星のオーファン

るなかふぇ

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第五章 鷹の男

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《……こんなつもりは、なかったんだが》

 どこか遠くで、だれかが後悔を滲ませたようにぼやいている。

《なんで俺が、よりによってこんな奴を》
《いや、こいつにだって責任はある──》

 自分に対する言い訳なのか。それとも呆れか、諦めか。
 いや、それはそれらの全てであるようだった。

 うつらうつらしながら、アルファは今ゆっくりと覚醒しかかっている。体がひどく重だるかったが、決して不快な感じではなかった。
 むなしい自分の指などではなく、確かに彼の体で愛されたそこは、じんわりとまだ熱を持っているようだった。
 アルファはそれでもまだ、目を開けずにいた。
 隣に、かの男の気配がちゃんとある。そのことが嬉しかった。彼は金を介した単なる仕事だと言いながら、意識を手放したあとの自分にもそのまま寄り添ってくれていたらしい。何度も達して自分の精で汚れていたはずの体もすっきりしている。恐らくは彼が後始末をしてくれたのだろう。
 すぐそばに男の体温があるのを感じて、アルファの胸は不思議にあたたかなもので満たされた。

(……ベータ)

 目を開けようとして、ふと気づいた。
 聞こえてきている声が、本物の声ではないことに。
 「聞いてはいけない」、と誰かが耳の奥で警告したような気がした。
 しかし、アルファはそれを聞き続けるのをやめられなかった。むしろ寝ぼけたふりをしたままで、彼の胸に擦り寄った。胸の奥から鼓動が聞こえる。彼の体温と匂いがこれ以上ないほどに心地いい。

《めちゃくちゃだろう。……俺のことを何も知らないくせに、こいつは》

 これは、彼の声だ。
 しかも、心の中だけで響く声。
 今まで厳しくその心の扉を閉ざして、少しも本音を見せようとしなかったこの男の。

《俺を誰だと思ってるんだ》
《このまま寝込みを襲われて、首をひねられるとは思わんのか、ぼんくら皇子》
《こんなことでは、命がいくつあっても足りんぞ》
《気持ちよさそうに、散々いい声で鳴きまくりやがって》

 心の声とはうらはらに、まだ眠ったふりをしているアルファの頬にあたたかな吐息がかかり、そっと唇にキスが落ちてくる。もう報酬分は十分に働いたはずだから、これはサービスなのだろうか。それにしては、ひどく優しい。
 
(それにしても)

 彼の心の声の中に、違和感のある単語があったような気がしたが。
 しかし。その先を考えることはできなかった。
 戸惑いながらもまだ目を開けずにいるアルファの頭に、ほんとうに唐突に、それが流れ込んできたからだ。

(……!)

 まさに、奔流のように。
 それは、ひとりの男の記憶という名の津波だった。
 これは、彼が自分に見せようとしているのだろうか? 

(いや、違う──)

 すぐに分かった。
 そうではないのだ。ベータは今、単に「気を抜いて」いるだけだ。いつもであったらきっちりと閉ざされた彼の心の扉にあたる部分が、今ほんの少しだけ、うっかりと隙間を現しているだけなのだろう。

 それは、記憶だ。
 少年としてのベータの記憶。
 それらが怒涛のように湧き上がり、逆巻いて、つぎつぎにアルファという名の器に注ぎ込まれてくる。
 ひとりの男の、これまでのし方が。

(こ……これは)

 はっとしてを閉じようとしたが、もう遅かった。
 アルファはあっという間にその真っ黒な水流に飲み込まれ、すぐに上下も分からなくなった。
 激しい奔流に意識がもみくちゃにされる。手を伸ばしても、何に触れることも叶わなかった。

(ベータ……ベータ)

 どこにいる。
 これは、なんだ。
 お前は今、私に何を見せようとしている?

 お前はいったい、だれなんだ──

(ベータ。……どこだ)

 《いや、違う》と、誰かがこたえた。
 自分はそんな名ではないと、その相手は静かに言った。
 見れば、渦巻く黒い水底みなそこに小さな少年が漂っている。
 真っ暗な意識の水の中で、彼だけはぼうっと銀色に光っている。

(あれは……)

 スメラギ皇国に特有の、短い童水干わらわすいかん姿。
 とはいえタカアキラが着ていたような豪奢な布地のものではない。
 年の頃は四、五歳か。とても美しい顔立ちをしている。
 さらさらとした銀色の髪。透けるように白い肌。
 そして、まるで白兎しろうさぎのような、紅い、紅い

 アルファの意識は必死に周囲の水をかきのけ、その少年に泳ぎついた。
 おずおずと手を差し伸べてみるが、少年は反応しない。
 ただどこを見ているのかも分からないその紅い眼差しを宙に泳がせ、ぼんやりと漂っているばかりだ。

(君は……だれなの)

 心の中でそう問いかけると、初めて少年はゆっくりとその目を動かしてこちらを見た。しかし、表情は死んだままだ。
 やがて、ほとんど音もなくその小さな唇が動いたように見えた。

 かすかなかすかな、遠い声。
 しかしアルファははっきり聞いた。

 《ムラクモ》と、
 その唇がこたえたのを。


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