上 下
48 / 52
おまけのおはなし2 ロマン君のおたんじょうび

21 侍従の覚悟

しおりを挟む

「自分と、共に生きてくださいませぬか。この命と生涯を懸けて、あなた様と共におりとうございます。……これより、この命の続く限り」

 ロマンはぽかりと口を開けた。
 完全に我を忘れて、呆然と黒鳶を見下ろす。
 黒鳶の目はいつも以上の真摯な光を湛えたまま、じっとロマンを見据えていた。

 早く応えなくては。
 ──はやく。

 そう気持ちは焦るのに、必死に空気を吸い込もうとしているのに。ロマンの口も肺も、ちっとも言うことを聞いてくれない。

「あ、……あああ、あの、あの──」

 いつもならすらすら出てくるはずの言葉が、全部喉の奥のほうでひっかかって出てこない。ロマンはまた、ハクハクと口を開閉した。そうやったって、ちっとも酸素は取りこまれてこなかった。
 ロマンの手を握る男の手が、ぐっと力を増す。
 精悍な顔に、冷水を浴びたみたいな色がさっとよぎった。

「……おいやですか」
「な、わけないっ……!」

 遂に叫んだ。
 と同時に、がくりと膝の力が抜けた。
「ロマン殿……!」
 驚いた黒鳶がそのまま抱きとめてくれる。

「も……もうっ。び、びっくりさせないで、くださっ──」

 後半はもう、ぐしゃっと涙に紛れて言葉にならなかった。両手で顔を覆って、それごと男の胸に押し付ける。男の両腕が背中にまわり、やがてぎゅっと抱きしめてきた。
「……左様に意外でしたか」
 ぼそっと言う男の声は、なかなか複雑な彼の心情を表現しているように聞こえた。なんとなく安堵したような、または心外そうな。
「自分が、左様な約束もせずにあのような行為に及ぶ男だと?」
 こっちは「心外」の部分だろう。
「そっ、そういうわけじゃありませんっ……!」
 ぱっと顔を上げて抗議したが、頬がもうぐしゃぐしゃに濡れていて格好なんてつかなかった。

「びっくりした、だけですっ……! こんな、急に……準備できないっ。僕、なにも準備できないじゃないかあっ!」
「準備?」黒鳶が眉をぴくりと動かした。「と申されますと」
「もうっ。だから、気持ちの準備ってものがあるでしょう! こんなの反則だもん。やり直し。僕、かっこ悪すぎ。やり直してようっ!」
「は。ご要望とあらば、何度でも」

 言って黒鳶はロマンをすくっと元通りに立たせると、先ほどと寸分たがわず、同じ姿勢にビタッと戻った。さすがは忍び。

「ちがーう! そうじゃな──いっっ!」

 ロマンは遂に爆発した。地団駄を踏んで、ぱっと黒鳶の首っ玉にしがみつく。

「バカ。バカバカ!」
 
 ──うれしい。

「は?」
「うれしいようっ……! 黒鳶どのおっ……ふ、ふえええっ」

 そこからもう、わんわん大声で泣きじゃくった。両手で顔をこすってもこすっても、大粒の涙がどんどん落ちた。周囲に誰もいなかったことが幸いだった。
 黒鳶はしばらく困り果てたようにロマンを抱きしめ、赤子にするように背中を叩き、指の甲で涙をぬぐい、優しく髪を撫でてくれた。結論から言うと、それで余計にロマンの涙は止まらなくなっただけだったが。
 やがてロマンの声がしゃくりあげる程度まで落ち着いてきたところで、黒鳶は少し体を離した。

「もうひとつ、確認しておかねばならぬことがございます。こちらも大切なお話です。少し落ち着いて聞いていただけましょうか」
「は、はい……?」

 見返す黒鳶の瞳はどこまでも真摯だった。だがそのどこかに深い悲しみの色があることを、ロマンはなぜか知っていた。

「自分は、斯様かような仕事をしております」
「あ……はい。そうですね」
 そこで、黒鳶はロマンの手を引き、ともに立ち上がって海の方を見た。ロマンもつられるようにそちらを見る。
「自分の仕事は、この命を賭けてユーリ殿下をお守りすることです。それが、皇太子殿下から授かった大切な使命にございますれば」
「……はい」
 
 何が言いたいのだろう。
 いや、ロマンは知っていた。
 恐らくこういう場面になって、黒鳶がきっと言うだろうと思ってきた台詞。それを今、彼が本当に言おうとしているのだということが。
 黒鳶の指が、すいと目の前の断崖絶壁を指さした。

「たとえば。今ここに、あなたとユーリ殿下がぶらさがっておいでだとする」
「…………」
「その時、自分はまずユーリ殿下をお救いせねばなりませぬ。ひとりを救えば、必ずもうひとりが落ちると分かっていたとしても。……それが、自分の使命ですゆえ」

(……!)

