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2 忍ぶれば
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ひさしぶりで顔を出した現代和歌愛好会には、あいかわらず少数の人しか来ていなかった。
なにより、会長である友森が四年生になったことが大きい。律もくわしいことまでは知らないが、彼は当初、大学院にいくことも視野に入れていたものの、どうやら結局、就職活動をすることになったようなのだ。
そんなわけで、この頃ではサークル室に集まっての活動よりも、オンライン上での交流が中心になってしまっている。
ちなみに本来「和歌」という名称は明治期以前の歌を指すもので、それ以降に詠まれた歌については「短歌」と呼称するようになったらしい。だが、このサークルではおもに友森の意向により、敢えてそれを「現代和歌」と呼んでいる。それがそのままサークル名にも反映されているわけだ。
今日も律と海斗のほかには二年生と三年生がそれぞれひとりずつ顔を出していただけだった。適当にお茶とお菓子で談笑したぐらいのもので、アルバイトがある者もおり、早々に解散となった。ほとんど短歌の話も出なかった。
「内気な人には、無理に自作の歌を見せるように迫らないよう気をつける」。これがこの愛好会の鉄則であり、そこがいいところでもあるのだけれど、集まる面子によってはまったく短歌の話にもならない……というのはいかがなものか。
歌が好きな律にとっては、やや食い足りない気持ちにもなるが、無理は言えない。いまのところ新入生の入会者もなく、律と海斗が最も「下っ端」であることに変わりはないからだ。
そのぶん溜まったフラストレーションは、かつて「匠作」と呼ばれた北条泰時であるところの海斗と、個人的に歌を見せ合って晴らすことになるのだった。
「このところ、律くんは積極的に現代言葉を使うようになったのですね」
「ああ、はい。古い言葉も美しくて好きなのですが、こういうのも新鮮味があっていいかな……と。おかしいでしょうか」
「とんでもない。新たな人生を得たのです。そこにはまた、新たな歌が生まれてしかるべきでしょう」
帰路を歩きながら静かに微笑んでくれる海斗はどこまでも優しい。人目がなければ、そっと手をつないでくれることもしばしばだ。彼は「別に人目があろうと構いません」と言ってくれるのだが、それは律のほうが落ち着かなくて耐えられない。
どうして日本という国は、かつてのように同性が愛し合うことにこんなにも寛容でなくなってしまったものだろう、と恨めしくも思う。もちろん近ごろではようやく、「LGBTQ」という言葉が広く流布されるようになり、少しずつ理解が進んでいるという気はするのだが。
SNSなどではそれに伴った論争も湧きおこり、様々な問題が出現しはじめてもいるようだ。
正直、そうした嵐からは遠く離れていたいと思う。
自分はただ、この人と静かに、日常の愛をはぐくんでいたいだけなのだから。
と、不意に海斗の手が自分の手をにぎってきたのを感じて目をあげた。その路地は少し狭くなっていて、周囲の建物がたくさんの死角をつくってくれている。
律はその手を握り返し、彼の顔を見上げて少し笑った。
一瞬目の前が暗くなったと思ったら、風のように触れるだけのキスが降りてきた。
「……もう。こういうのばかり得意になるんですね」
「申し訳ありません」
大して反省した風でもない返事がかえってくる。
でも、そういうのが好きだ。胸の中がじわじわと熱くなり、その熱がすうっと首や頬のほうまで上がってくるこのむず痒い感覚も。
「今日はバイトもありませんし。よかったらうちに来られませんか」
「えっ。いいんですか」
「もちろんです」
少し躊躇ったのは、やはりあの「悩み」がまだ胸にくすぶっているからだろう。しかし結局、それが律の首を横に振らせることはなかった。
大通りに出ると、握られていた手がするりと手の中から抜け出ていく。
……少し、名残惜しい。
「帰る前に、スーパーかコンビニに寄りたいのですが。よろしいでしょうか」
「も、もちろんです」
前世での関係はいったん忘れて、「律」と「海斗」になろうと約束したのは数週間前のことだ。しかしこの人は相変わらず、律儀にこちらの都合を聞いてくれる。
生真面目で誠実。おまけに見た目もすこぶるいい。こんな風で、女性にモテないわけがないのだ。
過去に女性と付き合ったことはあるらしいが、今のところ彼が相手とどの段階までの付き合いだったのかはまだ聞き出せていない。聞き出したい気持ちはやまやまだけれど、それに蓋をしておきたい気持ちのほうがはるかに凌駕してしまうのだ。
聞きたい。でも、聞きたくない。
女性の体と自分の体を比べられて、もしも万が一「やっぱりイヤだ」と思われたらどうしよう。と、このところはそんなことばかり考えているからだ。
律は胸のあたりをぎゅっと掴んで止めた息を、ゆっくりと吐きだした。
(……訊ける、だろうか)
今日、このまま彼の家に行くのなら。
これはもしかしたら、とてもいいチャンスなのかもしれない。
この男は男の自分と、いったいどこまでなら付き合ってくれる気があるのか、と。いやそもそも、自分にそこまでするような気持ちがあるのかどうか……と。
考えるほどに心音が大きく聞こえ始める気がして、律の体温が上がっていく。
「では、少しこちらに入りましょうか」
海斗はそんなことはまったく気づかぬ風で、やがて見えてきた自宅近くのスーパーになれた足取りで入っていった。
