星のオーファン

るなかふぇ

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第五章 月下哀艶

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 しかし、ベータはどこへ行ったのか、なかなか見つけることが出来なかった。そのまま夜の島の中を小一時間ばかり探し回ったが、思い当たる場所のどこにも見えない。
 少し息を切らしながら、アルファはふと、とあることに思い至った。

(もしや──)

 そうして今度は自分の<恩寵>を発動させ、自身の姿が見えないようにしてから来た道を一度戻った。
 よく考えてみれば、あの目と勘のいいベータのことだ。自分が近づく気配を感じただけで、あっさりと物陰に身を隠している可能性が高い。だとすれば、すでにアルファが探しに来た場所にならもう戻っては来るまいと踏んで、無防備に姿を晒してくれているかもしれない。

 果たして、その予感は当たった。
 月明かりに照らされて、以前にも二人で座ったことのある浜辺の流木に、見慣れたあの背中が見えたのだ。

(ベータ……)

 アルファはそろそろとそちらに近づいた。幸いにしてこの<隠遁>の能力は、自分が砂浜の上につけた足跡すら見えなくすることができてしまう。いきなりそばに現れたりすれば驚かせてしまうだろうし、咄嗟にあの恐るべき左腕の力を使われても困るので、アルファはまずは彼の前方、波打ち際のあたりまでそっと歩いた。
 両ひざに肘をついた格好で、ベータはどこを見るともなしにぼんやりと浜辺を眺めていた。さざなみが静かな音をたてて打ち寄せては、白い飛沫しぶきを生み出したり、崩したりを繰り返している。

(ベータ──)

 その表情を見た途端。
 アルファの胸はきりっと痛んだ。
 彼はこれまで見たこともないような、まるで捨てられた小動物かなにかのような、虚ろで冷えた瞳をしていた。
 アルファはさんざんに迷った末に、とうとう彼の目の前でその<隠遁>をふわりと解いた。

「っ……」

 ベータはさすがにぎょっとして、一瞬声をなくしたようだった。
 星の色をした瞳が見開かれ、ぎゅっと不快げに眉がひそめられる。
 が、彼はすぐにアルファの足元に目を落とし、そこから続いている足跡に気が付くと、あっという間にいつもの皮肉げな表情をつくった。

「……なんだ。そういう芸当もできるんだな。このは」
「……あ。す、すまない……。その……」

 言い訳の言葉など見つかるわけがない。それでへどもどしていたら、ベータのほうで「ほれ、座れ」と言わんばかりに流木の上、自分の右側をぽんぽん叩いた。

「え? その……怒って、いないのか……?」

 少し驚いてそう訊いてしまってから「しまった」と思う。せっかくこんな風にどうにかなごやかになっているのに、わざわざ話を蒸し返さなくてもいいではないか。
 が、ベータは特に表情を変えなかった。すっとぼけた顔のまま、膝で頬杖をついている。

「まあ、いいさ。とっくに毒気を抜かれてる。今さらもう一度腹を立てるというのも、甚だエネルギーの無駄だという気がしてきたしな」
「そう……なのか」
「ああ。してやられた。なんだかんだ言ってあのぽっちゃり親父、けっこう侮れん奴かもしれん──」

 そんなことを言ってがしがしと蜂蜜色の髪をかき回し、自嘲気味に笑っている。
 アルファはおずおずとそちらに近づくと、促されるまま彼の隣に座りこんだ。
 そこからしばらく、二人ともただ黙って、打ち寄せる波の音を聞いていた。

「で? いつから気づいてたんだ」
「えっ……」
 隣を見れば、予想以上に静かな瞳がじっとこちらを見据えていた。
「要はお前、<感応>もちでもあるんだろう。まあ、どうやら<隠遁>ほどの力ということではなさそうだが──」
「あ、ああ……。うん。その……」

 アルファは、そこからはもう正直にすべてを話した。
 大海戦の直前の、あの夜のこと。決して意図したのではなかったけれど、彼の過去の状況が勝手にえてしまったことを。
 ベータは黙って、ただ静かに聞いていた。
 先ほどのあの殺気が嘘のような、それは落ち着いた瞳をしていた。

「……なるほどな。やっと色々、納得がいった」
「す、済まない……。勝手に見えてしまったとは言え、君に話さないままで」
 と、ベータがふはは、と乾いた笑声をたてた。
「まあ、あの時はお前の方が、動転しまくっていきなり飛び出していったわけだしな。そういえばお前あの時、真っ青だったな。まるでお化けでも見たような顔だった。つまりあれは、そういうことだったわけだ」
「……面目ない」
「なに、謝ることはないさ」
 言ってベータは上体をそらし、背後で両腕をついて月を見上げた。アルファもそれにつられるようにして顔を上げ、少しばかり欠けて見える今宵の月を見つめた。

「だが、そうなると……私とお前は、従兄弟いとこ同士みたいなもの……なのだろうか」
 ぽつりと言ったら、ベータが変な顔でこちらを見た。
「別に、そういうことでもないだろう。母親同士、血がつながっているわけではないんだしな」
「まあ、それは……そうなんだが。でも、もし──」

 もし、もしも、父の妃として選ばれたのが自分の母、ヒカリでなく、ベータの母であったとしたら。もしかしたら自分たちは、今とはまったく逆の立場でこの月を見上げていたのかもしれない。
 ベータこそがあのスメラギの皇子で、自分が今のベータの立場であったのかも。

 しかし、ベータはそんなアルファの夢想をあっさりと笑い飛ばした。
「バカいうな。たとえ俺が皇子だったとしても、お前みたいなド世間知らずの皇子殿下にはなりようがない。小賢しい兄どもにも、そうそう好き勝手はさせんはずだしな、間違っても」
「…………」

 アルファは少し口を噤んだ。なんだかまた酷いことを言われているような気がする。とは言え今ではさほど気分を害するわけではない。つくづく、慣れというのは恐ろしい。
 そんなことを考えていたら、ベータがふと何かに気づいたように目を瞬き、ちょっと顎を掻いた。

「と言うか、その場合は年齢的に考えても、俺が皇太子になるんじゃないのか?」
「あ、そうか……」
 なるほど。考えてみれば、ベータとあの長兄ナガアキラとはほぼ同い年なのだった。とすれば、このベータこそがあのスメラギの次なるミカドになっていたかもしれないということだ。
「それに、こう言ってはなんだがお前も、俺と同じ環境と仕事でちゃんとやっていけているとは到底思えん。というか正直、今頃まともに生きていたかどうかも怪しいと思うぞ、俺は」
「…………」
 
 アルファは思わず半眼になった。
 いやそれは、いくら何でもちょっとひどすぎないか。
 しかしやっぱり、ベータの辿ってきた厳しい人生のことを思えば、自分ではそうなっていてもおかしくなかったかと思いなおした。

「……おい。何をする」

 すっと立ち上がって彼の前に回り、砂地に両膝をついたアルファを見て、ベータがまた変な顔になった。
 アルファはそのまま両手をつき、彼に深く頭を下げた。

「申し訳なかった……いや、申し訳ございませんでした、殿」



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