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第三章 潜入
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しおりを挟む「あっちに着いたら、まずは親父さんとの面会だな。せいぜい頑張ってくれよ、皇子サマ」
スメラギに向かう、宇宙艇<ミーナ>のコクピット。
自動航行に入ってすぐに淹れたコーヒーに口をつけながら、ベータはすっとぼけた口調でアルファに言った。アルファの前にある簡易テーブルにも、いつものように香りのよい液体の入ったマグカップが置かれている。
「ザンギたちとの連絡が取れるまでの下準備をということか? それは勿論、力を尽くすつもりだが」
「まあ、それもある」
ちなみにマサトビはというと、このところのバタバタですっかり疲れて奥の簡易ベッドで熟睡している。はじめのうちこそ「殿下がお起きでいらっしゃるのに、自分が先に休むなど」と必死に固辞していたのだったが、ふと見ればあの男、いつの間にやら座ったまま舟を漕いでいるのだった。
そんなこんなでアルファがしまいに「これは命令だ」と言って無理やりベッドに寝かせたのである。
マサトビの乗ってきた小型艇はというと、<ミーナ>が遠隔操作することによりこの艇のあとからついてきている。目に見える綱こそついていないが、つまりは海で船を曳航するのと同じ要領だ。
淹れてもらったコーヒーをひと口飲むと、いつもの豊潤な香りがアルファの緊張しがちな神経をなだめてくれるようだった。なんとなくほっとする。
ふう、と息をついたところでベータが言った。
「お前の場合、もっと練習しておくべきことがある」
「え? ……それは」
「ほかでもない。『庶民としての立ち居振る舞い』。これだな」
「…………」
カップを持ったまま妙な顔になったアルファを見やって、男が軽く苦笑した。
「お前、自覚がなさすぎる。顔立ちのほうは変装でどうとでもなるが、そのいかにもぼんぼん育ち丸出しのしゃべり方に雅な仕草。『私は皇子様です』と言わんばかりだ」
「そ、そうだろうか……?」
「そうなんですよ、皇子サマ」
自分はそこまで見るからに「皇子皇子」しているのだろうか。
何となく情けない気分になって、アルファは思わず自分の手元や体を見下ろした。
ベータは皮肉げな笑顔をはりつけたまま、またひとくちコーヒーを飲み下した。
「初対面の時の、あのスズナの顔を見なかったのか。あんな子供にまで一発で『これはやんごとなき方にちがいない』なんぞと見破られてたんではしょうがない。まあもちろん、場合によっては非常に有用なスキルではあるんだが」
「そ……、そうか……」
「ともかく、しばらくは変装して、こっちも現地で情報収集だ。できれば出入りの商家かなにかに潜り込んで、監禁先にスムーズに出入りできるようになっておければ御の字だな」
「ああ……そうだな」
「したがって」
そう言ったベータの口角が、さらに弓なりに引きあがった。
ぴしりと鼻先に人差し指を突き付けられる。
「これからのお前の当面の仕事は、『なるべく庶民になりきること』。これだ」
「…………」
「コーヒーの飲み方ひとつ取ってもそうだ。なんだその無駄にだだ漏れの品の良さ。育ちの良さを醸し出す、いかにも美麗な指さばき。いい年をした庶民の男が、そんな姿勢と手つきでマグカップを持つもんか。持ち上げるところからやり直せ」
「…………」
なんだろう。
褒められているようなのに、何故だかちっとも嬉しくない。
「ついでに、もっと音を立てて飲んでみろ。ずずーっと、さも下品な感じで。ああ、もっと肘もあげて、足を広げて。シートに浅く座るとなおいいな。やってみろ、ほら。皇子サマ」
「…………」
アルファは完全に渋面になった。
これは、絶対に遊ばれている。
隣でさも楽しげに喉をくつくつ鳴らしている男を睨んで、アルファは思わず肩を落とした。
……ああ、先が思いやられる。
◆◆◆
数日後。
夜、アルファはスメラギ宮の中にいた。
すぐ後ろにはベータとマサトビが息を殺して従っている。アルファとベータは万が一だれかに見咎められたときのため、夜間の警備にあたる衛士の装束に身を包んでいた。マサトビはもともと宮中に仕えているため、いつもの束帯姿でついてきている。
いま、アルファはもちろん<隠遁>を発動させている。事前の打ち合わせ通り、まずはマサトビが先に都の自邸にもどり、その後合流したのだ。そうしてマサトビ邸で夜を待ち、三人で<隠遁>を使って宮の大門、中門を抜け、まっすぐ父の寝所のあるこの奥の院を目指したのである。
すでに懐かしいとすら思う宮の檜皮葺の屋根が、春先のぼんやりとした月明かりに照らされている。
ここは他惑星ではよくあるような天を衝く尖塔などを擁する宮ではなく、全体に平たく、地面にゆったりと羽を広げる鳥のようなシルエットの建物群だ。とはいえ常時、最先端の科学技術によるものと、人の目による厳重な警備が敷かれている。
市街のほうでもそうなのだったが、このスメラギの都においてはその雅な景観を損なうような現代的、科学的なフォルムのものは極力排除されている。そうしたものは基本的に地面に埋め込まれたり木造の家屋に収められたりして、人目につかぬように設置されているのだ。
警備システムについても同様で、訪問者は一応人間の門番らによる誰何などもされる一方、門に内蔵されたセンサー等々によってその持ち物から体内に仕込んだ物に至るまで、逐一厳しくチェックされている。
無論それらすべての「関門」を、アルファはこの<隠遁>によってここまでひたすらにすり抜けてきた。これを使えば人の足音や息遣いなどまで他の者の耳には届かなくなるばかりでなく、そうした科学的なセンサーの網までもすり抜けることが可能になる。
とはいえ、油断は禁物だ。
三人は息をひそめて御所の廊下を進み、各部屋を囲った蔀戸を右に見つつ、渡殿をつぎつぎに渡っていった。
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