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第四章 恩寵部隊
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しおりを挟む「お、お許しくださいませっ……!」
「え? ア、アヤメさん……!」
アルファは驚いて席を立ち、彼女のそばに駆け寄った。
その近くに片膝をつくと、聡明で気丈な人であるはずの彼女の肩もぴたりと床につかれた手も、ぶるぶるとわなないていた。
「家族の命を握られていたからとは言え……ほかならぬ殿下のお命を亡きものにしようなど……! 返すがえすも、恐ろしい陰謀に加担してしまいました……。そちらのミミスリ様にも、本当に申し訳ないことをしてしまいました──」
母たる人の声は震えている。テーブルの向こうに立っているミミスリが、やや耳をしおたれさせ、困ったように視線をそらした。皆の背後に控えていたマサトビは気の毒げな目をして女性をじっと見つめている。
「この命をもってしても贖えぬ罪にございます。まことに、まことに……申し訳ございませんでした……!」
本来毅然とした人であるのだろうに、彼女の声は震えきって、目には光るものがある。
「わたくし自身は、いかようなご処分も厭いません。けれど、どうか……どうか、子供たちの命ばかりはお助けいただきたく──」
「そんなこと……! 当然だ!」
何を言うのか。
なんで自分が、この人を重い刑に処したりできると言うのだろう。
頼みの綱だった夫を亡くし、庇護者を失くした大事な子らの命を盾にされ、従うほかなかったこの人を。
ましてやあのなんの罪もない子供らを、なんで酷い目に遭わせられよう。
「もういい。……もう、いいから」
「いえ……。いいえ……!」
「わかったから、アヤメさん。まずは手を上げてください。これでは話もできません。……どうか、お願いですから」
アルファは彼女の手を取ると、無理にも立ち上がらせて席につかせた。
◇
ツバメの顔をもつ女、アヤメ。先日アルファたちが救い出したタケルとカンナの母であり、女だとはいえ<恩寵>もちであったために宇宙の果てで特殊任務に就くことになった人だ。彼女はその特別な<恩寵>により、ザルヴォーグ艦隊司令官の秘書官として何年も前から敵軍内部に潜入していた。
そうして、あの大海戦の直前。彼女はスメラギにいる自分の「飼い主」から、これまでにない非常に奇妙な指令を受けた。
「ミンティアの……あの事件か」
「はい。その通りでございます」
艦隊司令官をあやつって、アルファの乗っていた補給医務艦ミンティアを攻撃するための戦艦を一隻、その目の前へ異空間航行させよというのである。この企みにはほかにも何人もの<恩寵>もちが関わっていたはずだった。
「わたくしの<恩寵>は、本来さほど大した力ではございません。その種別といいますのは主に、ごくわずかのものを『置き換える』ことのできる能力なのですが」
「なるほど。<置換>というやつか」
独り言のように言ったベータの言葉に、アヤメはひとつ頷いた。
「人の脳と、それが認識していることは、思った以上にあやふやなものなのでございます。ですからわたくしのそれまでの仕事というのは、スメラギからの命令があるたびに艦隊の司令官やザルヴォーグ内の要人の脳にちょっとした干渉をすることでございました」
たとえば、「Aであり、またBであるからCである」などと、本人としてはごく論理的に思考を構築して結論を導いているつもりの脳に、そのAとBとCの順番をちょっといじって混乱させる。同様にして、「上層部からこう命令された」と認識している脳にまったく違うことを思い込ませる。彼女の<恩寵>を用いれば、そういうことが実際に簡単にできてしまうのだ。
だから聡明さを買われて出世してきたはずの将軍やら政治家などを「すっかり気がおかしくなられた」とか「もうろくした」とかと周囲に思い込ませ、左遷させるのも思いのまま。
「さすがスメラギ。えげつないねえ……」
ベータの笑顔もコメントも、これ以上ないほどに皮肉まみれだ。
実際、ひどい話である。
「ともかく、そのような方法で、わたくしたちは戦艦のひとつをミンティア号の前に飛ばすことに成功しました。お察しするに、ミミスリ様は殿下のお傍を片時も離れぬようにと命令されておられたのでしょう」
「…………」
ミミスリが黙って陰鬱に頷いた。
「あとはその戦艦に乗り込んでいた仲間の一人がミミスリ様に仕掛けられていた発信機を狙って主砲を撃つ。勿論、ピンポイントで殿下をお狙い申し上げるため……。おおむね、そのような作戦だったのでございます」
「なるほど……」
「で? あんたの命令者は」
すかさず切り込んだのは、もちろんベータだ。
アヤメは濡れたように美しいツバメとしての瞳を一瞬だけくるっと大きくしたが、ひとつ息をついてから言った。
「……中納言、イイザネ様にございます」
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