血と渇望のルフラン

るなかふぇ

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第六章 罠

4 バルコニー

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「おン前。さすがに、あれはねえべ?」
「って……な、なにがだよ」

 おしゃれなまるいバルコニーの手すりに腰をもたれさせる格好で、凌牙は腕組みをして俺を睨み据えている。外はもうすっかり夜で、広い庭の木々の梢の間をときどき風が通り抜ける音がしていた。
 俺はさっき怜二から受けたショックからまだ立ち直れず、ひどく所在ない気分でぼんやりとそこに立っているばかりだ。
 凌牙は頭をがしがし掻いて、だはーっと息を吐きだした。

「敵に塩を送るような真似なんざ、てんでガラじゃねえんだが。この際もう、しょうがねえ。教えといてやる。あの野郎には言うなよ」
「はあ? なんだよ……」
 俺の声はまるきり自信なさそうに、夜の空気に吸い込まれて尻すぼみになった。凌牙はぐいと人差し指を俺の鼻先につきつけた。
「てめえがあのおっさんモスキートに攫われた日な。……あいつ、相当だったんだかんな。目もあてらんねえって、あれのこったわ」
「え? どういうことだよ」

 俺はぽかんと凌牙を見返した。
 凌牙がじろりと俺を睨み返す。

「『半狂乱』って聞いたことあるか? まさにアレよ。あいつ、あの日はほんとそんな感じで、ブチ切れちまってよ。ったく、手ぇつけらんなかったんだぜ? 死人が出なかったのが不幸中の幸いだったわ。マジでよ」
「えええ? まさか……」
 あの怜二が? 冷静沈着が服を着て歩いてるみたいなあいつが? ちょっと信じられない。
「そのまさかなんだよ」
 太いため息をもう一度吐き出してから、凌牙は話しはじめた。

 あの夜、この邸から俺が忽然と姿を消した日。
 クロエが気を失う寸前に《警報》を発令してくれたおかげで、怜二はすぐに危機を察知した。でも、飛んで行った先のトイレの床に残されていたのは、傷ついて気を失ったクロエだけだった。
 どうやらシルヴェストルが邸のメイドをしているヴァンピールを喰い、それに化けて、いつのまにか俺たちのすぐそばに潜り込んでいたらしい。調べていくうちにだんだんと細かい状況がわかってきて、怜二の様子はどんどんおかしくなっていった。

「ひでえもんだったぜ。あの野郎、髪を掻きむしって叫ぶわ、暴れるわ。で、お前を追いかけるっつっていきなり変身しやがって。今にも飛んで行こうとしたけど、そんな闇雲に探したって見つかりっこねえし。で、手下のヴァンピールたちがあいつに取り付いて、あれこれなだめにかかったんだがよ──」

 怜二は、なんとか自分を止めて落ち着かせようとしてくる手下のヴァンピールたちを、巨大化した爪でいきなり引き裂いたらしい。凄まじい形相で「やかましい! 邪魔をするなああッ!」って叫んで。手下のヴァンピールの身体はずたぼろになって、あっという間に半死半生の状態になった。
 すぐに周りのヴァンピールたちが傷ついた仲間を引き下がらせて、なんとか一命はとりとめたらしいけど、そのままだったら本当に危なかったんだって。その時の部屋は飛び散った血にまみれてめちゃくちゃになり、内装をやり直すのにかなり手間もかかったらしい。

「俺らも周りじゅうから抑え込んで、耳元で怒鳴ってやった。『俺らも一緒に探してやる。俺らの鼻と、お前らの機動力がありゃあ必ず望みはある。だから落ち着け』ってよ。それで奴さん、ようやくちょっとマトモになりやがったんだ」
「そんな……。あの怜二が?」
 呆然と立ち尽くす俺を、凌牙が不思議な目の色をして見返した。
「そりゃそうだろ。お前が子どものころから……いや、おふくろさんの腹ん中にいたときから、育っていくのを大事に見て来たんだろうが。文字通り、『掌中しょうちゅうたま』ってやつよ。狂いかけるのも無理ねえぜ? もう単純に、『自分の食い物だ』なんて思ってねえからこその反応だろ。そこは理解してやれってのよ」
「…………」
「んだからよ。あんまり残酷なことしてやんな。お前もよ」
「え……」
 残酷。
 俺、残酷だったの……?
「お前の前じゃ、あれでもカッコつけてんだよ、あの野郎も。でも、今にもお前があのジジイ蚊トンボに食われるかもしれねえって状況になったら、一気にあそこまで壊れやがった。なりふり構ってられなくなった。……お前のためだからだ。それがなんでだか、分かんだろ? さすがにそこまで鈍くねえわな? いくらお前でもよ」
「りょ、凌牙……」

 鈍いって、ひでえな。でも今は、さすがにまったく反論できない。

「俺やあいつが遠慮してんのはわかってんよな?」
「え? 遠慮……?」
 ほんとにしてたか、そんなもん。俺が変な顔になったからだろう。凌牙はいかにも不服そうに鼻を鳴らした。
「そりゃ目いっぱいたあ言わねえが。してんだよ、これでも。遠慮ぐらいよ」
「そ、そうなのか」
 凌牙が、ぴっと人差し指を立てた。
「理由はひとつ。相手が人間の女だから、だ。そこは俺らだって一応考えてんだよ。それがお前にとって、一番幸せになれる形だなんてこたあ百も承知だし。まあ、お互い抜け駆けはしねえって約束もしたことだしよ」
「そか……」
 俺は思わず足もとを見た。
「そもそも俺らみてえな人外が、お前を欲しがること自体が間違ってんよ。そりゃわかってる。俺だって、あいつだってな。本当なら、お前がちゃんと人間の女──ま、男かもしんねえが──それと幸せになんのが筋だっつうのもな。わざわざ誰かに説教されるまでもねえわ」
「凌牙……」

 聞いているうちに、俺の胸はしくしくと痛みを訴え始めている。
 凌牙はじいっと俺の表情を値踏みするように見つめてちょっと黙った。

「『本当に好きなら相手の幸せを願えるはず』みてえなお題目はいくらでも聞く。そんなこたあ俺らにだってわかってる。ほんとはそう言えるのがで、かっけえんだってことも。でも、しょうがねえわな? そんな、綺麗ごとで済まねえわな?」

──『好きに、なっちまったもんは』。

 凌牙の声は、最後のところでちょっとかすれた。

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