135 / 191
第四章 恩寵部隊
5
しおりを挟む「いや、本当に──うわっ!?」
と、今まで黙って傍で聞いていたベータが、いきなりアルファの肩にぐわっと腕を回して引き寄せた。
「ベッ、ベータ……!?」
子供たちの目を憚って必死に表情を取りつくろおうをしたのだったが、あまりうまくいかなかった。彼に触れられた場所が一気に熱を持つ。
「な、なにを──」
が、ベータはアルファの反応には無関心で、子供たちの方しか見ていなかった。
「遠慮するな。『殿下』ご自身がそうお望みなんだ、お前らは大手を振ってご命令通りにすればいいのさ。それに」
ぐい、とそのままさらに抱き寄せるようにされ、ほとんど頬が触れるぐらいになる。アルファの鼓動は跳ね上がり、瞬く間に体の芯が熱くなってくるのを覚えた。
この男、一体なにを考えているのだろう。
(こ、こんな子供の前で──!)
一瞬そう思いかけ、思った自分をアルファはまた叱咤した。
(ち、ちがう! 何を考えているんだ、私は……!)
自分と彼は男同士なのだ。子供たちにも「彼とは仕事仲間だ」とすでに説明もしてある。仕事仲間の男二人がちょっと肩を組んだからといって、何も恥じる理由はない。人目を憚る理由もないのに。
「なんだかんだ言って、こいつは結局、ただの『ちょっと上品な泣き虫のお兄ちゃん』に過ぎん。そうだろう? それは俺なんかより、お前らのほうがよーく分かっているんじゃないのか。ん?」
「おい、ベータ!」
むっとして肩に回った彼の腕をひきはがそうとするが、生憎それは例の改造された左腕のほうだった。彼がひとたび本気になれば、ちょっとやそっとのことではびくともしない。ベータはにやにや笑いを貼り付けたまま、至近距離からこちらの目を覗き込むようにした。
アルファの胸はその瞬間、不覚にもまたどきりと跳ねた。
彼の唇がすぐそこにある。ちょっと顔を動かせば触れられそうなほど近くに。
ちなみに今はもう、彼の瞳はあの星の色に戻っている。彼は<ミーナ>の中でとっくに髪も目も元に戻してきたからだ。ついでながら、アルファにとって非常に目の毒だったあの無精髭も綺麗に剃られてしまっている。
「また改めてお前らにも話があると思うが、面倒だから先に言っておく。こいつはこれから先、そういう面倒な身分やら何やらのないスメラギを作りたいと言っている。人がそういう身分や何かに左右されずに、自分の努力と能力とでちゃんと道を切り開ける世をな」
「えっ……。そうなの?」
ユウナの脇にいた小さな少年が目を丸くして見上げてきた。他の子供たちも同様だ。ベータは不思議なほど屈託のない笑顔を浮かべてうなずいた。
「そうさ。だからお前らはそのはしりだ。こいつがどこの誰だとしても、普通に対等に付き合えばいい。つまり、今まで通りにな。本当に尊敬に足るやつなら敬えばいいだろうし、そうでないならそれなりに。ま、要するにそういうことだな」
言って軽く片目などつぶって見せている。
「…………」
(まったく……)
アルファは頭を抱えてしまった。
なんでそんなに楽しそうなんだ。
どうでもいいが、皮肉まみれのそのにやついた顔、どうにかならないのか。
「そういうことだろう? 皇子サマ」
「え? あ、いや……」
なんだか、だいぶ違うような気がするが。
ともかくも、アルファはちょっとため息をつくと、ベータの頬を押し戻し、どうやら力の緩んだ彼の手を肩からぺいっと弾き飛ばして、にっこりと子供たちに笑って見せた。
「そういうことだよ。どうかお願いだから今までどおりに。ね? みんな」
「え? ほんとう……?」
「じゃ、じゃあ、アレックスって呼んでいいの……?」
「ああ、もちろん」
小さな子供たちの目がきらきらと輝きはじめる。
「なんなら『タカアキラ』でも、別に私は構わないけどね」
「……!」
途端、ユウナをはじめとする年嵩の子供たちがさっと顔色を変え、ぶんぶん首を横に振った。が、かれらのそれは杞憂に終わった。
なぜなら子供たちは一点の曇りもない声ですぐにこう答えたからだ。
「ううん! やっぱり、アレックス!」
「うん、ぼくもアレックスがいいよ……!」
「アレックス、アレックス……!」
「お帰りなさい、アレックス……!」
そこでやっと子供たちはいつもの澄んだ笑顔を取り戻し、先を争うようにしてアルファの腕の中に飛び込んできた。
いつものように子供たちに取り囲まれ、もみくちゃにされて笑うアルファを、ベータは微苦笑を浮かべつつ、しばらくじっと見下ろしていた。が、やがて周囲をちらっと見ると、アルファの肩をちょいちょいとつついた。
「とりあえず先に、何か返事をしてやれよ。みなさん、お待ちかねみたいだぞ」
「え……?」
見れば、先ほどまで久しぶりの家族の再会を喜んでいたエージェントたちが、しんとなって砂地に膝をつき、こちらに向かって低く頭を垂れていた。周囲の子供たちも親に倣ってその脇で同様にしている。タケルとカンナ兄妹の傍にいるのは、あの映像で見た燕の顔をもつ女性のようだ。
アルファは子供たちの体から手をはなすと、困った顔になって立ち上がった。
「あ、……ええと。そういうことはよしにしてくれ」
「そういう訳には。殿下、このたびは、わたくしどもの家族をお救いいただき──」
先頭に座った黒馬の顔をした男が重々しく続けようとするところを、アルファは慌てて両手で遮った。
「いやもう、本当に! こ、子供たちも、長旅でさぞや疲れているだろう。早く食事にして、寝かせてやらねば。さ、みんな立って立って。住居の方へ案内しよう」
「いえ、殿下。それでは……」
「ミミスリとザンギの奥方が、皆を迎える準備をしてくれているはずだ。この子供たちも一緒に、皆をもてなす料理を作ってくれたそうだよ」
「で、殿下──」
なおも追いすがろうとする男の前でくるりと踵を返す。
「さあさあ、行こう。料理が冷めてしまっては一大事だ。皆のせっかくの歓迎の意を無にすることになってしまう。そうだろう? みんな」
「うん!」
「わたしも、いっぱいおてつだいしたよ!」
「早くみんなで食べようよ、アレックス!」
「ぼくもう、おなかぺっこぺこー!」
あとはもう振り向きもせず、子供たちをつれて早足にぐんぐん歩く。
すぐ後からついてくるベータの顔はきっととんでもなくにやついているに決まっていたが、アルファはもうそちらを振り向くことはしなかった。
0
お気に入りに追加
59
あなたにおすすめの小説
だからその声で抱きしめて〖完結〗
華周夏
BL
音大にて、朱鷺(トキ)は知らない男性と憧れの美人ピアノ講師の情事を目撃してしまい、その男に口止めされるが朱鷺の記憶からはその一連の事は抜け落ちる。朱鷺は強いストレスがかかると、その記憶だけを部分的に失ってしまう解離に近い性質をもっていた。そしてある日、教会で歌っているとき、その男と知らずに再会する。それぞれの過去の傷と闇、記憶が絡まった心の傷が絡みあうラブストーリー。
《深谷朱鷺》コンプレックスだらけの音大生。声楽を専攻している。珍しいカウンターテナーの歌声を持つ。巻くほどの自分の癖っ毛が嫌い。瞳は茶色で大きい。
《瀬川雅之》女たらしと、親友の鷹に言われる。眼鏡の黒髪イケメン。常に2、3人の人をキープ。新進気鋭の人気ピアニスト。鷹とは家がお隣さん。鷹と共に音楽一家。父は国際的ピアニスト。母は父の無名時代のパトロンの娘。
《芦崎鷹》瀬川の親友。幼い頃から天才バイオリニストとして有名指揮者の父と演奏旅行にまわる。朱鷺と知り合い、弟のように可愛がる。母は声楽家。
【完結】『ルカ』
瀬川香夜子
BL
―――目が覚めた時、自分の中は空っぽだった。
倒れていたところを一人の老人に拾われ、目覚めた時には記憶を無くしていた。
クロと名付けられ、親切な老人―ソニーの家に置いて貰うことに。しかし、記憶は一向に戻る気配を見せない。
そんなある日、クロを知る青年が現れ……?
貴族の青年×記憶喪失の青年です。
※自サイトでも掲載しています。
2021年6月28日 本編完結
泣いた邪神が問いかけた
小雨路 あんづ
BL
街に根づく都市伝説を消す、それが御縁一族の使命だ。
十年の月日を経て再び街へと戻ってきたアイルは、怪異に追いかけられ朽ちかけた祠の封印を解いてしまう。
そこから現れたのはーー。
渇望の檻
凪玖海くみ
BL
カフェの店員として静かに働いていた早坂優希の前に、かつての先輩兼友人だった五十嵐零が突然現れる。
しかし、彼は優希を「今度こそ失いたくない」と告げ、強引に自宅に連れ去り監禁してしまう。
支配される日々の中で、優希は必死に逃げ出そうとするが、いつしか零の孤独に触れ、彼への感情が少しずつ変わり始める。
一方、優希を探し出そうとする探偵の夏目は、救いと恋心の間で揺れながら、彼を取り戻そうと奔走する。
外の世界への自由か、孤独を分かち合う愛か――。
ふたつの好意に触れた優希が最後に選ぶのは……?
近親相姦メス堕ちショタ調教 家庭内性教育
オロテンH太郎
BL
これから私は、父親として最低なことをする。
息子の蓮人はもう部屋でまどろんでいるだろう。
思えば私は妻と離婚してからというもの、この時をずっと待っていたのかもしれない。
ひそかに息子へ劣情を向けていた父はとうとう我慢できなくなってしまい……
おそらく地雷原ですので、合わないと思いましたらそっとブラウザバックをよろしくお願いします。
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる