっと出たのはこれだけだった。
「そ、そうですか」
情けない。
いや、なんにしても勝手に先走るのはよくない。勝手に海斗の内面を予想して断じてしまうのは失礼にあたるというものだ。疑問に思うことはちゃんと訊いて、はっきりさせてからでなければ、何も判断がつかないのは当然である。
律は深く息を吸ってから、訊いた。
「どうして?」
「は。本日から一泊二日の日程で出張だとのことで」
「そうじゃなくて。なんで今になってそれを?」
「あ……申し訳ありません。つい、言いそびれてしまいまして」
「……そうなんですか」
なんとなくぎくしゃくした空気が流れる。海斗もきっと、こうなることを予想していたのだ。だからこそ言い出しにくかったのに違いない。
ふたりともそこから少し言葉すくなになってしまったが、それでも予定通りにふたりでカレーを作った。せっかく食材を買ってきたのだし、もともとそういう約束だったのだ。ここで帰ってしまうようなことは、律だってやりたくなかった。
彼とふたりで料理をするのも、これで何度目かになる。最初のとき、あれほどあぶなっかしかった包丁を持つ手もだいぶマシにはなってきたようだ。なにより、ジャガイモの皮むきはかなりうまくなった。まあ、麻沙子による特訓の成果と、ピーラーという神の道具のおかげでもあるのだが。
「では、食べましょうか」
「はい。……いただきます」
海斗の腕前は当然のごとくで、カレーは至ってうまくできているようだった。ただ律には、いま何を食べているかも怪しかったけれど。
海斗がいつものように、夜のニュースを見るためにテレビをつけた。そのおかげで、途中で布を噛んで動かなくなったファスナーのようになった部屋の空気は、無機質なアナウンサーの声によってなんとなく中和されていく。
律も、ついほっとしてしまう自分を認めないわけにはいかなかった。
アナウンサーの声をワンクッションにして、特に興味もないニュースに無駄に反応したり、お互いにあたり障りのない話題をふったりして時間が過ぎていくのを待つ。
一番訊いてみたいことは、カレーを食べ終わってもやっぱり律の喉のところでひっかかったままだった。
「……もう、こんな時間ですね」
「ええ」
いつもならこの時間、遅くとも十時半ごろには義之が帰宅してきてお開きになる。彼がまだ帰宅していない場合、少しばかりのキスやハグをすることはあるけれど、それだって結局はその程度のことだった。
今夜の海斗は、いったいどうするつもりなのだろう。
自分の脳みそから一歩も外へ出ていかない思考がひたすら渦を巻いて、次第に律の頭は痛みはじめた。
空になった食器を食洗器に入れている間、海斗はもう一度コーヒーを淹れてくれた。
「……あの。俺、そろそろ」
「お待ちください」
コーヒーをいただいてそそくさと立ち上がりかけたところを、眼光だけで座り直させられてしまった。
こういうところは、さすがもと鎌倉武士、しかもそれをたばねる執権の立場にあった人というべきなのだろうか。
「お話がある、と申しました」
「…………」
そういえばそうだった。
いや、話があるなら食事中にでもすればよかったものを、とつい恨みがましく考えてしまう。その思いがあふれる目つきになってしまったのか、海斗はあっさりと「申し訳ありません」と白旗をあげた。
「お訊ねしたかったのはこのことです。このところずっと、なにかお悩みなのではないかと思って見ておりましたが……間違いないでしょうか」
「…………」
「こう言うと大変おこがましいようで恐縮なのですが……それは、自分に関することでしょうか」
律は唇を噛んだ。
これは、ダメだ。カレーを作り、食べている間もずっと、どうにか話を誤魔化せないかとあれこれ考えてみたのだけれど。これはどうやら無理そうである。彼は今夜、絶対に律を逃がすまいとずっと考えてきたというわけだ。
(……しかた、ないか)
律はとうとう観念して、言った。
「そうだよ。そなたのことを考えていた。……ずっと」
風吹けば 波うつ岸の 岩なれや かたくもあるか 人の心の
『金槐和歌集』(実朝歌拾遺)688
0
あなたにおすすめの小説
強制悪役劣等生、レベル99の超人達の激重愛に逃げられない
砂糖犬
BL
悪名高い乙女ゲームの悪役令息に生まれ変わった主人公。
自分の未来は自分で変えると強制力に抗う事に。
ただ平穏に暮らしたい、それだけだった。
とあるきっかけフラグのせいで、友情ルートは崩れ去っていく。
恋愛ルートを認めない弱々キャラにわからせ愛を仕掛ける攻略キャラクター達。
ヒロインは?悪役令嬢は?それどころではない。
落第が掛かっている大事な時に、主人公は及第点を取れるのか!?
最強の力を内に憑依する時、その力は目覚める。
12人の攻略キャラクター×強制力に苦しむ悪役劣等生
借金のカタで二十歳上の実業家に嫁いだΩ。鳥かごで一年過ごすだけの契約だったのに、氷の帝王と呼ばれた彼に激しく愛され、唯一無二の番になる
水凪しおん
BL
名家の次男として生まれたΩ(オメガ)の青年、藍沢伊織。彼はある日突然、家の負債の肩代わりとして、二十歳も年上のα(アルファ)である実業家、久遠征四郎の屋敷へと送られる。事実上の政略結婚。しかし伊織を待ち受けていたのは、愛のない契約だった。
「一年間、俺の『鳥』としてこの屋敷で静かに暮らせ。そうすれば君の家族は救おう」
過去に愛する番を亡くし心を凍てつかせた「氷の帝王」こと征四郎。伊織はただ美しい置物として鳥かごの中で生きることを強いられる。しかしその瞳の奥に宿る深い孤独に触れるうち、伊織の心には反発とは違う感情が芽生え始める。
ひたむきな優しさは、氷の心を溶かす陽だまりとなるか。
孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。
僕の恋人は、超イケメン!!
刃
BL
僕は、普通の高校2年生。そんな僕にある日恋人ができた!それは超イケメンのモテモテ男子、あまりにもモテるため女の子に嫌気をさして、偽者の恋人同士になってほしいとお願いされる。最初は、嘘から始まった恋人ごっこがだんだん本気になっていく。お互いに本気になっていくが・・・二人とも、どうすれば良いのかわからない。この後、僕たちはどうなって行くのかな?
平凡ワンコ系が憧れの幼なじみにめちゃくちゃにされちゃう話(小説版)
優狗レエス
BL
Ultra∞maniacの続きです。短編連作になっています。
本編とちがってキャラクターそれぞれ一人称の小説です。
異世界転移した元コンビニ店長は、獣人騎士様に嫁入りする夢は……見ない!
めがねあざらし
BL
過労死→異世界転移→体液ヒーラー⁈
社畜すぎて魂が擦り減っていたコンビニ店長・蓮は、女神の凡ミスで異世界送りに。
もらった能力は“全言語理解”と“回復力”!
……ただし、回復スキルの発動条件は「体液経由」です⁈
キスで癒す? 舐めて治す? そんなの変態じゃん!
出会ったのは、狼耳の超絶無骨な騎士・ロナルドと、豹耳騎士・ルース。
最初は“保護対象”だったのに、気づけば戦場の最前線⁈
攻めも受けも騒がしい異世界で、蓮の安眠と尊厳は守れるのか⁉
--------------------
※現在同時掲載中の「捨てられΩ、癒しの異能で獣人将軍に囲われてます!?」の元ネタです。出しちゃった!
【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
全8話
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる