星のオーファン

るなかふぇ

文字の大きさ
上 下
109 / 191
第二章 焦燥

しおりを挟む

 ゴブサムとの対面は、それまでに十分に心の準備をしていたにも関わらず、ベータにとっても相当に忍耐を試される場面となった。

 その巨大な宇宙船の客間であるらしい大広間の中央にある豪奢な椅子に、でっぷりと肥え太った蜥蜴の形質をもつ男が座っている。男はグラスを手に、きろきろと光る眼でこちらを値踏みする様子だった。
 その脇に、ダークスーツ姿の美しい青年が布で包んだワインのボトルを捧げ持つようにして立っている。
 ベータはごくひそかに自分の拳を握りしめていた。

(アルファ……!)

 そうだった。
 それは紛れもない、あの夢にまで見た青年の姿だった。
 自分は何度、彼を夢に見ただろう。真っ黒な水底に沈んでゆく、死んだ目の色をした青年。彼はこちらに助けを求めようとさえしていない。そんな彼を追いかけて黒い水の中でもがき続け、夜中にはっと目が覚める。そんな夜を、いったい自分は何度過ごしてきたことか。そのたびにびっしょりと汗をかいて、自分は何度吠えたことか。
「なんで俺が、こんな夢を見なきゃならないんだ」と。「知ったことか。あいつが勝手に、自分でそうなっただけじゃないか」と。
 自業自得じゃないか、俺だってずっとそれを望んできたはずじゃないかと、何度自分を叱咤したか。

 だが、そんなものは全部無駄だった。
 結局こうして、自分はこの蜥蜴野郎の船にまで彼を救いに来たのだから。
 そうしてベータは改めて、十メートルばかり先にいる懐かしい青年の顔へと視線を戻した。

(アルファ……)

 黒い瞳、黒い髪。すらりと品の良い立ち姿。
 相変わらずの、目を吸い寄せられるように清げな美しさだ。いやむしろ、以前にも彼から放たれていたそのかぐわしい色香のようなものは、前よりも格段にいや増しているようにさえ思われた。

(しかし──)

 ベータはマスクの下で唇を噛んだ。
 今の青年の瞳には、以前のような生気はまるでなかった。頬も透けるように青白く、何かこの世の人とも思えない。以前と比べるとかなり痩せてしまったようにも見える。
 しかしそうでありながら、彼はぞっとするほど美しかった。一方でその美しさは、どこかで生きることを放棄した、この世ならぬものにしか見えなかった。
 さもありなん。
 この三年の歳月のなかで、そこの薄汚い蜥蜴野郎から彼がどんな目に遭わされてきたかを思えば、それは無理からぬことだった。

 蜥蜴の男が軽くグラスを傾けると、アルファはすぐにそれと察してそこに酒をいでいる。そうするようにと、すっかり「調教」されているのだろう。いや、彼が行われた「調教」は、恐らくそんな程度ではありえないはずだった。
 人としての尊厳のすべてを奪い尽くされ、その地獄から逃れるためのあらゆる希望を潰されて、ただ唯々諾々と主人あるじに従うことを仕込まれた犬。今の彼は、まさにそんなものになり果てているように見えた。
 今の彼にはその「犬」だとか「奴隷」だとかといった呼び名こそが相応しいのであろう。そういう風に、この三年をかけてじっくりとこの蜥蜴野郎が彼をすっかり自分好みに作り変えてしまったのだ。
 そうでなければ、青年のあの虚ろな瞳の色の説明はつかないのだから。
 すべてを諦めたあの瞳。
 あれは自分の命も体も、すべてを他人に握られて身動きもできなくなった生きものの目だ。己が生殺与奪を他人の手に握られて、あらゆる生きるよすがを失った生きものの目だ。
 ベータはぎりぎりと奥歯を噛みしめた。

(落ち着け。冷静になれ。冷静になれ……!)

 うるさいほどに自分に言い聞かせ続けながら、ベータはどうにか普段の客に対するのと同じ声音と態度を崩さないまま、ゴブサムと偽の取引事項について話を進めた。要するに、ベータはゴブサムが何らかの裏の仕事を任せたいと考えている内容について、それを受けるためにここへやってきたというていなのだった。
 ごく普通に仕事の話をしている風を装いながら、ベータは慎重にアルファをはじめ周囲の状況を観察していた。そうして、すでにこの船に以前から潜伏している自分の協力者──あの鷲の顔をしたザンギという名の男──とひそかにマスクの中で連絡を取り合っていた。
 つまりベータは彼や「ミーナ」とうまくタイミングを合わせて、この宇宙船内部の警備システムや人間につけられたナノマシンに干渉しようとしていたのだ。

 やがて。
 ごくつまらないことでアルファがミスをし、ゴブサムの目がぎらっと怒りに燃えたのをベータは見た。
 そこから展開されたことはすべて、「あるじとその所有物」とのこれまでの関係を如実に表わしていた。

