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第七章 大海戦
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しおりを挟む翌日、艦橋に現れたアルファの姿を見て、あの冷静沈着な才媛エリエンザですら一瞬だけ凍りついた。とはいえもちろん、やっぱりそのウミウシ顔の表情などはよくわからないのだったが。
「……いかがなさいましたか? 艦長」
いつもに輪をかけて硬質な響きを帯びたその声に、アルファはミミスリに予告していたとおりに返事をした。その途端、アルファにはエリエンザのみならず、その場にいる士官たちが一様に脱力したり、心の中で自分を小馬鹿にしたりするのが手に取るように分かった。
いつもの軍服にさらに宇宙服を着た状態のアルファは、見ただけならばウミウシ姿のエリエンザとさほど変わりはない。少しごわつくその姿で、アルファはいつもの自分の艦長席に座った。
背後にはいつもと変わりない顔をしたミミスリとザンギとが従っている。彼らもまた、「アルファの命令によって」宇宙服を着込んだ姿だ。
エリエンザは気を取り直して、本日の作戦業務のあらましについて簡潔にアルファに説明すると、すぐに部下らに指示を飛ばして操艦を開始した。その背中から明らかに「あんたのことはもう知らん」という意識を読み取って、アルファは宇宙服のヘルメットの下で苦笑した。
(……すまないね、中尉)
心の中だけでそっと謝る。
本当ならば、こうやって自分だけでなしにこの艦に乗っているすべての士官や兵らにも同じように宇宙服を着用させるべきところだ。今回危険な目に遭うのはおそらく、自分ひとりではないのだろうから。
だが何も考えずにそこまでをやってしまえば、アルファに対して今回の企てのことを誰かが耳打ちしたことがばれてしまう。そしてその誰かとはすなわち、ミミスリであろうと彼の命令者に知れてしまうことだろう。そうなれば、彼自身はもちろんのこと、彼の家族とて命はあるまい。
しかし、このミンティアに乗艦している百名ばかりの人員の命とて重要だった。それとこれとを天秤に掛けて考えることは出来ない。命はどちらも重要だ。彼らのことをどうするのかは、アルファもあの後、一睡もせずに考えたのだ。
「中尉。……中尉」
アルファは控えめな態度でそっと、「憤懣やるかたなし」といった風情の副官の女性を呼んだ。彼女の背中は無言でありながらも、その激怒のほどを雄弁に物語っていた。
「こう言ってはなんなんだけど。どうも何か、いやな予感がして仕方がないんだ。もし良かったら今からでも、皆も私と同様に宇宙服を着用させるわけには行かないだろうか」
「何をバ──」
明らかに「バカなことを」といった類の暴言を吐きかけたエリエンザは、相手の身分を思い出してやっとのことでその言葉を飲み込んだようだった。
「艦長。お言葉とご温情は大変うれしゅうございますが。作戦はすでに進行中です。わが艦は今から速やかに他艦と交代し、艦隊の背後に回って補給と救護の任にあたらねばなりません。人員すべてが宇宙服に着替えるような時間の余裕はございませんわ」
ぴしぴしと論理的に言葉を繰り出すエリエンザは、さすがの頭の回転を見せている。「なによりも」と、彼女の言葉は続いた。
「乗員すべての士気の問題がございます。このような後方で、わざわざ宇宙服を着用する例など聞いたこともございません。皆の士気が下がることは、戦場にあって何より恐れねばならないことと考えますが」
「……もっともだ。さすがに私も、それはわかっているんだよ、中尉」
アルファはそれでも、必死に食い下がった。とはいえ、顔には優しげな微笑みをうかべたままだ。
「でも、信じてもらえないかもしれないけれど、われらスメラギ皇族には不思議な能力があるんだよ。私のそれは大したレベルではないけれど、それでもある程度、予知の力もあるようなんだ」