 ずくん、と胸の奥がきしんだ。
 いや、わかっている。そんなことは知っている。
 ロマンはきゅっと唇を噛んだ。

(馬鹿にするなよ)

 そうだ。バカにしてもらっては困るのだ。そんなことはロマンだって、この二年の間に何回も、何十回も考えて来たことなのだから。
 鳩尾のあたりから、大きな熱量がほとばしるように生まれてくる。
 それは怒りでもあり、覚悟でもあり……そして、たぶん悲しみでもある。
 恐らくそれが、貴人に仕える人間としての最終最後に残る覚悟だ。

 目元に残っていた涙の雫を荒っぽく手の甲で払うと、ロマンはきゅっと顎を上げた。まっすぐに男の目を見る。

「……わかっております」
「ロマン殿」
 黒鳶の瞳が微妙に揺れた。
「左様なこと、このにわからぬとでもお思いでしたか」
 男は沈黙し、唇を引き結んだ。一度ぎゅっと目を閉じてから開き、ゆっくりとかぶりをふる。
「……いいえ」
「僕だって同じです。今の滄海は平和です。だからそんなことはまずないでしょう。心からそう望みます。けれど、もしも黒鳶殿とユーリ殿下が同時に命の危険に晒されていて、どちらか片方しか救えないという事態になったら──」

 彼の瞳から目をそらさないまま、両の拳を握りしめる。

「私は迷わず、ユーリ殿下を選びます。そこは、お覚悟していて頂きたい。……あなたこそ、です」

 そうだ。
 だからこんなものは、せいぜいがだ。
 この男にだけ貴人の側付きとしての矜持を見せつけられて、黙っていられるロマンではない。

「無論です」

 黒鳶のいらえはごくあっさりしたものだった。
 だが決して軽くはない。
 むしろそれだけに、この男の普段からの覚悟のほどが見えるものでもあった。

「ですが、ロマン殿。これだけは申し上げておきたい」
「はい?」

 今度は何を言い出すのか。
 思わずロマンは身構えた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

寮生活のイジメ【社会人版】

ポコたん
BL
田舎から出てきた真面目な社会人が先輩社員に性的イジメされそのあと仕返しをする創作BL小説 【この小説は性行為・同性愛・SM・イジメ的要素が含まれます。理解のある方のみこの先にお進みください。】 全四話 毎週日曜日の正午に一話ずつ公開

放課後教室

Kokonuca.
BL
ある放課後の教室で彼に起こった凶事からすべて始まる

お客様と商品

あかまロケ
BL
馬鹿で、不細工で、性格最悪…なオレが、衣食住提供と引き換えに体を売る相手は高校時代一度も面識の無かったエリートモテモテイケメン御曹司で。オレは商品で、相手はお客様。そう思って毎日せっせとお客様に尽くす涙ぐましい努力のオレの物語。(*ムーンライトノベルズ・pixivにも投稿してます。)

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

大学生はバックヤードで

リリーブルー
BL
大学生がクラブのバックヤードにつれこまれ初体験にあえぐ。

総受けルート確定のBLゲーの主人公に転生してしまったんだけど、ここからソロエンドを迎えるにはどうすればいい?

寺一(テライチ)
BL
──妹よ。にいちゃんは、これから五人の男に抱かれるかもしれません。 ユズイはシスコン気味なことを除けばごくふつうの男子高校生。 ある日、熱をだした妹にかわって彼女が予約したゲームを店まで取りにいくことに。 その帰り道、ユズイは階段から足を踏みはずして命を落としてしまう。 そこに現れた女神さまは「あなたはこんなにはやく死ぬはずではなかった、お詫びに好きな条件で転生させてあげます」と言う。 それに「チート転生がしてみたい」と答えるユズイ。 女神さまは喜んで願いを叶えてくれた……ただしBLゲーの世界で。 BLゲーでのチート。それはとにかく攻略対象の好感度がバグレベルで上がっていくということ。 このままではなにもしなくても総受けルートが確定してしまう! 男にモテても仕方ないとユズイはソロエンドを目指すが、チートを望んだ代償は大きくて……!? 溺愛&執着されまくりの学園ラブコメです。

処理中です...