 蜥蜴の男は彼に無造作に服を脱ぐことを命令した。奴隷の青年は何の感慨も抱かないように無表情のまま、あるじに言われるままにその場で着ているものをすべて脱ぎ捨てた。
 本来であれば他人に対して隠すべき場所すら隠そうともせず、そのことに対する羞恥など微塵も見せない。その場にいる客人たるベータや護衛の者らの目さえ、いっさいはばかる様子もなかった。
 さらに、蜥蜴の男は彼に向かって自分が落として割れたグラスの上を歩けと命じた。アルファはほんのわずかに躊躇したようではあったが、やはり命ぜられるまま、そこを素直に歩いて行った。

 尖ったガラスの破片が、ずぶずぶと柔らかい彼の足の裏に突き刺ささる音がした。
 しかしそれを見ている蜥蜴の男は、大した感慨も覚えぬように冷たい視線でそれを観察しているのみだった。その目はただただ、自分の持ち物が自分の命令にちゃんと従うかどうかを見定めようとしているだけに見えた。
 ぱりぱりと、アルファの足の下でガラスが鳴った。

(……この、野郎ッ……!)

 そこがもう、限界だった。
 ベータはそこから、自分が何をやったかをあまりよく覚えていない。
 ともかくも気が付けば、改造された左腕を変形させ、それを使って蜥蜴男の頭部を修復不可能なまでに切り刻んでいた。
 事前の作戦通り、その瞬間に周囲の護衛たちのナノマシンには愛機「ミーナ」とザンギが干渉した。誰もその時のベータを止める者はなかった。
 
 くして遂に、ベータはアルファ奪還を果たした。
 事後の確認をしたうえでその宇宙船を離れる予定になっていたザンギを残し、ベータはアルファを腕に抱いて、「ミーナ」を目指して一散に宇宙船の通路を走った。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ずっと女の子になりたかった 男の娘の私

ムーワ
BL
幼少期からどことなく男の服装をして学校に通っているのに違和感を感じていた主人公のヒデキ。 ヒデキは同級生の女の子が履いているスカートが自分でも履きたくて仕方がなかったが、母親はいつもズボンばかりでスカートは買ってくれなかった。 そんなヒデキの幼少期から大人になるまでの成長を描いたLGBT(ジェンダーレス作品)です。

やさしいひと

木原あざみ
BL
とびきり優しく、愛してあげる。もう、ほかの誰も目に入らないくらいに。 ** 高校生の浅海は、ある夜、裏の世界で生きる男・八瀬と知り合う。 自分は誰かを好きになることはない。そう思っていたのに、いつのまにか大人の彼の優しさに惹かれていって――。 彼の優しさが見せかけのものでも構わなかった。そのあいだだけであっても、幸せな夢を見ることができるのなら。 誰のことも信用していなかったやくざの男と、恋愛することを恐れていた高校生。 偶然の出逢いが、運命を変える恋になる。 ※プロローグ、エピローグのみ攻め視点三人称、本編は受け視点三人称で進みます。 ※モブレ含む暴力描写、反社会的行為の描写を含みます。苦手な方はご閲覧なさらないようお願い申し上げます。

【完結】『ルカ』

瀬川香夜子
BL
―――目が覚めた時、自分の中は空っぽだった。 倒れていたところを一人の老人に拾われ、目覚めた時には記憶を無くしていた。 クロと名付けられ、親切な老人―ソニーの家に置いて貰うことに。しかし、記憶は一向に戻る気配を見せない。 そんなある日、クロを知る青年が現れ……? 貴族の青年×記憶喪失の青年です。 ※自サイトでも掲載しています。 2021年6月28日 本編完結

狐に嫁入り~種付け陵辱♡山神の里~

トマトふぁ之助
BL
昔々、山に逃げ込んだ青年が山神の里に迷い込み……。人外×青年、時代物オメガバースBL。

男色医師

虎 正規
BL
ゲイの医者、黒河の毒牙から逃れられるか?

渇望の檻

凪玖海くみ
BL
カフェの店員として静かに働いていた早坂優希の前に、かつての先輩兼友人だった五十嵐零が突然現れる。 しかし、彼は優希を「今度こそ失いたくない」と告げ、強引に自宅に連れ去り監禁してしまう。 支配される日々の中で、優希は必死に逃げ出そうとするが、いつしか零の孤独に触れ、彼への感情が少しずつ変わり始める。 一方、優希を探し出そうとする探偵の夏目は、救いと恋心の間で揺れながら、彼を取り戻そうと奔走する。 外の世界への自由か、孤独を分かち合う愛か――。 ふたつの好意に触れた優希が最後に選ぶのは……?

家庭教師はクセになっていく〈完結〉

ぎょく大臣
BL
大学生の青年が家庭教師でバイトしている先で親子に体を開発されていく話。 マニアックなプレイ上等。 頭からっぽで読めるエロを目指してます。

生贄として捧げられたら人外にぐちゃぐちゃにされた

キルキ
BL
生贄になった主人公が、正体不明の何かにめちゃくちゃにされ挙げ句、いっぱい愛してもらう話。こんなタイトルですがハピエンです。 人外✕人間 ♡喘ぎな分、いつもより過激です。 以下注意 ♡喘ぎ/淫語/直腸責め/快楽墜ち/輪姦/異種姦/複数プレイ/フェラ/二輪挿し/無理矢理要素あり 2024/01/31追記  本作品はキルキのオリジナル小説です。

処理中です...