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第七章 兄二人
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しおりを挟むそこからは、まことにベータの言った通りの忙しい日々だった。
アルファは数日の休養を経て体力を取り戻し、ベータやザンギ、ミミスリと共に事後処理に奔走することになった。
具体的にはナガアキラとツグアキラ、それにツグアキラ側について暗躍してきた大臣たちの詮議と、罪に応じた処分の決定。大臣たちの後任になった者たちの配置決めやあの<燕の巣>を今後どうするかといったこと。その他もろもろ、これまでと政務担当者が変わったことで起きるありとあらゆるごたごたが山積していた。
とはいえ<恩寵部隊>のエージェントたちをはじめタカアキラ派である人々には誠実で優秀な人材が多く、そこはまことに助かった。みな、自分の持てる能力を駆使して身を粉にして働いてくれている。これ以上に心強いことはなかった。
◇
「ふん。やっとお出ましか、新皇太子どの」
アルファがベータやザンギ、ミミスリらと長兄ナガアキラのいる座敷牢に行ったのは、床上げをして三日後のことだった。
古来よりある寝殿造りの建物にはこうしたものはなかったようだが、いまのこの内裏には、斯様な事態になった時のため特殊金属でできた格子で囲めるようになった部屋が造られている。格子は普段は床下や壁うちに隠されているのだが、パネル操作ひとつであっという間に出現し、部屋を囲う仕組みなのだ。もちろんここにも、現代の科学技術が目立たぬように使われている。
兄は以前通りとはいかないまでも、ごく清潔な薄紫の直衣姿でゆったりと脇の床几に肘をあずけ、くつろいだ様子だった。先日の鬼気迫る形相がまるで嘘のような風情に、アルファは少し戸惑った。
「遂に命を取りとめおったか。まさかあの父上に斯様な<恩寵>があろうとはな。残念至極だ」
ナガアキラが皮肉げな声でせせら笑う。
「きっ、貴様……!」
思わず前に出たミミスリを、アルファは黙って片手で制した。そんな様子をじろりと見て、ナガアキラはふふんと笑った。
「で? 私の処分は決定したのか。まあ、処刑でも遠流でも、お前の好きにすればいいがな」
遠流というのは要するに、田舎の地方や遠くの惑星へと罪人を追放する処分のことだ。
「兄上……」
少しため息をつきたくなったが、アルファはともかくも一礼をして、まずは静かに兄の前に座った。今日は自分も兄と同じ、少しくだけた薄水色の直衣姿である。いまだ短くて結うことのできない髪はそのままにするしかなかった。固定がしにくいため、本来であれば非礼にあたるが冠はつけないままである。
ベータやザンギ、ミミスリも、アルファの背後に膝をついた。彼らは今回、基本的にアルファの護衛としてここに居る。
「その前に、お訊ねしたき儀がございます。お答えいただけますでしょうか、兄上様」
「ふん。今更何が『兄上様』だ。罪人なら罪人らしい扱いをしろ。白々しいにも程がある」
「……申し訳ございません」
素直に頭を垂れた弟を見やって、兄はまた鼻を鳴らした。
「で? 何が訊きたいのだ。大体のことはもうすべて、そこの獣どもに語ってやったぞ」
「はい。存じております」
アルファは頭を上げると、改めて居住まいを正した。
「この者らからも、すでに話は聞いております。しかし今、わたくしも兄上様からじかにお話しを聞きとうなったのでございます」
「ふむ? どういうことをだ」
「このスメラギの、これまでの顛末を、より詳しく。わたくしに聞こえてきていることだけでは、此度の事態の全貌はまだまだよく見えたとは申せません。そしてまた、兄上様から見たところのこの国の行く末を。わたくしはこれから先、この国をいかようにすれば民らを安んじられるかを考え抜かねばならぬ身です。……よろしければ、兄上様の貴重なご経験から、なにがしかでもご教授をいただければと」
兄の目が一瞬だけ、ぎらりと気持ちの悪い光を浮かべた。
「……殊勝なことを言いおって。己が手で罪に落とした兄をつかまえて、なにが今更『ご教授を』だ。笑わせるわ」
圧し掛かるような気迫をこめたその言葉を、アルファは柳に風とばかりに受け流した。実はここに至るまでに同じことをベータからも言われたのだ。が、それでもアルファは敢えて兄にこう言うつもりでいた。
そして再び床に手をつくと深々と頭を下げた。
「どうか、平にお願い申し上げます。わたくしは、兄上の口からでしか聞けぬ話があるはずだと思っております。なぜなら兄上は、曲がりなりにもこの国をお若いころから舵取りなされてきた御方であられるからです。先日仰った通りなのです。わたくしのような若輩者には、この荷は確かに重すぎるのです。兄上様のような方から有用のご助言をいただくことに、いささかの躊躇もございませぬゆえ」
「……ふん。小賢しい──」
兄は小馬鹿にしきったような顔で片頬を歪めたが、そこからは何を考えているものか、無表情にしばらく沈黙していた。が、アルファと周囲の男たちの顔を順々に見渡して、最後に床几をぱしんと叩いた。
「……分かった。なんでも訊くがよい」
◆◆◆
兄、ナガアキラが実質の政務を取り仕切るようになったのは、彼が成人の儀を迎えてから数年後のことだった。
そもそもは、あの温厚な父モトアキラのもとですら比較的好き放題にやっていた貴族連中が、さらなる権益を得んがため、もっと担ぎやすい「神輿」を求めたことが始まりだった。
