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第六章 舞楽の宴
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しおりを挟む(なんだ……?)
場はしんと静まりかえり、父たるミカドをはじめ兄も居並ぶ臣下の皆々も、ただ不思議そうな視線を舞台上の人物に集めていた。
いや、それは一部誤解だった。少なくともミカドについては、この場でそれら一連の事態を驚くべき人ではなかったことは、その後すぐに分かることになったからである。
「何をしておるのだ。続けぬか」
中納言イイザネがでっぷりと肥えた体をゆすりつつ、まるで犬を追うようにして舞台に向かって笏を振ったが、舞台上のだれもぴくりとも動かなかった。雅楽を奏でていた楽人たちも、いまは楽器を手に微動だにしなくなっている。
中央に立っていたはずの主役の青年があでやかな錦の衣装を着た姿でその場に平伏している。やがて少し顔を上げると、伸びやかで品のある声が流れた。
「皆様がたにはご無礼をつかまつります。なれど陛下に置かれましては、恐れながらわたくしにこの場での口上をお許し願いたく」
「なにを申すかッ!」
鋭く叫んだのはイイザネである。
「無礼であるぞ! 卑賎の身で賢しらに陛下にもの申すなど。万死に値するわ。控えよ、控えよッ……!」
真っ赤になって片膝を立て、中納言がまくしたてる。と、その声を制するように、別の静かな声が言い放った。
「よい。申してみよ」
ミカドだった。
ざわ、と一瞬場がざわめいたが、すぐに静かになる。見れば兄ナガアキラがやや怪訝な目をして、じっと斜め後ろの父を睨むようにしていた。
と、主役を演じていた青年が何も被っていないはずの自分の顔に徐に手を掛けた。
「お、おおっ……?」
一斉に場がどよめく。驚くのも無理はなかった。まったくの人の素顔としか見えなかった青年の顔からごく薄い皮膚のごときものがぺろりと剥げて、その下からまったく別の顔が現れたからである。
その美貌。
匂いたつように高貴な顔。
かつてのように髪こそ長くはないものの、それでも艶やかな黒髪に、濡れたように清らかなその瞳。
その相貌は、かつて「光」と呼ばれた女人によく似ている。
「な……んだ、あれは──」
「い、いや待て。あれは、あのお顔は……!」
どよどよどよと、周囲は臣下らの私語で騒然となる。御簾の内にいる女房たちの間からも、「きゃっ」「まさか」というような黄色い声が上がった。
それもそのはずだった。
その美しさもさることながら、その下から現れたのは、長くこの内裏に勤める者なら誰しも十分に見覚えのある顔だったからである。
(なん……だと?)
ツグアキラは心の臓をわしづかみされた人のように、ひゅっと息を吸い込んだ。目の前の光景がすぐには飲み込めない。そんな周囲の空気を慮るようにたっぷりと時間をとってから、舞台上の青年はまた涼やかな声を放った。
「父上、兄君様がた、そして皆様。お久しぶりにございます。斯様に突然にお心を乱し申しあげ、大変ご無礼をいたしました。タカアキラ、ただいまここに無事に帰参いたしましてございます」
再び平伏した青年を、またわっと周囲の声が包み込んだ。
「おおお……!」
「ま、まさか……」
「しかしあれは、あのお姿はまさしくタカアキラ殿下にあらせられるぞ……!」
と、さっとミカドが高御座から立ち上がられ、素早く兄の脇をすりぬけて階を駆け下りた。そのまま段下に控えている小者が沓を準備するのも待たず、襪履きの足のまま舞台上のタカアキラに駆け寄ってゆく。
すると、タカアキラの傍で控えるようにしていた紙の仮面をつけたままの二人の舞手がすっと立ち上がり、まるでミカドを守るようにしてその脇につきながらタカアキラの傍まで導いた。
舞台脇やその周囲を囲むように座っていた直衣姿の楽人たちも、いつのまにやら楽器を置いて立ち上がり、まるで舞台周りを防備するようにして立ちはだかっている。
いや、そればかりではなかった。先ほどまでは舞台周りに十数名しかいなかったはずの人影がいつのまにか明らかに倍ほどの数に増えている。それらの人影は恰も、何もなかった空気の中から現れたようにしか見えなかった。
(なんだ……?)
ツグアキラは眉を顰めた。
なんだろう。何やら奇妙な違和感がある。ちらりと見れば、兄もやや不審げな顔をして我が父の背中を見つめていた。
父はそのままタカアキラの傍まで駆け上がると、我が息子の手をとって大いに喜びを表した。
「タカアキラ、タカアキラ……! よう戻った。戻ってくれた……!」
おお、とさらに周囲のどよめきが大きくなる。さらに「おめでとうござります」「お帰りなされませ、タカアキラ殿下」と事態を寿ぐ言葉があちこちから上がった。
父の手を取り晴れやかに微笑む第三皇子は、かつて見たよりもまたさらにその美しさを増しているように思われた。
(なぜ……。何故だッ……!)
笏で顔を隠しつつ、ツグアキラはきりきりと奥歯を噛みしめた。
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