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第七章 大海戦
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しおりを挟む《殿下。……少し、よろしいでしょうか》
それは、灰色狼の姿をした側近、ミミスリの声だった。
ある種の予感めいたものを覚えていたアルファは、特に驚くことはなかった。マントを外し、執務机の前に座って手を組み合わせ、頭の中だけで返事をする。
彼とこうして話をするのは初めてのことだった。
《ミミスリだね。どうしたんだい》
《お休みの邪魔をいたしまして申し訳もございませぬ。ですが、少し自分にお時間をいただけないかと》
《もちろんだよ。続けてくれ》
《ありがとうございます》
そうは言っておきながら、ミミスリはしばし、その思いを思念に乗せることを躊躇う風情だった。が、やがて意を決したようにこう言った。
《殿下。自分の一生のお願いです。明日はどうか、宇宙服をご着用の上で指揮をお執りくださいませ》
《宇宙服……?》
なぜ、と尋ねようとしてアルファはやめた。おそらく、ミミスリには時間がない。彼は自分の護衛兼目付け役だが、彼自身もおそらくはどこかからあのスメラギの手の者による監視を受けているに違いなかった。本来ならばこうやって、秘密裡に自分と連絡を取り合うことですら相当な危険を伴うはずだった。
その彼が、敢えてこうして自分に警告を発してくれているのだ。ただごとであるはずがなかった。
《……わかった》
《まことに申し訳ございませぬ。あのエリエンザらにはまた、『怯懦の徒よ』とばかりに見下されることとは存じますが》
《ううん……。それはまあ、そうだろうね》
こんな後方で海戦の支援をしているだけの補給艦の艦長が、わざわざ宇宙服を着る。前線で戦っている戦艦の艦長らですら、兵らの士気を慮ってそんなものを着ようとはしないのに、ほぼ攻撃が飛んでくる恐れもないような艦の艦長がそうすることは、もはや皆の嘲笑を自ら買って出るに等しい。
あのエリエンザがまたどんな顔をするかと思えば、気が重くなるのも事実だったが。
《どうか、どうか伏して──》
《いや、そんなことは構わないが。君がそこまで言うからには、それだけの理由があるのだろうし》
《恐れ入ります……》
《それよりも、ミミスリ。君はそれで大丈夫なのだろうか》
《……は》
《こんなことを秘密裡に、私に進言したりなどして。君やご家族の身柄は大丈夫かと訊いているんだ。私はそれが心配なのだよ》
そこで思わず、ミミスリは声を失ったらしかった。
《……で、殿下……。自分ごとき者のために。恐れ多いことにございます》
《それに、このことザンギは知っているのかい?》
《あ、……いえ》
ミミスリが再び口ごもった。そして非常に言いにくそうに言葉をつづけた。
《ザンギはザンギで、自分とは別の命令者がおります。もしも何か事あらば、殿下はどうぞあやつの指示に従ってくださいませ。殿下の身の安全は、あやつが必ずお守りいたしましょうほどに》
なんでそこで自分ではなくザンギを頼れとまで言うのか、その理由は明らかだった。その理由の在処を思えば、アルファの胸はひどく痛んだ。
ミミスリ自身はこうして自分の命令者を裏切ってまで、アルファの身を案じてくれる人であるというのに。しかし彼の命令者は今回、彼の願いとは真逆のことを彼に命じたのに違いない。彼の胸中の引き裂かれるような気持ちを思えば、ただただアルファは胸の塞がる思いだった。
《君の命令者について、訊いてはいけないのだろうね》
ミミスリはそこから、絶句したように長いこと沈黙した。
《……申し訳、ございません……。そればかりは、どうかご容赦を賜りたく──》
喉から血のにじむような声だと思った。
アルファの胸はさらに痛んだ。
《いや、いいんだ。無理を言ったね。こうやって警告してくれるだけでも、随分と無理をしたのだろうに》
《いえ──》
《ありがとう。忠告、心しておくよ。明日は君の言う通り、宇宙服を着用しよう》
《あ、ありがとうございます……!》
《理由は『やっぱり初陣で怖くてしょうがないから、我慢できずに着てきたんだ』とでも言っておけばいいのだね?》
《殿下! いえ、そ、そこまでは……!》
はっとして言いつのろうとするミミスリの思念に、アルファは笑みを乗せた声で軽やかに答えた。
《いいんだよ。こういう時こそ、『おバカな世間知らずのお坊ちゃん皇族』の名を大いに活用させていただこう》
《殿下……。お、恐れ入りましてございます……》
そしてミミスリは、続けて切々とこう述べた。
《殿下。此度はもうひとつ、お願いごとがございます》
《明日は、ある時点で自分はお傍を離れます。ですが決して、自分をお探しにならないでくださいませ。どうかそのまま、お捨ておきを》
《どうかしっかりとザンギのそばに。すべて、奴の指示に従ってくださいませ。そうすればきっと、お命は無事に済みましょうほどに》
《いや、待ってくれ。そういうことならば、いっそ──》
アルファはミミスリの話を遮り、その後のことについて様々に彼と相談した。ミミスリは驚いていたようだったが、最終的にアルファの案について了承してくれた。
そして最後に、こう言った。
《明日が、自分が殿下にお会いできる最後の時となりましょう》
《殿下。これまで誠にありがとうございました。決して純粋な理由によることではなかったとは申せ、殿下のお傍にお仕えすることができたこと、自分には無上の喜びにございました。できることならばこのような命令によるのでなく、まこと心から、お傍にお仕えしとうございました……》
「ミミスリ……!」
アルファは思わず声に出して席を立ったが、それ以降、何度思念で呼びかけてみても、ミミスリからの返事は戻ってはこなかった。
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