忍ぶれば 苦しきものを 山の端に さし出づる月の 影に見えなむ
『金槐和歌集』(実朝歌拾遺)694
なにより、会長である友森が四年生になったことが大きい。律もくわしいことまでは知らないが、彼は当初、大学院にいくことも視野に入れていたものの、どうやら結局、就職活動をすることになったようなのだ。
そんなわけで、この頃ではサークル室に集まっての活動よりも、オンライン上での交流が中心になってしまっている。
ちなみに本来「和歌」という名称は明治期以前の歌を指すもので、それ以降に詠まれた歌については「短歌」と呼称するようになったらしい。だが、このサークルではおもに友森の意向により、敢えてそれを「現代和歌」と呼んでいる。それがそのままサークル名にも反映されているわけだ。
今日も律と海斗のほかには二年生と三年生がそれぞれひとりずつ顔を出していただけだった。適当にお茶とお菓子で談笑したぐらいのもので、アルバイトがある者もおり、早々に解散となった。ほとんど短歌の話も出なかった。
「内気な人には、無理に自作の歌を見せるように迫らないよう気をつける」。これがこの愛好会の鉄則であり、そこがいいところでもあるのだけれど、集まる面子によってはまったく短歌の話にもならない……というのはいかがなものか。
歌が好きな律にとっては、やや食い足りない気持ちにもなるが、無理は言えない。いまのところ新入生の入会者もなく、律と海斗が最も「下っ端」であることに変わりはないからだ。
そのぶん溜まったフラストレーションは、かつて「匠作」と呼ばれた北条泰時であるところの海斗と、個人的に歌を見せ合って晴らすことになるのだった。
「このところ、律くんは積極的に現代言葉を使うようになったのですね」
「ああ、はい。古い言葉も美しくて好きなのですが、こういうのも新鮮味があっていいかな……と。おかしいでしょうか」
「とんでもない。新たな人生を得たのです。そこにはまた、新たな歌が生まれてしかるべきでしょう」
帰路を歩きながら静かに微笑んでくれる海斗はどこまでも優しい。人目がなければ、そっと手をつないでくれることもしばしばだ。彼は「別に人目があろうと構いません」と言ってくれるのだが、それは律のほうが落ち着かなくて耐えられない。
どうして日本という国は、かつてのように同性が愛し合うことにこんなにも寛容でなくなってしまったものだろう、と恨めしくも思う。もちろん近ごろではようやく、「LGBTQ」という言葉が広く流布されるようになり、少しずつ理解が進んでいるという気はするのだが。
SNSなどではそれに伴った論争も湧きおこり、様々な問題が出現しはじめてもいるようだ。
正直、そうした嵐からは遠く離れていたいと思う。
自分はただ、この人と静かに、日常の愛をはぐくんでいたいだけなのだから。
と、不意に海斗の手が自分の手をにぎってきたのを感じて目をあげた。その路地は少し狭くなっていて、周囲の建物がたくさんの死角をつくってくれている。
律はその手を握り返し、彼の顔を見上げて少し笑った。
一瞬目の前が暗くなったと思ったら、風のように触れるだけのキスが降りてきた。
「……もう。こういうのばかり得意になるんですね」
「申し訳ありません」
大して反省した風でもない返事がかえってくる。
でも、そういうのが好きだ。胸の中がじわじわと熱くなり、その熱がすうっと首や頬のほうまで上がってくるこのむず痒い感覚も。
「今日はバイトもありませんし。よかったらうちに来られませんか」
「えっ。いいんですか」
「もちろんです」
少し躊躇ったのは、やはりあの「悩み」がまだ胸にくすぶっているからだろう。しかし結局、それが律の首を横に振らせることはなかった。
大通りに出ると、握られていた手がするりと手の中から抜け出ていく。
……少し、名残惜しい。
「帰る前に、スーパーかコンビニに寄りたいのですが。よろしいでしょうか」
「も、もちろんです」
前世での関係はいったん忘れて、「律」と「海斗」になろうと約束したのは数週間前のことだ。しかしこの人は相変わらず、律儀にこちらの都合を聞いてくれる。
生真面目で誠実。おまけに見た目もすこぶるいい。こんな風で、女性にモテないわけがないのだ。
過去に女性と付き合ったことはあるらしいが、今のところ彼が相手とどの段階までの付き合いだったのかはまだ聞き出せていない。聞き出したい気持ちはやまやまだけれど、それに蓋をしておきたい気持ちのほうがはるかに凌駕してしまうのだ。
聞きたい。でも、聞きたくない。
女性の体と自分の体を比べられて、もしも万が一「やっぱりイヤだ」と思われたらどうしよう。と、このところはそんなことばかり考えているからだ。
律は胸のあたりをぎゅっと掴んで止めた息を、ゆっくりと吐きだした。
(……訊ける、だろうか)
今日、このまま彼の家に行くのなら。
これはもしかしたら、とてもいいチャンスなのかもしれない。
この男は男の自分と、いったいどこまでなら付き合ってくれる気があるのか、と。いやそもそも、自分にそこまでするような気持ちがあるのかどうか……と。
考えるほどに心音が大きく聞こえ始める気がして、律の体温が上がっていく。
「では、少しこちらに入りましょうか」
海斗はそんなことはまったく気づかぬ風で、やがて見えてきた自宅近くのスーパーになれた足取りで入っていった。
忍ぶれば 苦しきものを 山の端に さし出づる月の 影に見えなむ
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