モトアキラはあの通り、心優しく万事に控えめな男である。それゆえこれまで、あの<燕の巣>出身者である子供らがどのような扱いをうけているのかを彼に教えた臣はいなかった。そんなことをすれば今回のタカアキラのようにまでとはいかずとも、必ずなんらかの反対が起こるのは確実だったからである。
臣らはそれゆえ、ただ黙った。ミカドに真実を語らなかった代わり、別に嘘を言ったわけでもない。彼らは単に「<恩寵>のある者は仕官させ、なき者はそれぞれに養育者を見つけてやっておりまする」といったようなことを父に報告していたばかりである。その「養育者」が彼らにどんなことを期待して「引き取った」かということは、無論いっさい知らされなかった。
地方の民らの状況についても同様である。彼らがいかに貧しく困苦の生活を強いられているのかを、ミカドは決して知らされなかった。そんなことを知ったが最後、ミカドは臣らの長年溜め込んだ大切な財産を民らに分け与えよと言い出しかねない。そんなことは彼らにとって完全に思考の埒外、暴挙と言えた。
しかし一方で、宮中にはそのように汚れきった政治を憂え、ご政道を正さんという一派も少数ながら存在した。とは言え彼らの身分は全体的に低いものに過ぎず、上役たちに阻まれてなかなか実情をミカドに訴えることができずにいた。
「奴らはまず、あのツグアキラに希望を掛けた。しかし<恩寵>なしのあの弟には当然、皇位は降ってくるはずがない。ついでながら、ああいう精神の在り様だ。私が言うのも何ではあるがな」
そこでふと背後を見ると、ベータが半眼になり軽く肩を竦めているのが見えた。ミミスリとザンギもさりげなく意味のある目で互いを見かわしているようだ。兄もそれをちらりと見ると、「そうであろう?」と言わんばかりに口の端を歪めて見せた。
「あれは少しばかりおだてたりすかしたり、珍しい献上品など持っていく程度ではなびくような奴ではない。それどころか、下手をすれば妙なところで臍を曲げぬとも限らぬ奴よ。ともかくも、あれは臣らが安心して担ぐにはあまりに不安定かつ心もとなかった。よってその希望はタカアキラ、すなわちそなたへと移ったわけだ」
「なんと──」
その当時、タカアキラはまだ十やそこらの子供である。宮中ではそんなころから二つの勢力が睨み合っていたということらしい。
「少数の改革派は、成人したお前をどうにか担ぎだしたいと画策していた。しかし当然、右大臣派からの強硬な横槍が入り続けた。奴らのわずかな瑕疵を見つけてはお役御免を言い渡す。つまりはそういうわけだな。活動はほぼ頓挫していた」
やがて、成人した皇太子ナガアキラが父親よりも強力な<恩寵>もちであることを聞き及び、彼にすり寄る右大臣ヨリナガ派の臣らの活動が本格的になった。大臣たちはうら若い皇太子をあれやこれやと褒めたたえ、阿りを湛えたにやにや笑いで日々皇子につきまとった。まさにもみ手をせんばかりである。
正直いって、別に当時のナガアキラが彼らを愛したわけではない。事実はむしろその逆だった。本人たちが気づいているのか否かは定かでないが、もはや愚かしいばかりに下心の透けて見えるような薄汚いジジイどもに囲まれて、日々、この若き皇太子は反吐の出そうな思いで朝議に出ていた。そんなナガアキラを本心から慰められる者など宮中にはいなかった。
父はと言えば、さすがに<恩寵>持ちなだけあってナガアキラの能力の程度についてすぐに察したようだった。そうして我が息子の力を恐れ、決してある一定以上こちらに踏み込んでくることもなかった。
臣らはそうした微妙な父子関係にさらに亀裂を入れていった。やがて実質の政務を決めるにあたり、ミカドの意見など無きにも等しいような朝議が行われるようになるまでに、さほどの年月は要らなかった。
ナガアキラは、孤独だった。
やがて臣らが阿りの一環として献上してくる見目の麗しい側女の少女やら「玩具」代わりの少年などを抱き潰したりいじめぬいたりすることぐらいしか、大した楽しみもなくなっていった。
成人の儀を終えたツグアキラについても、まあ似たようなことだった。末弟ほどの美貌ではなかったが、それでも次弟も高貴な顔立ちをした見目のいい少年だった。何かのことで一度抱いてみてからは、ナガアキラはときどき弟を寝所に呼んで、兄弟にあるまじき夜の営みを繰り返していた。
「まあ正直言って、女は面倒だしな」
「は……」
「まこと、奴らは面倒だ。あれらはすぐ、子を孕む」
兄は吐き捨てるようにそう言った。
アルファは黙って、兄の言葉の続きを待った。
「そうしてその子が皇家の血筋であるを礎に、急に大きな顔をし始める。……そうであろう?」
そうなってしまった日には、いかに身分の低い女の子だとは言え皇族の血を受けた者としてなにがしかの面倒を見てやらねばならなくなる。そうしてそういう立場になった途端、急に大きな顔をし始める女のことを、ナガアキラはひどく嫌っていた。
ツグアキラに関して言えば、最初のときこそ涙を流して抵抗し「おやめください、お願いです」と兄を拒んだ。拒まれればより楽しくなって、ナガアキラはむしろ冷淡にあの次弟を犯し続けた。
とは言え、何をやっても空しかった。
そんなことを続けたところで、とっくに胸に開いてしまった風穴が閉じるはずもない。それは恐らく、遠い昔に自分が失ってしまったものでしか塞げるものではないことも、この少年はとうに知っていた。
ちょうど、そんなころだった。
あの<燕の巣>の女ヒナゲシが、皇太子妃として入内してきたのである。
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