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第四章 暗躍
4 捕食 ※
しおりを挟む次に目を開けたら、また別のホテルらしい部屋の中だった。
何度も気を失わされていて、もう今が何日の何時かもわからない。今のここは、前の部屋よりもまた一段と広くてグレードの高そうな部屋だった。
ベッドは恐らくキングサイズ。
なんのためにそんなに広いのかなんて、あまり考えたくなかった。
「う……っつ」
やっぱり起き上がれない。別にどこも拘束されてるわけじゃないのに、体が異様に重かった。頭がガンガンする。口の中がからっからに乾いていて、舌が貼りつき、動かすと痛いぐらいだった。
「起きたね。食事でもするかい?」
冷たいのに、ごく気さくな声。いやに自然な声音だった。シルヴェストルはやっぱり、部屋の隅に溜まった影の中から溶け出るみたいにして現れた。今はだいぶ砕けた格好で、スラックスとシャツだけの姿だ。胸元を少しはだけた姿が、いやに色っぽい。
気分としてはもう、大声で「いらねえ」って言いたいとこだったけど、俺の声帯は前回以上に言うことをきかなかった。シルヴェストルは丸い蓋をしたままテーブルの上に置かれていた料理の載った盆をひょいと持ち上げて、こっちへやってきた。
「まだ冷めてないと思うよ。先に水がいいかな?」
言って渡されたペットボトルの水を、俺は奪い取るみたいにして受け取って一気飲みした。水はよく冷えてて、うまかった。なんかようやく人間に戻った気分だ。
「もしかして毒が入っているかも」とかなんとか、あんまり考える余裕がない。そのぐらい喉が渇いていた。それに、なんとなくこいつはそういうセコい真似はしなさそうな気がした。逆に、もっとずっとひでえ真似ならするんだろうなとは思ったけどさ。想像はしたくねえけど。
俺はそのまま、何も考えずにベッドサイドテーブルの上に運ばれて来た料理にもがっついた。めちゃくちゃ腹が減っていたからだ。腹が減りすぎて音もたたねえ。童謡にもある、お腹と背中の皮がくっつくっていうアレだ。
料理は、スープとかリゾットとか、比較的消化によさそうなものが中心だった。こいつが注文したのかと思うとなんだか妙な気分になったが、どれもひどく美味かった。
ここ、かなりいいホテルらしいな。そして恐らく、鷹曽根グループ傘下のホテルじゃない。当然だけど。
俺はしばらく、ものも言わずにスプーンと口を動かすことに集中した。「腹が減っては戦ができぬ」。じいちゃんがよく言ってるもんな。
シルヴェストルはその間ソファに座って、面白そうにずっと俺を眺めていた。
「てめえ。どういうつもりだよ」
ようやく少し声が出るようになって、俺はスプーンを放り出し、シルヴェストルを睨みつけた。
「さあ? どういうつもりなんだろうねえ。君はどう思う?」
「知るかよ」
モデルみたいなすらっとした体形の男が、思わせぶりに腕を組んで頬に指を添わせ、ちょっと首なんか傾げてくる。ひどく透明感のある微笑み。悪意や罪悪感なんて、毛ほどもなさそうで純真な。じっと見てると、なんだか自分の認知機能を疑いそうになってくる。
……どこか怜二に似てるんだよな、こいつ。血の与え主だからなんだろうか。
「君がとっても美味しそうなのは事実だ。まさに千年にひとりの逸材だよ。それに加えてあの子のお気に入りだっていうのも、とても気になる要素だね。その大事な大事な君を奪い去って、私の好きなように調教するのはとても楽しそうだった。……あまり長いこと生きていると、世界と人生のあらゆることに飽き飽きしてくるものだからさ」
なんかちらりと聞き捨てならねえ単語が聞こえたが、俺は敢えてそれを無視した。
「だったら死ねばいいんじゃね? 簡単なんだろ、あんたらには」
そんなに人生に飽き飽きしたんなら、昼間に外へ出て太陽に身を晒し、あっさり塵に還ればいい。
怜二の作ってるみたいな薬さえ使ってなければ、こいつらは人間なんかよりもよっぽど簡単に死を選べる。なんなら死体も残らねえし、誰にも迷惑は掛からない。人間なんかより、よっぽどお手軽にこの世界から消えられるんだ。
シルヴェストルは冷たい視線をこっちによこした。顔は相変わらず笑ったままだったけど、瞳の奥にはちらりと不穏な色が漂っているのが俺にもわかった。
「ヴァンピールは基本的に、君たちほど希死念慮が強くないんだ。生に対する執着という点では、君たちよりずっと貪欲かもしれないね。まさに宿業だよ」
「あと、食欲もな。そうだろ?」
「さあ、それはどうかなあ。君たち人間だって、そちらは大したものだと思うけどねえ」
「わっ。なんだよっ!」
思わず大きな声が出た。
なんでって、男があっさり俺をベッドに押しつけて、上にのし掛かってきたからだ。
「だから。『調教する』って言っただろう。君たちは私たちの食料なんだよ。君たちだって、食料にする生き物をあれこれと調教するだろう? ご主人様の言うことをちゃんと聞くようにさ」
「どっ、どけよっ! くそっ、てめえ、どきやがれ!」
「だーめ。抵抗しても無駄だよ。早めに諦めたほうがいいと思うよ? 余計な痛い目にあわずに済むし」
「うるっせえ!」
俺はあまり動かない身体で、それでも必死に抵抗した。いや、したつもりだった。でもシルヴェストルの力は凄まじくて、手も足もほとんどぴくりとも動かせなかった。さすがは年の功。こういう場面で人間を抑え込むコツみたいなものも、とっくに熟知しているんだろう。
そのままぐぐっと、その非の打ち所のない綺麗な顔が俺の顔に寄せられてくる。
俺は思わず、ぎゅっと目をつぶった。
必死に顔をそむけようとするけど、あんまりうまくいかない。
「んう……っ!」
俺の口に、冷たくて柔らかいものが触れた。柔らかいけど冷たい肉が、ぺろりと俺の唇を舐める感触。
俺はさらにじたばた暴れた。けど、やっぱりほとんど動けなかった。
噛みしめていたつもりが、いつの間にか口を開けさせられている。顎を掴まれ、両側をぐいと指で押し込まれたからだ。とても抵抗できなかった。
次にはもう、シルヴェストルの舌がぬるっと俺の中に這いこんできた。
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