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小さな恋のものがたり
25 秘めごと
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「まったくもう……。今日は疲れましたね」
宿直の者たちと交代して廊下を戻りながら、ロマンは溜め込んでいた息を一気に吐き出した。黒鳶はいつもと変わらず、そのすぐ後ろをついてくる。
「黒鳶殿も、お疲れになったでしょう。申し訳ありませんでした」
「何を謝られますか」
男が低く応じる。ロマンは足を止め、「だって」と男を見上げた。
「せっかく黙っているつもりだったのに。できれば二年間、黙っておけたらいいな、なんて……。まあ、そこまでは無理だと思っていましたけれど。でも、まさか殿下にあんなにあっさりと見抜かれてしまうなんて──」
「無理もなきことです。配殿下はこちらの国に来てからずっと、あなたのことを心に懸けておいででしたゆえ」
「……そ、そうなんですけど」
あらためてこの男にまで言われると、首のあたりが熱くなる。ようやく引っ込んだ涙のもとが、また鼻の奥をつんと刺激する。
「さすがは配殿下にございます。こう申しては不敬かも知れませぬが、あの方のお優しさ、お心の広さには、宮のどなた様も敵いますまい」
「そうですね……」
「さすが、皇太子殿下がお見初めになった御方です。まこと、あなたがお仕えされるにふさわしき御方かと」
「……え、ええっと」
褒められているのだろうか。恐らくそうだ。
しかし、不敬は重々承知だが、ほかの人がこの人の口からこうまでべた褒めされているのは、なんとなく面白くない。だが、相手はほかならぬユーリ殿下だ。自分がそれに否やを言えるはずがないけれど。
ロマンはうつむくと、黒鳶の手首のあたり、衣服の端をきゅっと握った。
「ちょっと……イヤです」
「は?」
この男は、意外な場面に出くわすと僅かに──本当にほんの僅かだけれど──目を見開く。
「ユーリ殿下のことですから、違うとは申しません。あの方は本当に、本当に……お優しいので。本当に素晴らしい方なので。それは間違っていませんし。……でも」
と、黒鳶の手が袖を掴んだロマンの手の上に秘めやかに重ねられた。意外なほどに優しい動きだった。見上げると、男の目の中にほんのわずか、柔らかな何かがちらりと覗いているような気がした。
「すみません。余計なことを申しましたか」
「い、いえ」
ロマンは、さっと手をひっこめた。そして元のように廊下をまた歩き出した。
黒鳶が音もなく後ろからついてくる。
廊下の脇には灯火を模した照明が柱ごとに灯されている。だが、さほど明るいものではない。大昔は実際の火を用いたようだが、火事の危険もあることなので、今では炎の形によく似た電気による照明に変わっている。
無言でしばらく歩くうち、いつも黒鳶と別れている廊下の曲がり角までやってきた。
しかし。
「あ。えっ……?」
今夜の黒鳶は、そこで暇を言わなかった。戸惑っているロマンの手を自ら取って、するすると自然な足取りでロマンの部屋の方まで導いていく。
「く、黒鳶、どの……?」
ひたひたと聞こえるのは、ロマンの足音だけである。周囲には誰もいない。AIによる完璧な監視システムが動いているため、貴人のおそば以外で宿直をするような者は少ないのだ。
黒鳶はとある柱のそばまでくると、ついとロマンの腕を引いてその陰に入った。
(えっ……)
ほんの一瞬のことだった。
男の腕に抱きこまれ、ロマンは彼の胸と腕にすっぽりと包まれたようになった。
男はいつも口元を隠している黒いマスクを引き下げている。
そのまま軽く顎をすくいあげられ、ごく軽く口づけられた。
「あ、あの──んんっ」
ちゅ、ちゅっと何度も優しく吸われる。ロマンは目を閉じた。
きっとこの場所も、AIからの死角なのだ。御所の警備システムについて、この男が知らぬことはないはずだった。
「ん……う、んううっ?」
わずかに開いた唇の間から、するっと熱い舌が這いこんでくる。舌先でロマンの歯列をそっと舐め、上顎の内側つつき。お伺いを立てるように、ロマンの舌にそっと触れ。
やがて、ぐちゅりと舌を絡ませられた。
「んっ……ん」
ぎゅっと男の肩にすがりつく。
驚いたけれど、いやではなかった。
黒鳶は顔の角度を変え、何度もロマンの唇を求めてくれた。
「ふう……あ」
やっと離してもらえた時には、すっかり息が上がっていた。目の端に涙が滲み、じんじんと舌が痺れている。頭の芯がくらくらした。困ったことに、腹のずっと下のほうになにか描写もしにくいような、恥ずかしい欲望までが集まりだしてしまっている。
「な、……なにを──」
「あなた様が、一番です」
「……え」
潤んでいるであろう目で見上げたら、先ほどの柔らかい光をもっと増した黒鳶の目が、こちらを至近距離から見つめていた。
「配殿下は素晴らしい。ですが、自分にはあなた様が一番です。そう申し上げているのです。……誤解をなさったようなので」
「黒鳶、どの……」
と、黒鳶はすいとロマンの耳に口を寄せた。
──オシタイ、モウシアゲテオリマス。
(え……!?)
