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おまけのおはなし2 ロマン君のおたんじょうび
12 ラッシュガード
しおりを挟むせっかく海岸のホテルに泊まっているわけなので、その日は朝食のあと、近隣をぶらぶらしようということになった。もちろんロマンの希望である。海が目の前にあるのだし、できれば海水浴なども楽しみたい。そのためには水着だって要るはずだった。
「それにしても、滄海の皆さんは安全に海水浴ができていいですよね? みんなではないですけど、鰓があれば溺れませんし」
ホテル街のすぐそばにある大きなショッピングモールの中を歩きながら、ロマンは隣の黒鳶を見上げた。
「左様ですね。海岸では鰓のある者とない者とで、泳げる範囲にも異なる制限が設けられております」
「わ、そうなんだ。なるほど……」
ロマンはとにかく上機嫌である。
なんと今、ふたりは手をつないで歩いているのだ!
ロマンが望み、黒鳶がすぐに了承してくれた。これもアルネリオだったら考えられない。同性婚が普通に認められている滄海では、こうしておおっぴらに「男同士でお付き合いをしています」と見せびらかしたって誰にも咎められないし、別に変な目でも見られないのだ。
実際道ゆく人たちは、男女の別を問わず仲良さそうに腕を組んだり手をつないだりして歩いている者が多かった。時おり口づけを交わす姿も散見される。
(いいなあ……滄海。こんなに自由でいいなんて)
いつものことだが、ため息がでるほど羨ましくなる。もしもアルネリオの街なかでこんな風に歩いていたら、「街の風紀を乱した」とかなんとか言って、ひどい場合にはそこらの警備兵につれて行かれさえしかねない。そのぐらい、あちらの感覚はまだ古いものなのだ。
(父上と母上はどう思うかな……。きょうだいたちはどう思うだろう)
そう考えると、正直ちょっと気持ちが塞ぐ。家は長兄が継ぐことが決まっているし、その兄にもし何かがあっても、次兄もいれば三男の兄もいる。ロマンみたいなずっと下の弟にそのお鉢が回ってくるとはまず考えられない。
滄海でなら同性であっても子供を儲けることができるし、きっとあの父母なら反対はするまいと思っている。それに、同性での婚姻をもし馬鹿にでもしようものなら、それはすなわちユーリ殿下への不敬になる。一応は貴族の身である父母がそんなことを言うとは思われなかった。けれど、それでも不安にならないはずがない。
そんなことに気をとられていたせいで、黒鳶がふと立ち止まってこちらを見ているのに気づくのが遅れてしまった。
「あ……ごめんなさい。なんでしょう」
「ご気分がすぐれませんか。もう宿へ戻りましょうか」
男の声はいつものとおりの静かさだ。
「えっ。いえ! 違います。大丈夫……!」
ロマンはぶんぶん顔を横に振った。
男はそうですかと低く言ったが、その瞳から心配そうな色は去らなかった。
「今日は、先にこちらに寄ろうと思っていましたが。構いませぬか」
「え?」
見れば目の前に並んだ大きなショーウインドウの中に、今ではすっかり見慣れた衣服が飾ってあった。浴衣だ。
「あなたのものも必要でしょう。さ、どうぞ」
言って黒鳶はロマンの手を引き、さっさと中へ入っていく。
「え、でも……黒鳶どの! ぼ、僕はもう持ってますから──」
「あれはもう丈が短くなっているでしょう。近頃、かなり背が伸びられたので」
「あ……」
そうだった。
ユーリ殿下を見下ろしてしまう心配をせねばならないほど、この二年でロマンの背はかなり伸びてしまっている。考えてみれば、上の兄たちは長身ぞろいだ。一番上の兄など、威厳はともかくあの玻璃殿下にも負けないほどの大柄な男である。父もそうだし、もしかしたら遺伝的にそういう家系なのかもしれない。
(黒鳶どのより高くなっちゃったら……ちょっとイヤだな)
実は密かにそんな風に思わないでもなかった。黒鳶は十分長身ではあるけれど、玻璃殿下ほどではない。もしも今後もっと伸びることになって、彼を見下ろすようなことになったらどうしよう。ついついそんなことを考えて心配になるロマンだった。
「こちらはいかがでしょう。ロマン殿」
店に入って店員とともにあれこれと浴衣を物色していた黒鳶が、中のひとつ持ってきてロマンの胸にあて、鏡を見せた。白地に水が流れるような藍の縦縞。そこに、さらさらと涼感のある竹葉の意匠が描かれた品だった。
「涼しげでよくお似合いです。お客様のお顔にも映えますわ」
店員の中年女性がにこやかに、押しつけがましくない程度の褒め言葉を述べる。その品は若々しさはありながらも、前の蜻蛉柄のものよりも一段大人びたものに思われた。
「あ……はい。いいですね。着やすそうです。黒鳶殿はどう思いますか?」
ちらっと見上げると黙って頷き返された。「似合っている」という意味だ。いやもちろんこの人なら「ロマン殿にはどんなものでもお似合いです」などと平気で口にしそうではあるけれど。
購入した浴衣の袋を手に、黒鳶はまたロマンの手を引き、別の店に赴いた。
そこではちょっと、彼とひと悶着あった。
「あの、黒鳶どの? 僕、水着だけでいいんですけど……」
「なりませぬ」
なぜか男はここのところだけは頑なだった。さっきから、どうしても上に着る日よけの上着を買うと言って聞かないのだ。「パーカー」とか呼ばれるフードのあるデザインだったが、品物には「ラッシュガード」という見慣れない品名が付けられている。薄い水色で、長袖だ。
「いくら殿下が『断るな』とおっしゃったとは言っても……。そんな、無駄遣いばかりしては申し訳が立ちませんし」
「ご心配なく。こちらは自分で支払います」
「よ、余計に頂けませんっ!」
必死でラッシュガードを押し戻したら、黒鳶がすうっと目を細めた。低い声で「こちらへ」と言うが早いか、有無を言わさずロマンの腕を引いて、そばの姿見の前に連れていく。
「な、なんですか──うわっ?」
言った途端、着ていたシャツの襟をくいっと引き下ろされた。思わず鏡の方を見て、ロマンはぎょっと固まった。
首筋に、昨夜つけられた黒鳶の「所有の証」が大きな顔をして居座っている。
鏡の中の黒鳶と目が合った。
「自分は断じて許すつもりはありませぬ。これを他人の目に晒すなど、断じて」
「くっ……くく黒鳶どのっ……!」
そんなの分かりたくもなかったけれど、いやというほど分かってしまった。
今、自分の顔がどれぐらい茹で上がっているかなど。
夢中で男の胸を軽くぽかぽか殴りつけたら、男はそのままぎゅっとロマンを抱きしめてきた。そのまま、ちゅっと耳に口づけられる。
「これで済むと思っておいでか。……今宵は、さらに増えますぞ」
「ひいいっ!」
もう必死だった。ロマンは放っておくとさらに何かとんでもないことを口走りそうな男の口を、両手でしっかりと塞いで叫んだ。
「わかった! わかりましたからあっっ!」
そうして。
「黒鳶どのにも買わせてください」と無理を言って、ロマンは彼のために黒いラッシュガードを買い、その店をあとにした。こちらはもちろん、彼の背中などの傷を隠すのがおもな目的だったけれども。
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