「え? ……それは」
さすがにスメラギ皇族の<恩寵>については多少の知識があるらしく、それを聞いてエリエンザはほんのわずかにたじろいだ。
「この際、わが艦だけでも『石橋を叩いて渡って』おいて損はないと思うのだけど」
「まことですか? 斯様な後方に、まさか本当に敵の攻撃が届くとも思えませんが──」
彼女の中に、わずかの綻びが生じている。それはそうだ。戦場に「絶対」などありはしないのだから。アルファは<感応>の力でもって彼女の感情を詳細に観察しながら、さらに畳みかけた。
「普通に考えればそうだ。私もそう思っていた。つい昨日まではね。だけれども、どうも昨夜から嫌な予感が去らないのだよ。何よりも、皆のことが心配でならないんだ」
「しかし──」
「お願いだ、エリエンザ中尉。どうかこのバカで度胸の足りない艦長の願いに応えてもらえないか。何とか時間を作って、今から乗員みなに宇宙服を着せてもらいたい。ことは、皆の命の問題なんだ。この通り、お願いする。ダメだろうか」
とうとう艦長席から立ちあがり、エリエンザに向かって深々と頭を下げたアルファを、その場にいたミミスリも、ザンギも、ほかの士官らも呆然と見つめていた。誇り高いスメラギの皇族が一介の宇宙軍士官に頭を下げるなど、前代未聞のことだった。
ちらりと目の端にとらえたミミスリの目は、ほんの一瞬、泣き出しそうな色を浮かべたようだった。
そこからアルファは少し声を落として言い募った。
「何もなければ、それでいいことじゃないか。もしもこれが大過なく済んで上層部から何か言われたら、『あのバカ皇族艦長が怖気づいて、そうせよと言って聞かなかった』とでも言えばいいんだ。君には何の責任もない。そして、もしも万が一なにか事あらば、手柄は君のものにすればいいんだ」
それを聞いて、さすがのエリエンザもしばし絶句したようだった。その場に凍り付いたようになり、頭を下げたままのアルファを凝視している。息詰まるような数瞬があった。
「わ、……わかりました。わかりましたからどうか、頭をお上げください、殿下」
アルファを「艦長」ではなく「殿下」と呼んで、エリエンザは少し居心地と機嫌の悪そうな声でそう言った。顔を上げてみれば、なんとなくその姿勢も最前までとは違って、少し威儀を正しているように見えた。
「周囲の目というものがございます。殿下のご身分で、わたくしごときに頭など下げてはいけません。むしろわたくしの始末書ものでございます。これ以上はもう、どうかご容赦を」
「では──」
顔を上げたアルファに向かって、エリエンザは先ほどよりは幾分柔らかな声に戻ってこう言った。
「結構です。戦闘宙域には今少し距離があります。時間はタイトではありますが、今のうちでしたらどうにか、交代で宇宙服の着用は可能でしょう。仰せの通りに今すぐ指示を出しますので。それでよろしいでしょうか」
アルファはぱっと表情を輝かせた。
「ありがとう! もちろんだよ、中尉」
◇
かくして。
補給医務艦ミンティアの乗員は、そこから交代しながら各自宇宙服を着用し、予定されていた宙域へ赴くことになった。
アルファは刻一刻と艦内各所から上がってくる「装着完了」の知らせにじっと耳を傾けながら、やがてそのすべてが終了したころを見計らって自分の副官にこう言った。
「君は素晴らしい副官だ。心から感謝するよ、エリエンザ中尉」
「過分のお言葉です。わたくしは、自分の職分を果たしたまででございますので」
深めに会釈して答えたエリエンザの声がさらに一段と柔らかさを増したのは、アルファの気のせいだっただろうか。
ミミスリとザンギはといえば、アルファの少し背後に立って、それぞれに意味は違うのであろう不思議な目の色をし、この「小心者でわがままな皇族少佐」の横顔をじっと見つめていたのだった。
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