ぱっと見た時には、男はもう体を離して、何事もなかったかのような顔でロマンと共に廊下の中央あたりに戻っていた。手は引いたままだ。
どくん、どくんと胸の音ばかりがうるさい。あと少しで自分の部屋だ。
ロマンはきゅっと男の手を握りしめた。いつも黒手袋をしている男の手は、丈夫な布を介してもずいぶん武骨で大きく思えた。
部屋の前までは、呆気ないほどにあっという間だった。ロマンは急に胸の中に凩が吹きぬけるような気持ちになった。
もっともっと、彼とこうしていたかった。
普段はほとんど見せてくれない、彼の温みを感じていたかった。
(黒鳶どの……)
いろんな、いろんなことがあって。
いつの頃からかあなたを好きになった。
愚かな誤解があって、子供のようにみっともない嫉妬をして。
それでもやっと気持ちが通じて、こういう時間が訪れたのに。
自分はまだこの男と、堂々とお付き合いをすることすら許されない。
(黒鳶どの。黒鳶どの──)
ぎゅっと目をつぶったら、黒鳶の足が止まっていた。
ロマンの部屋の前だった。
もう少し一緒にいたい。
もう、ほんの少しでいいから。
「ロマン殿」
低い声が傍で囁く。
そうっと目を開いてみて、ロマンの呼吸はまた止まった。
(──え)
ぽかんと口をあけて、男をじっと見つめてしまう。
(ああ……やっぱり)
やっぱり好きだ。この男が。
「おやすみなさいませ。……佳き夢を」
言った男の精悍な顔が、
大きく見開かれたロマンの目にいっぱいに映りこんでいた。
いままで一度も見たことがないほどの、
ひどく優しげな笑みを浮かべて。
了
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.7.21.Tue.~2020.8.18.Tue.
これにて一応、完結です。
ここまでのお付き合いをありがとうございました。
数日あけて再び連載の形に戻し、おまけの物語を更新する予定ですが、ひとまず完結の形にさせていただきます。
またお付き合いいただけましたら幸いです。
宿直の者たちと交代して廊下を戻りながら、ロマンは溜め込んでいた息を一気に吐き出した。黒鳶はいつもと変わらず、そのすぐ後ろをついてくる。
「黒鳶殿も、お疲れになったでしょう。申し訳ありませんでした」
「何を謝られますか」
男が低く応じる。ロマンは足を止め、「だって」と男を見上げた。
「せっかく黙っているつもりだったのに。できれば二年間、黙っておけたらいいな、なんて……。まあ、そこまでは無理だと思っていましたけれど。でも、まさか殿下にあんなにあっさりと見抜かれてしまうなんて──」
「無理もなきことです。配殿下はこちらの国に来てからずっと、あなたのことを心に懸けておいででしたゆえ」
「……そ、そうなんですけど」
あらためてこの男にまで言われると、首のあたりが熱くなる。ようやく引っ込んだ涙のもとが、また鼻の奥をつんと刺激する。
「さすがは配殿下にございます。こう申しては不敬かも知れませぬが、あの方のお優しさ、お心の広さには、宮のどなた様も敵いますまい」
「そうですね……」
「さすが、皇太子殿下がお見初めになった御方です。まこと、あなたがお仕えされるにふさわしき御方かと」
「……え、ええっと」
褒められているのだろうか。恐らくそうだ。
しかし、不敬は重々承知だが、ほかの人がこの人の口からこうまでべた褒めされているのは、なんとなく面白くない。だが、相手はほかならぬユーリ殿下だ。自分がそれに否やを言えるはずがないけれど。
ロマンはうつむくと、黒鳶の手首のあたり、衣服の端をきゅっと握った。
「ちょっと……イヤです」
「は?」
この男は、意外な場面に出くわすと僅かに──本当にほんの僅かだけれど──目を見開く。
「ユーリ殿下のことですから、違うとは申しません。あの方は本当に、本当に……お優しいので。本当に素晴らしい方なので。それは間違っていませんし。……でも」
と、黒鳶の手が袖を掴んだロマンの手の上に秘めやかに重ねられた。意外なほどに優しい動きだった。見上げると、男の目の中にほんのわずか、柔らかな何かがちらりと覗いているような気がした。
「すみません。余計なことを申しましたか」
「い、いえ」
ロマンは、さっと手をひっこめた。そして元のように廊下をまた歩き出した。
黒鳶が音もなく後ろからついてくる。
廊下の脇には灯火を模した照明が柱ごとに灯されている。だが、さほど明るいものではない。大昔は実際の火を用いたようだが、火事の危険もあることなので、今では炎の形によく似た電気による照明に変わっている。
無言でしばらく歩くうち、いつも黒鳶と別れている廊下の曲がり角までやってきた。
しかし。
「あ。えっ……?」
今夜の黒鳶は、そこで暇を言わなかった。戸惑っているロマンの手を自ら取って、するすると自然な足取りでロマンの部屋の方まで導いていく。
「く、黒鳶、どの……?」
ひたひたと聞こえるのは、ロマンの足音だけである。周囲には誰もいない。AIによる完璧な監視システムが動いているため、貴人のおそば以外で宿直をするような者は少ないのだ。
黒鳶はとある柱のそばまでくると、ついとロマンの腕を引いてその陰に入った。
(えっ……)
ほんの一瞬のことだった。
男の腕に抱きこまれ、ロマンは彼の胸と腕にすっぽりと包まれたようになった。
男はいつも口元を隠している黒いマスクを引き下げている。
そのまま軽く顎をすくいあげられ、ごく軽く口づけられた。
「あ、あの──んんっ」
ちゅ、ちゅっと何度も優しく吸われる。ロマンは目を閉じた。
きっとこの場所も、AIからの死角なのだ。御所の警備システムについて、この男が知らぬことはないはずだった。
「ん……う、んううっ?」
わずかに開いた唇の間から、するっと熱い舌が這いこんでくる。舌先でロマンの歯列をそっと舐め、上顎の内側つつき。お伺いを立てるように、ロマンの舌にそっと触れ。
やがて、ぐちゅりと舌を絡ませられた。
「んっ……ん」
ぎゅっと男の肩にすがりつく。
驚いたけれど、いやではなかった。
黒鳶は顔の角度を変え、何度もロマンの唇を求めてくれた。
「ふう……あ」
やっと離してもらえた時には、すっかり息が上がっていた。目の端に涙が滲み、じんじんと舌が痺れている。頭の芯がくらくらした。困ったことに、腹のずっと下のほうになにか描写もしにくいような、恥ずかしい欲望までが集まりだしてしまっている。
「な、……なにを──」
「あなた様が、一番です」
「……え」
潤んでいるであろう目で見上げたら、先ほどの柔らかい光をもっと増した黒鳶の目が、こちらを至近距離から見つめていた。
「配殿下は素晴らしい。ですが、自分にはあなた様が一番です。そう申し上げているのです。……誤解をなさったようなので」
「黒鳶、どの……」
と、黒鳶はすいとロマンの耳に口を寄せた。
──オシタイ、モウシアゲテオリマス。
(え……!?)
ぱっと見た時には、男はもう体を離して、何事もなかったかのような顔でロマンと共に廊下の中央あたりに戻っていた。手は引いたままだ。
どくん、どくんと胸の音ばかりがうるさい。あと少しで自分の部屋だ。
ロマンはきゅっと男の手を握りしめた。いつも黒手袋をしている男の手は、丈夫な布を介してもずいぶん武骨で大きく思えた。
部屋の前までは、呆気ないほどにあっという間だった。ロマンは急に胸の中に凩が吹きぬけるような気持ちになった。
もっともっと、彼とこうしていたかった。
普段はほとんど見せてくれない、彼の温みを感じていたかった。
(黒鳶どの……)
いろんな、いろんなことがあって。
いつの頃からかあなたを好きになった。
愚かな誤解があって、子供のようにみっともない嫉妬をして。
それでもやっと気持ちが通じて、こういう時間が訪れたのに。
自分はまだこの男と、堂々とお付き合いをすることすら許されない。
(黒鳶どの。黒鳶どの──)
ぎゅっと目をつぶったら、黒鳶の足が止まっていた。
ロマンの部屋の前だった。
もう少し一緒にいたい。
もう、ほんの少しでいいから。
「ロマン殿」
低い声が傍で囁く。
そうっと目を開いてみて、ロマンの呼吸はまた止まった。
(──え)
ぽかんと口をあけて、男をじっと見つめてしまう。
(ああ……やっぱり)
やっぱり好きだ。この男が。
「おやすみなさいませ。……佳き夢を」
言った男の精悍な顔が、
大きく見開かれたロマンの目にいっぱいに映りこんでいた。
いままで一度も見たことがないほどの、
ひどく優しげな笑みを浮かべて。
了
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020.7.21.Tue.~2020.8.18.Tue.
これにて一応、完結です。
ここまでのお付き合いをありがとうございました。
数日あけて再び連載の形に戻し、おまけの物語を更新する予定ですが、ひとまず完結の形にさせていただきます。
またお付き合いいただけましたら幸いです。
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