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小さな恋のものがたり

16 小部屋

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(ああ。なんてことだ。本当に僕は……)

 ロマンはいつもどおり、ユーリ殿下の後ろに座って本日のプログラムで地学を学んでいるところである。だが、目と耳では一応講義を受けながらも、ついつい他のことを考えていた。
 殿下はそれにお気づきの様子だったが、さすがにその理由がわかっておいでのためか、とくに責めたりはなさらなかった。黒鳶はいつものように、部屋の隅で影のように控えているのみだ。
 昨夜、あれからユーリ殿下は玻璃殿下にことの顛末をお話しし、事前におっしゃっていた通りにお願いをしてくださった。

 玻璃殿下は、さすがのさとさでいらした。きっとひどく泣きはらした目をしているのだろうロマンをちらりと見ただけで、ほとんどふたつ返事で「よかろう。何でも訊ねるがよいぞ」といつもの鷹揚な微笑みを見せてくださったのだ。
 が、ユーリ殿下が「黒鳶と波茜のこれまでのつながりについて教えてください」とおっしゃると、ふと表情を曇らせられた。
 そうして、おっしゃったのだ。

『その儀については、すまぬがしばし待て。波茜本人の意向を確かめた方がよかろう』と。

 ロマンはまた頭を下げ、おふたりの寝室を辞して部屋に戻った。
 それからそのまま今に至る。玻璃殿下からのお返事は来ていない。

(だから、つまり、要するに)

 ロマンは何度目かになる思考を脳内で繰り返している。
 玻璃殿下があのように反応された以上、ふたりの間には何かがあるのだ。それはロマンが思っているようなこととは違うかもしれない。でも逆に、思っていた以上に深いつながりであるかもしれない。それは聞いてみなくては分からないけれど。
 と、ユーリ殿下がひょいとこちらを振り向いて苦笑された。

「ロマン。あまり身が入ってないようだね。中途半端なところだけれど、少し休憩してお茶にしようか」
「え。……あ! 申し訳ありませんっ……!」

 見ればロマン用の画面の端に、「回答を入力してください」の文字が浮かび上がっていた。章分けされたプログラムの章の末尾ごとに置かれている、内容確認のための簡単な設問だ。
 ユーリ殿下はすでに入力済み。ロマンのところだけが「早く、早く」と言わんばかりにぴかぴかと橙色の光で学習者をせかしている。画面の上に指を滑らせて必要な文章を入力する方法は、ユーリ殿下もロマンもとっくに習得ずみだ。
 だが。

(え? あれっ……?)

 急いで入力しようと思ったのだが、訊かれている内容がさっぱりわからない。ここまでの電子講義の内容がまるっきり耳に入っていなかった証拠である。ロマンは心の底から恥じ入って、首まで真っ赤になった。
 が、ユーリ殿下はやっぱり、何も責めるようなそぶりはお見せにならなかった。むしろにこにこ笑って下さり、こうおっしゃった。

「いいからいいから。さ、お茶をお願いするよ。私はもう、喉が渇いて渇いて」
「は、はい。ただいま」

 ロマンは慌てて立ち上がると、急いで控えの間へ向かった。そこに茶器や茶葉やサモワール、お茶に添える菓子などの準備がなされているのだ。備え付けの小さな冷蔵装置から、陶器製の水差しを出してお茶の準備をする。

(なにやってるんだ。まったくもう──)

 薄く優美な陶器製のカップを揃えていたら、背後にふと影がさした。

「ロマン殿」
「わっ」

 手元のカップと受け皿が、がちゃんと思った以上の音をたてる。
 黒鳶だった。

「大事ありませぬか」
「あっ……はい。大丈夫です。別に、割れたりなどは──」
 あたふたとカップの状態を確認し、皿の上に置き直す。急に心臓がうるさくなった。どうしても黒鳶の目を見ることができない。
「そうではなく」
 言って黒鳶が、するりとロマンの額に手を当ててきた。
「ひっ」
 ロマンが身を竦めたときには、もうその手は去っていた。
「熱などはおありでないようですが。またご体調が優れぬのでは」
「そ……そそ、そんな、ことは──」

 いや、優れない。「ご体調」はひどく優れなかった。
 どくんどくんとうるさいほどに胸が高鳴り、胸から上の血液が一気に沸騰したようになる。
 黒鳶はいつもの感情の見えない目をして、しばらくじっとロマンを観察する風だったが、やがて姿勢を正して一歩さがった。

「左様ですか。ご無礼を致しました」
「い、……いえ」

 彼が離れてくれたというのに、ロマンの胸は一向に静まってくれない。ばくばく、どくどくと耳の中で、ありえないほどの大きさで血流の音が聞こえるようだ。
 男がいつものようにするりと部屋から出て行っても、ロマンの胸はその大騒ぎをなかなかやめてくれなかった。
 ロマンはきゅうっと唇を噛んだ。

(……すき)

 そうだ。
 もうごまかしようがない。
 やっぱり、なにをどうごまかしても無駄だった。
 自分の心はそう叫んでいる。ずっとそう叫んでいる……。

(どんなご関係なのですか)

 あの美しく聡明なかたと。
 なぜあなたは、あんなに優しくあの人に微笑みかけておられたのですか。

 ぐるぐる、ぐるぐると同じ質問が頭の中を駆け巡る。
 すっかり湯が沸騰して蒸気が激しく上がり始めたのにも、しばらくロマンは気づかなかった。
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