16 / 52
小さな恋のものがたり
16 小部屋
しおりを挟む(ああ。なんてことだ。本当に僕は……)
ロマンはいつもどおり、ユーリ殿下の後ろに座って本日のプログラムで地学を学んでいるところである。だが、目と耳では一応講義を受けながらも、ついつい他のことを考えていた。
殿下はそれにお気づきの様子だったが、さすがにその理由がわかっておいでのためか、とくに責めたりはなさらなかった。黒鳶はいつものように、部屋の隅で影のように控えているのみだ。
昨夜、あれからユーリ殿下は玻璃殿下にことの顛末をお話しし、事前におっしゃっていた通りにお願いをしてくださった。
玻璃殿下は、さすがの敏さでいらした。きっとひどく泣きはらした目をしているのだろうロマンをちらりと見ただけで、ほとんどふたつ返事で「よかろう。何でも訊ねるがよいぞ」といつもの鷹揚な微笑みを見せてくださったのだ。
が、ユーリ殿下が「黒鳶と波茜のこれまでのつながりについて教えてください」とおっしゃると、ふと表情を曇らせられた。
そうして、おっしゃったのだ。
『その儀については、すまぬがしばし待て。波茜本人の意向を確かめた方がよかろう』と。
ロマンはまた頭を下げ、おふたりの寝室を辞して部屋に戻った。
それからそのまま今に至る。玻璃殿下からのお返事は来ていない。
(だから、つまり、要するに)
ロマンは何度目かになる思考を脳内で繰り返している。
玻璃殿下があのように反応された以上、ふたりの間には何かがあるのだ。それはロマンが思っているようなこととは違うかもしれない。でも逆に、思っていた以上に深いつながりであるかもしれない。それは聞いてみなくては分からないけれど。
と、ユーリ殿下がひょいとこちらを振り向いて苦笑された。
「ロマン。あまり身が入ってないようだね。中途半端なところだけれど、少し休憩してお茶にしようか」
「え。……あ! 申し訳ありませんっ……!」
見ればロマン用の画面の端に、「回答を入力してください」の文字が浮かび上がっていた。章分けされたプログラムの章の末尾ごとに置かれている、内容確認のための簡単な設問だ。
ユーリ殿下はすでに入力済み。ロマンのところだけが「早く、早く」と言わんばかりにぴかぴかと橙色の光で学習者をせかしている。画面の上に指を滑らせて必要な文章を入力する方法は、ユーリ殿下もロマンもとっくに習得ずみだ。
だが。
(え? あれっ……?)
急いで入力しようと思ったのだが、訊かれている内容がさっぱりわからない。ここまでの電子講義の内容がまるっきり耳に入っていなかった証拠である。ロマンは心の底から恥じ入って、首まで真っ赤になった。
が、ユーリ殿下はやっぱり、何も責めるようなそぶりはお見せにならなかった。むしろにこにこ笑って下さり、こうおっしゃった。
「いいからいいから。さ、お茶をお願いするよ。私はもう、喉が渇いて渇いて」
「は、はい。ただいま」
ロマンは慌てて立ち上がると、急いで控えの間へ向かった。そこに茶器や茶葉やサモワール、お茶に添える菓子などの準備がなされているのだ。備え付けの小さな冷蔵装置から、陶器製の水差しを出してお茶の準備をする。
(なにやってるんだ。まったくもう──)
薄く優美な陶器製のカップを揃えていたら、背後にふと影がさした。
「ロマン殿」
「わっ」
手元のカップと受け皿が、がちゃんと思った以上の音をたてる。
黒鳶だった。
「大事ありませぬか」
「あっ……はい。大丈夫です。別に、割れたりなどは──」
あたふたとカップの状態を確認し、皿の上に置き直す。急に心臓がうるさくなった。どうしても黒鳶の目を見ることができない。
「そうではなく」
言って黒鳶が、するりとロマンの額に手を当ててきた。
「ひっ」
ロマンが身を竦めたときには、もうその手は去っていた。
「熱などはおありでないようですが。またご体調が優れぬのでは」
「そ……そそ、そんな、ことは──」
いや、優れない。「ご体調」はひどく優れなかった。
どくんどくんとうるさいほどに胸が高鳴り、胸から上の血液が一気に沸騰したようになる。
黒鳶はいつもの感情の見えない目をして、しばらくじっとロマンを観察する風だったが、やがて姿勢を正して一歩さがった。
「左様ですか。ご無礼を致しました」
「い、……いえ」
彼が離れてくれたというのに、ロマンの胸は一向に静まってくれない。ばくばく、どくどくと耳の中で、ありえないほどの大きさで血流の音が聞こえるようだ。
男がいつものようにするりと部屋から出て行っても、ロマンの胸はその大騒ぎをなかなかやめてくれなかった。
ロマンはきゅうっと唇を噛んだ。
(……すき)
そうだ。
もうごまかしようがない。
やっぱり、なにをどうごまかしても無駄だった。
自分の心はそう叫んでいる。ずっとそう叫んでいる……。
(どんなご関係なのですか)
あの美しく聡明なかたと。
なぜあなたは、あんなに優しくあの人に微笑みかけておられたのですか。
ぐるぐる、ぐるぐると同じ質問が頭の中を駆け巡る。
すっかり湯が沸騰して蒸気が激しく上がり始めたのにも、しばらくロマンは気づかなかった。
0
お気に入りに追加
23
あなたにおすすめの小説
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
寮生活のイジメ【社会人版】
ポコたん
BL
田舎から出てきた真面目な社会人が先輩社員に性的イジメされそのあと仕返しをする創作BL小説
【この小説は性行為・同性愛・SM・イジメ的要素が含まれます。理解のある方のみこの先にお進みください。】
全四話
毎週日曜日の正午に一話ずつ公開
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる