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小さな恋のものがたり
14 ゆらぎ
しおりを挟む黒鳶が、なんだか冷たい。
いや「冷たい」とまで言えば言いすぎになるけれど。
しかし、ロマンは確かにこのところの彼の態度に変化を感じ取っていた。
(でも、今はその方がありがたい……かも)
ユーリ殿下に聞かれてしまうと困るので、つい零れ出そうになった溜め息を無理やりに喉の奥に押し込める。
あれ以来、表面上、黒鳶とロマンの間には何ごとも起こらなかった。黒鳶はいつものように控えめに部屋の隅にいるばかりだし、ロマンはロマンでユーリ殿下の身の回りのお世話や午後からの学習で忙しい。
それに、このところは滄海政府の高官たちが代わるがわるユーリ殿下を訪れることも増えている。彼ら、彼女らは、皇太子・玻璃殿下の覚えめでたい配殿下たるユーリ様に少しでも取り入りたいと願っている。もちろん、目的は政界内での自分の立場を盤石にするためだ。このあたりの流れは別に、アルネリオでも滄海でもさほどの違いは見られない。
互いの顔を取り結び、なるべく太い繋がりをつくる。いざというとき助けになる手段はいくつでも持っておきたいからだ。それが政府の要人とその親族らのごく一般的な望みである。
実はここに、少しユーリ殿下のご性別の影響がないとも言えなかった。
殿下がもしも女性であったなら、男性官僚が東宮御所の奥御殿にいる妃のところへのこのことやってくるなど、許されるはずもない。しかしユーリ殿下は男性である。なんとなくそれをいいことに、かれらは男女を問わず「大手を振って」殿下のもとへ入れ代わり立ち代わり訪問してくるようなのだった。
それなりの身分のある客が来れば、それなりのもてなしもせねばならない。茶菓などもいちいち準備せざるをえない。そしてこの場合、ロマンが得意のアルネリオ式のお茶をお出しするのが常なのだった。
実はロマンのお茶は、こちらの政界の人々にもかなり評判が良い。主に貴族の間だけではあるが、味と香りの良さが次々に口伝えで広まっているようだ。畢竟、ロマンも多忙になってしまったわけである。
もちろん、大変でないはずはない。
しかしそれは、この場合だけは救いだった。ある意味、確かに救いだった。
午前の朝議のあと、昼餉をとって学習に入り、来客の約束があれば接待で忙しく動き回る。そうやっているうちに、すぐに夕方になってしまう。一日が飛び去るように終わってしまう。
日が暮れる時間になれば、黒鳶は夜間の護衛を仰せつかっている別の忍びや武官らと仕事を交代して自室へ引き下がっていく。そうなってやっと、ロマンはほっと息をつく。そんな自分を発見して、また舌の上に渋い苦みを覚えた。
(何をやっているんだ……僕は)
あれからも、何度も何度も自分に言い聞かせてきた。
自分の仕事は、ユーリ殿下の側付きとして十分な働きをすることだ。それさえできれば、あとのことはどうだっていいはずだ。玻璃殿下からのご命令でユーリ殿下を護衛している忍びの一人がどんな態度でいようといまいと、自分をどう思っていようと。そんなのは、どうだっていいことではないか。
ましてその黒ずくめの無口な男が、政府高官の麗しい女人とどんな関係であろうとも。そんなもの、自分にはまったく関係がない。あれこれ詮索すること自体、自分の身分で許されることではないのだから。
「あ……の。ロマン……?」
何組目かの来客が部屋を辞して行ってから、ユーリ殿下が恐るおそるといったご様子でこちらを窺うような目をなさった。ロマンはしゃきっと背筋をのばした。
「はい。なんでございましょう」
「えっと……」
自分から話しをふっておきながら、殿下は困ったような目で、ちらりと部屋の隅にいる黒衣の人を見て言葉を濁す。
黒鳶がこの時間帯、自分たちのそばを離れることはほとんどない。彼だって人間である以上、生理現象はどうしようもないはずだ。と、そうは思うのだけれど、用を足しにいくそぶりすら少しもないのが不思議なほどだった。
「うん。……いや。なんでもないよ……」
ユーリ殿下は力なくお笑いになって、話はおしまいになってしまった。
ロマンはもちろん、気づいている。お優しい殿下は、きっと自分と黒鳶のことを気にかけておられるのだ。
だが、今は状況が悪い。黒鳶の目の前でその話をするのは難しいとお考えなのだろう。かといって、敢えて黒鳶に「席をはずせ」と命令するのも不自然だ。
腹芸なんて逆立ちをしたってご無理に違いないユーリ殿下にとって、涼しい顔をして嘘をつくなんて芸当はとてもおできにならないのだし。
だから、殿下がようやくロマンにその話をなさったのは、波茜様がここを訪問されてから何日もあとのことだった。
夜、両殿下の寝室の前に至って、殿下はなるべくさりげない顔をつくりながら──はっきり申し上げてロマンにも黒鳶にも、ばれすぎなほどばれていたけれど──こうおっしゃったのだ。
「黒鳶、今日もありがとう。お疲れ様。もうさがって休んでね」
「は」
黒鳶が頭を下げる。
「あ、えっと。ロマンはちょっと残ってくれる?」
「……あ、はい」
黒鳶の瞳がほんの一瞬だけ、怪訝そうな光を宿した……ように、見えた。
しかし、男はすぐに再び頭を垂れたのみで、言われた通り音もなくさがっていった。眉のひとつも動かさなかった。
扉の前には、すでに宿直の者たちが控えている。
「ロマン、入って。今夜は、玻璃どのは少しご用事があってお戻りが遅いとおっしゃっていたからね」
「左様ですか」
「うん。ちょっと話し相手になってよ。いいでしょう? そうだ、寝る前のお茶を淹れてもらえると嬉しいな」
「……はい」
なんとなくぎくしゃくした気持ちで、言われるままに殿下のあとに続く。
両殿下の寝室は二部屋に分かれていて、手前は夜酒など嗜まれるための部屋であり几帳をへだてた奥が主寝室だ。前室の脇には、この場所に専用に置かれている茶器一式が揃えられている。
「そなたたち。申し訳ないけれど、少し席を外してくれぬか」
殿下は身づくろいを手伝うために部屋の中に控えていた女官たちにそう言った。そうして彼女らが退出するのを確かめると、前室に置かれたアルネリオ式のソファセットのところへロマンをさし招き、すぐに隣に座らせた。
「さあ、ロマン。話してくれるね?」
「えっ……」
どきんと胸がはねた。
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