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おまけのおはなし2 ロマン君のおたんじょうび

20 イルカ

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 ホテルに滞在してとうとう六日目。明日は帝都に帰る日になってしまった。
 その日は黒鳶にいざなわれるまま、島の裏側へと足を延ばした。
 やや小さめの丸い湾になった場所に、イルカの飼育施設がある。そこで観光客向けの「イルカと泳ごう」イベントが二日おきぐらいで催されているらしい。えらのない客は水辺で、鰓のある者はもっと沖のほうまで出て泳げるのだそうだ。用意のいい客はみんな、尾鰭おびれまでしっかり用意している。

(ほんとうにイルカと泳げるんだ! すごいなあ……)

 水空両用の飛行艇の中から見たことがあるだけの、あの流線形の美しい生き物。かれらと泳げると知って、ロマンの胸はいやが上にも期待に高鳴っている。
 いま二人は、最低限の荷物──要するに水着──だけ持って、島内移動用のエア・バスに乗り、こちら側へ来ている。エア・バスはエア・カーの大型版とでもいったところで、一度に客を数十人乗せることが可能な乗り物だ。

 今日はふたりとも浴衣姿。この島では最初から水着のままだったり、「アロハ」などと呼ばれる派手な柄のシャツを着ている者が多いけれど、わりに浴衣を着て歩いている観光客もよく目にする。滄海のもともとの文化の所以ゆえんだろう。脱ぎ着がしやすく、涼しいのと、男女ともなんともいえない色気が醸し出せるのが人気の秘密なのかもしれない。
 ……いやまあ「色気」に関しては、着る人によって大いに左右されるわけだけれども。

(まったくもう……!)

 例によって黒鳶のきりりとした紺地の浴衣姿は、観光客の女性の視線を集めまくっている(もちろん中には男性もいる)。ロマンは気が気でないやら腹がたつやらで、精神的に大変いそがしかった。
 当の黒鳶はそんな視線など完全に「柳に風」とばかりに受け流しているというのに。基本的にこの男、殺気以外のものはどうでもいいのではないだろうか、とちらりと考えてしまうほどだ。

 表側にもあった荷物預かりのシステムに衣服を預け、二人は水着とラッシュガードを着こんで水辺に向かった。
 インストラクターの事前説明のあと、十数名で水に入る。ここも表側と同様、獰猛な肉食魚が入り込んでこないように広い生けの状態になっているのだ。

 よく訓練され、人間慣れした数頭のイルカたちはとても素直な可愛い目をしていた。みんな、客の前や後ろを並走しては、上になり下になりしてくるくると楽しそうに泳いでいる。時には人を背びれに掴まらせてくれて、飛ぶように泳いでくれる。客たちは歓声をあげ、みんな一様に笑顔になった。
 イルカはとても賢くて好奇心が強い生き物であるらしい。野生のイルカは船から転落するなどして遭難した人間を助けてくれることもある一方、水面にいた人にわざと何度もし掛かってきて沈め、溺れさせることもあるのだとか。
 それらはすべて、かれらがただ「面白がって」やっていることに過ぎない、という研究者もいるという。知能の高い生き物は、それだけ「遊び」を必要とするのだ。

 インストラクターの女性の許可を貰って体表に触れてみたら、イルカの青みがかった灰色の肌は弾力があり、高級なゴム製品のような手触りだった。筋肉がみっしりと詰まった太い尾鰭で力強く水を叩いてぎゅんぎゅん進む。水中を自在に泳ぎ回るその姿は美しく、見ているだけでも本当に楽しかった。
 ロマンは思わず、隣を泳いでいる黒鳶の手をにぎった。
 男の顔を見て、精一杯の笑顔を見せる。

《素敵です。こんなの初めて。僕、絶対に忘れない。……ありがとう、黒鳶どの》
《いえ。気に入っていただけて何よりです》

 男は目と口のだけでわずかに微笑み返してくれた。





 浴衣姿に戻り、イルカ施設のそばで食事をとって、ふたりはエア・カー・タクシーでまた別の場所を目指した。
 そこは、高い岬が海のほうへぐうっと張り出している場所だった。岬の先端にはちいさな展望施設がある。大理石のような石づくりの床に簡単な手すりがつけられ、色とりどりの美しい花々が飾られていた。

「わあ、いい眺めですねえ──」

 やや傾いた陽光が頬に当たるのを感じながら、ロマンは感嘆の声をあげた。
 水平線がずうっと、見渡すかぎりに続いている。波が陽の光をうけてきらきらと美しい。遠くにはもくもくと湧きあがった白い雲が偉そうな顔をして浮かんでいる。
 眼下には、午前中に泳いでいたイルカと泳ぐ施設も見えた。

「ロマン殿」
「はい?」

 と軽く振り返ってびっくりした。
 黒鳶がその場に片膝をついて、ロマンをじっと見上げていたのだ。
 思わずたじろいで、一歩さがった。

「ど……どうしたんです? 急に」
「少し、お聞きいただきたいことが。よろしいでしょうか」
「え、えと。はい……?」

 しどろもどろになっているロマンの手を、黒鳶がそっと取った。
 自然、びくっと軽く飛び上がってしまう。

後先あとさきになってしまい、まことに申し訳もございませぬ。……なれど」

 そこでひとつ呼吸を整えている。
 この男にしては非常に珍しいことだった。
 いや多分、天地がひっくり返るぐらいには珍しい。驚天動地というやつだ。
 と、黒鳶の薄めの唇がようやく動いた。

「自分と、共に生きてくださいませぬか。この命と生涯を懸けて、あなた様と共におりとうございます。……これより、この命の続く限り」

 ロマンはぽかりと口を開けた。
 完全に我を忘れて、呆然と黒鳶を見下ろす。
 黒鳶の目はいつも以上の真摯な光を湛えて、じっとロマンを見据えていた。
 
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