94 / 191
第八章 漂流
5 ※
しおりを挟む(そうか、ベータ……!)
そうだ。
あのベータのようになれればいいのだ。
柔らかくて壊れやすいこの自我を、理性を保とうとするこの精神を守ろうと思うなら、昔の彼のようにすればいい。
扉を閉ざすのだ。心の扉を。
これ以上弄ばれ、蹂躙されれば壊れてしまうかもしれない自分の理性を。
いや、もちろん自分にそんな<恩寵>があるなどという確信はなかった。幼少のころに現れた<隠遁>及び<感応>と、それ以降に現れたわずかな力である<念動>。それだけでも、ひとりの人間としては十分すぎるほどの恩寵だった。これ以上を望むのは、もはや強欲の域だろう。しかし。
(頼む。お願いだ。お願いだ……!)
スメラギには、八百万の神々をあがめる信仰が存在する。それは自然界の津々浦々にあるもの、山や海、川や森、草木に花に生き物たち、そういったもののそこここにそれぞれに神が宿るのだといった信仰だ。
とはいえスメラギの神事や季節の行事そのほかは今やすっかり形骸化したものであって、アルファ自身と同じように皆、これといったまことの信仰心があるというほどのことでもない。もっとも、田舎のほうの農村部に行くならば、昔ながらの篤い信仰心を持つ人々は存在するが。
ともかくも。だからアルファは、その時だれに祈ったというのでもなかった。しかし気持ちとしてはほとんどそれに近かった。
(どうか、どうか。ベータのような<恩寵>を──)
どうにかして、我が理性を守らせてほしい。今後あの蜥蜴の男にどのように心と体を蹂躙されようとも、いつか助かる日が来た時のため、自分の心を守らせたまえ。
あの力は、言わば心の在り方を自分の望みどおりに「変異」させることなのではないだろうか。<念動>が物理的にものを動かす力であるなら、あれは心のありようを動かそうとする力だろう。
(とはいえ……)
ただ、それにも問題はある。あの蜥蜴の男がそうした心底からの奴隷のようになってしまった後のアルファに飽きる可能性があることだ。あの男は玩具に飽きれば、あっさりそれを他へ売り渡そうとするだろう。
しかし、そこには希望もある。マサトビにはさすがに無理だろうが、裏社会のことに明るいあのベータであれば。彼ならそういうルートに乗せられてしまった自分を追うことが可能であるかもしれない。そうなれば、今の状態よりもはるかに発見される可能性は広がるかもしれないのだ。もっともそれは、自分がまだ生きていて、ただの「臓器」として売買されているのではない場合だけれども。
しかし、何もせずにただこのまま狂わされてしまうよりは。
一か八か、自分はそれに賭けるべきではないだろうか。
そして。
それから以降、アルファは自分の内側だけで、どうにかその<恩寵>を開花させられないかを模索しはじめた。
あのゴブサムに不審がられないようにするために、自分は次第に理性の壊れていく様を演出する必要もある。あの男に蹂躙され、怪しからぬ技のあれこれを教え込まれながら、次第しだいに心が壊れ、あの男の奴隷になり果ててゆく、その過程を見せる必要がある。
そのぎりぎりのどこかの時点で、なんとかその<恩寵>を使いたい。言うなれば心の<閉鎖>とでも呼ぶべきその<恩寵>を。
もはや神仏に祈る気持ちで、アルファは夜ごと蜥蜴の男に犯されながら必死にその道を模索し続けた。
正直なところを言えば、結果的にそんな「演技」は無用だった。演技などする必要もないほどに、アルファの精神はかの男の嗜虐にまみれた様々の手法によってこてんぱんに痛めつけられることになったからだ。
演技ではなく、アルファは泣いた。泣いて、「どうか許してくださいご主人様」と、男の足を舐め、性器を舐めて懇願せねばならないほどに。
その後、主人が面白がって自邸に集めた「同好の士」らにまでよってたかって犯されることにもなったのだったが、その時も同じだった。それを酒の肴にして楽しむ主人に向かって、アルファはただただ「もう許して」と泣き叫んだ。もちろんそれで許されたためしなどただの一度もなかったけれど。
(……だめだ。もう、だめだ──)
日一日と、限界は近づいていた。
(ベータ。……ベータ)
お願いだ。
どうか、助けて。
(教えてくれ。どうすればいい)
本当に、壊れてしまう。
このままでは自分は早晩、
二度と戻れない場所にまで追いやられてしまう──。
性的な虐待のみならず、さまざまな拷問具まで使用され破壊されつくした体を医療カプセルの中に投げ出して、アルファは時折りそこからのぞける夜空の星に祈り続けた。
蒼白い星。
彼の瞳のような、あの星に。
お願いだ。
お願いだ。
あの子らのため、死ぬことだけはできないんだ。
……お前のもとに、戻りたいんだ。
だから。
(一体どうすれば、お前の<恩寵>が使えるんだ……!)
……そうして。
蜥蜴の男に囚われてより、三か月後。
アルファの望みは、遂に叶ったのであった。
0
お気に入りに追加
59
あなたにおすすめの小説
だからその声で抱きしめて〖完結〗
華周夏
BL
音大にて、朱鷺(トキ)は知らない男性と憧れの美人ピアノ講師の情事を目撃してしまい、その男に口止めされるが朱鷺の記憶からはその一連の事は抜け落ちる。朱鷺は強いストレスがかかると、その記憶だけを部分的に失ってしまう解離に近い性質をもっていた。そしてある日、教会で歌っているとき、その男と知らずに再会する。それぞれの過去の傷と闇、記憶が絡まった心の傷が絡みあうラブストーリー。
《深谷朱鷺》コンプレックスだらけの音大生。声楽を専攻している。珍しいカウンターテナーの歌声を持つ。巻くほどの自分の癖っ毛が嫌い。瞳は茶色で大きい。
《瀬川雅之》女たらしと、親友の鷹に言われる。眼鏡の黒髪イケメン。常に2、3人の人をキープ。新進気鋭の人気ピアニスト。鷹とは家がお隣さん。鷹と共に音楽一家。父は国際的ピアニスト。母は父の無名時代のパトロンの娘。
《芦崎鷹》瀬川の親友。幼い頃から天才バイオリニストとして有名指揮者の父と演奏旅行にまわる。朱鷺と知り合い、弟のように可愛がる。母は声楽家。
ずっと女の子になりたかった 男の娘の私
ムーワ
BL
幼少期からどことなく男の服装をして学校に通っているのに違和感を感じていた主人公のヒデキ。
ヒデキは同級生の女の子が履いているスカートが自分でも履きたくて仕方がなかったが、母親はいつもズボンばかりでスカートは買ってくれなかった。
そんなヒデキの幼少期から大人になるまでの成長を描いたLGBT(ジェンダーレス作品)です。
【完結】『ルカ』
瀬川香夜子
BL
―――目が覚めた時、自分の中は空っぽだった。
倒れていたところを一人の老人に拾われ、目覚めた時には記憶を無くしていた。
クロと名付けられ、親切な老人―ソニーの家に置いて貰うことに。しかし、記憶は一向に戻る気配を見せない。
そんなある日、クロを知る青年が現れ……?
貴族の青年×記憶喪失の青年です。
※自サイトでも掲載しています。
2021年6月28日 本編完結
渇望の檻
凪玖海くみ
BL
カフェの店員として静かに働いていた早坂優希の前に、かつての先輩兼友人だった五十嵐零が突然現れる。
しかし、彼は優希を「今度こそ失いたくない」と告げ、強引に自宅に連れ去り監禁してしまう。
支配される日々の中で、優希は必死に逃げ出そうとするが、いつしか零の孤独に触れ、彼への感情が少しずつ変わり始める。
一方、優希を探し出そうとする探偵の夏目は、救いと恋心の間で揺れながら、彼を取り戻そうと奔走する。
外の世界への自由か、孤独を分かち合う愛か――。
ふたつの好意に触れた優希が最後に選ぶのは……?
生贄として捧げられたら人外にぐちゃぐちゃにされた
キルキ
BL
生贄になった主人公が、正体不明の何かにめちゃくちゃにされ挙げ句、いっぱい愛してもらう話。こんなタイトルですがハピエンです。
人外✕人間
♡喘ぎな分、いつもより過激です。
以下注意
♡喘ぎ/淫語/直腸責め/快楽墜ち/輪姦/異種姦/複数プレイ/フェラ/二輪挿し/無理矢理要素あり
2024/01/31追記
本作品はキルキのオリジナル小説です。
僕が玩具になった理由
Me-ya
BL
🈲R指定🈯
「俺のペットにしてやるよ」
眞司は僕を見下ろしながらそう言った。
🈲R指定🔞
※この作品はフィクションです。
実在の人物、団体等とは一切関係ありません。
※この小説は他の場所で書いていましたが、携帯が壊れてスマホに替えた時、小説を書いていた場所が分からなくなってしまいました😨
ので、ここで新しく書き直します…。
(他の場所でも、1カ所書いていますが…)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる