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第十章 星のこどもたち
3 ※※
しおりを挟む流刑地へ向かう護送艦の旅は、ごく快適なものだった。
あのお人好しの弟皇子は、部下らに対してこの道中、次兄に酷い真似をすることを厳に禁じたからである。
(まったく。甘っちょろい奴)
ツグアキラは中級クラスの戦艦内のゆったりとした客室のひとつで、応接セットのソファに座り込み、のんびりと午後の茶を楽しんでいた。窓の外には真っ黒な宇宙空間と、白くぎらつく星が散見されるだけだ。
部屋の隅にはいかめしい獣の顔をした武官らが立っている。もちろん、この遠流になった皇子の監視を拝命している<恩寵部隊>とやらの面々だ。彼らはひとりでも只人の何倍もの能力を持つ。それゆえさほどの人数はおらず、自分の傍にはいつも二人ほど、船全体でも搭乗しているのはせいぜい十数名といったところだった。
基本的に体の拘束もされていないし、「腹が減った」「喉が渇いた」とがなり立てればさほど豪勢なものではないが望みのものはすぐに用意される。衣服も至って清潔だ。
これのどこが「囚人」だと言えるのか。もはや賓客扱いではないのか。あの度し難い弟皇子が考えることなど、ツグアキラにはとうに理解の外である。
ごく順調のようだったその道程の雲行きがあやしくなったのは、出発してから三日ばかり経った頃のことだった。
とはいえツグアキラがその違和感に気づいた時には、もうすべてが遅かった。ことはその始まりから、完全にそいつの手のうちにあったからだ。
自分の居室からなんの前触れもなしに監視の獣人らが出て行って、ツグアキラは不思議に思った。なんとなく、彼らがぼんやりと夢遊病者のような様子でふらふらと歩いているような感じがしたのだ。
手にしていた茶器をテーブルにもどし、周囲を窺う。自分を部屋に一人にするなど、これまでは決してなかった。
いくら首筋にあの忌々しいナノマシンを植え付けられているからと言っても、それでも手も足も自由に動かせる身なのである。このクラスの戦艦ならどこかに小型艇や脱出用ポッドなどもあるはずだし、急いで宇宙服を着こんで逃げることもできないわけではないのだ。目を離すなどはありえない。
しかし。
その理由は、すぐに分かった。
ほとんど音もなく扉が開き、長身の男がひとり、ふらりと入って来たのだ。案の定、そいつもやはり人の顔はしていなかった。
フクロウによく似てはいるが、恐らくミミズクという鳥の形質であるだろう。ややもすれば「可愛らしい」などと形容したくなるような茶鼠色の羽角が頭の脇に生えているが、男は決して「可愛い」生き物などではないようだった。
妙に背が高く、全身真っ黒なスーツ姿だ。ただしネクタイはしていない。飄々として見えるが、奇妙な威圧感がある。猛禽に特有の、奥深いものをもまるごと見通すような金色の瞳がじっとこちらを注視している。
「失礼を致しました、殿下。少し驚かせてしまいましたか」
男はひょろりと高いその背丈を微妙に折った。会釈のつもりらしかった。
ごく慇懃に見えるのだったが、男の真意はまるで見えない。ツグアキラはソファから立ち上がり、そろそろと後ろへいざりながらも、男から目を離さないまま言った。
「なんだ……? 貴様は。はじめて見る顔だな」
「左様でしょうな。わたくしもお見せしたことはありませんし」
(……なんだ、こいつ)
ふざけた男だ。
いくら囚人の身に落ちたといっても、これでも俺は痩せても枯れてもミカドの子ぞ。おのれのような卑しい身分のやつばらに馬鹿にされる謂れなどない。
むらむらと湧きあがったそんなツグアキラの感情を、男はその丸い眼で具に読み取ったようだった。
「せっかく優雅に流刑の地へゆかれるはずのところ、とんだお邪魔をいたしました。……とはいえしかし、それを望まぬ者たちも少なからず居るようでして」
「なに……?」
「要するに、あなた様に対してこんな『ぬるい処分』では飽き足りぬと、そう申す者が多いのですよ。それで今回、私が呼ばれたような次第です」
ツグアキラはごくりと唾を飲み込んだ。男の言わんとすることが次第しだいに飲み込めて来たのだ。
「覚えておいででしょう? あなた様はごくつまらぬ私怨のために、あの大海戦の折、弟殿下を陥れ申し上げた。その際、殿下がお乗りだった補給医務艦もろともに宇宙の塵にしようとなさった」
「し、……知らぬ」
ミミズク男の目がすっと細くなった。
「左様で。臣下の何某からの『蛇の囁き』のごときものにうかうかとお乗りあそばされ、ザルヴォーグの戦艦まで動かして補給医務艦ミンティアを撃破なさった、そのご指示をなさったは貴方様ではないとおっしゃる?」
「知らぬ、知らぬ! 私がそんなこと、知るもんか!」
ツグアキラは地団太を踏んで叫び散らした。ミミズク男を睨みつけ、ぎりぎりと歯ぎしりをする。が、ミミズク男はそよと風が吹いたほどの反応も見せず、ただ恬淡とこちらを見ているばかりだった。
そのまましばらく睨み合う。
ツグアキラはたまりかね、遂に低く押し殺した声で言った。
「ふざけた妄言を弄するな。皇子を愚弄すると許さんぞ」
「結構、結構。別に許していただく必要などございませんな。わたくしはただただ、自分の仕事を致すまで」
男はさも退屈そうに、ちょっと欠伸などするふりをした。
「左様な閑居に向かわれずとも、殿下には、他に熱烈に所望してくださる御仁がおられます。ここからは、このわたくしがそちらへご案内いたそうと言うのでございますよ」
くふふふ、と奇妙に甲高い声が続いた。どうやら男が笑ったらしい。
「なんだと? 一体──」
と、言いかけた時だった。
ツグアキラの視界がぐるりと回った。
(な……に?)
ミミズク男の不思議な瞳から目が離せなくなっている。それなのに、周囲の景色はぐにゃりぐにゃりと変形をはじめ、水に絵の具を溶かしたようにあやふやに混ざり合い始めた。
ちょうど水の底から聞くように、不鮮明で遠い声が響いてくる。
《殿下。少し、お休みくださいませ》
《なに、さほどのご負担はありませんよ。すぐに着きます》
《あちらは殿下を、一日千秋の思いでお待ちでございますからな》──。
そうか、これがこいつの<恩寵>か。
相手の視覚や意識を奪い、思うままに動かす力。
あの兄ほど強いものではないが、これも<傀儡>の一種だろうか。
そう思ったときにはもう、ツグアキラの視界は真っ黒な闇に塗り込められていた。
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