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第四章 相棒(バディ)
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しおりを挟む地下の秘密の訓練場から出て階段を上がると、そこはベータの隠れ家のひとつになっていた。彼には各惑星にさまざまな隠し部屋だの、仕事を請けるためのあのバーのような店だのといった持ち物が多くあるらしかったが、これもそのひとつらしい。
ベータはアルファを呼び出すときには、アルファが所属する第三方面軍の部隊からさほど遠くない隠れ家のうちのどれかを使用するのが常だった。
別に客ではないのだけれど、訪問すれば彼は必ず、どこの部屋であっても美味いコーヒーを出してくれた。
「……ありがとう」
黙ってさしだされてくる白いカップとソーサー。それを前にして、アルファは軽く会釈をする。スメラギに居たころにはめったに飲んだことのないものだったし、正直当時はどうも苦手だったのだが、彼と付き合うようになってから、アルファはすっかりこの飲み物の芳醇な香りが好きになった。
「礼などいいさ」と言わんばかりに、ベータが軽く笑ってテーブルの向かい側に座る。彼の腕にはシャツの袖に半分隠れるようにして、紅い刺青のようなものが見えていた。
蛇か、竜か。あるいは何かの植物の紋様のようでもある。
隊内にも様々な男や女がいて、その体に刺青をしているものも結構な数でいる。単なるファッションの場合もあれば、その種族に特有の伝統的、あるいは呪術的な意味をもった印だという場合もある。後者の者らはそれを神聖視し、非常に大切にしているようだ。
ただ彼の場合、そのどれにも当てはまらないような気がして、アルファは少し不思議だった。もちろん、「なぜそんなものを刺れているのか」と彼に尋ねたことはない。
いずれにしても、医療の発達した現代にあって、皮膚一枚のことなどあっというまにどうにでもなる。刺青ぐらい消そうと思えばすぐに消せるし、デザインに飽きればまた別のものを彫ることも簡単だ。
逆に、こんな商売をしていながら、彼が身分を特定されかねないそんなものを消さずにいることのほうが不思議だった。
「で、だな。これだ」
ぼんやりと彼の腕を見ながらそんなことを考えているうちに、ベータは手元のテーブル隅をちょっと操作して、目の前の空間に小さな四角い画面を映し出していた。その上で指をひょいと滑らせると、画面はくるりとこちらを向いた。
いくつかのデータが箇条書きに並んでいる。
テーマ、地域、目的、報酬。
さらに、予測できる必要日数も書き込まれている。
(え……これは)
驚いて目をやれば、ベータはにやにやとこちらの表情をうかがっていたようだった。
この男、なかなかいい性格をしている。
「要するに、卒業認定試験みたいなものだな。比較的、初心者でもなんとかなりそうな案件を選んでみた。俺と一緒に担当してみて、一定の条件をクリアできたら、晴れて相棒と呼んでやろう」
「本当か」
「ご挨拶だな」
男はちょっと肩をすくめた。
「ここまできて嘘を言うほど、性格は悪くないつもりなんだが」
それこそ「嘘をつけ」だ。
外連が服を着て歩いているような男が何を言う。
そう思ったアルファの心底を見透かしたのか、ベータはくはは、と乾いた笑声をたてた。
「日程の都合もあるだろう。あとはお前が選んでいいぞ」
そう言われて、アルファはあらためて画面を見直した。今度は目を皿のようにして、じっくりとデータを比較する。
(日程……。期限。できれば隊内での業務に差し障りは出さないとして――)
十秒ほど考えてから、やがてアルファは画面の一角を指差した。
「……これかな。構わないだろうか」
「ああ。ではそれで決定だ。先方には俺から連絡しておく」
「ありがとう。どうか、よろしく頼む」
頭を下げようとしたら、「礼を言うにはまだ早い」と即座に片手で制された。
「それはあんたが、十分な『成果』をあげてからのことだ。失敗すればすべては白紙。そうだろう? 少佐殿」
男はそう言って、軽く片目をつぶって見せた。
こうして、アルファの初仕事が決まったのだ。
◆◆◆
アルファがベータと初めて臨んだ仕事。
それは、人探しだった。それも、この宇宙でも指折りの裕福な貴族階級の娘である。
年のころは十七、八。親の決めた結婚に納得がいかず、思いを交わしたそこいらの青年と手に手をとっての逃避行。
……とまあ、言ってみればこの世界には掃いて捨てるほどある案件のひとつだった。少なくとも、ベータは半眼でそう評した。
「ああいう世間知らずのお嬢さまが逃げこむ場所なんて、多寡が知れている。面倒な裏の連中に金をばらまいて味方に引き込むなんて洒落た真似もできなければ、泥や糞溜めの中を這いずっても逃げるなんて度胸もない。ついでに言えば、頭の中はすっかり桃色のお花畑だ。初心者向けだと言ったのはまあ、そういうことだ」
すでに目星をつけていたとある惑星に向かう小型艇のコクピットで、ベータは欠伸をかみ殺しながら説明した。まるで散歩にでも出るような気楽さだ。隣のアルファは、やや呆れながらそれを聞いている。
「とは言えまあ、依頼主である親の顔に泥を塗ることだけは避ける必要がある。当主さま、すなわちその女の父上は、とにかく内々でことを済ませたいわけだ。俺たちはそこだけは厳守する必要がある。分かるな」
「ああ」
「あとはまあ、できればお嬢の『貞操』を守れ。その馬の骨野郎がすでにどうにかしている場合はどうしようもないが、そこはまあ、不可抗力だな。話はつけてあるから心配するな」
「…………」
なにやらもう、身も蓋もない。
男は最後に、「これが最重要事項だが」と断ってこう言った。
「自分の身に危険が及ぶ場合はその限りじゃないが、邪魔する奴らが現れてもなるべく殺すな。治る程度の怪我なら構わん。お嬢はもちろん、相手の男もできれば無傷で送り届ける。いいな」
「了解した」
そのときだった。
《マスター。目的惑星のレーダー圏内に入ります》
コクピットの天井あたりから涼やかな女性の声がして、ベータは目をあげた。
「ああ。ミーナ、予定通りに」
《了解いたしました、マスター。ステルスモードにて着陸準備を開始します》
ベータの持ち物であるこの小型艇の中央制御システムを、彼は「ミーナ」と呼んでいた。いかにも美女らしいアルトの声音が耳に優しい。
(……それにしても)
この男、こういうタイプの女が好みなのだろうか。
アルファはなんとなくがっかりし、次にがっかりしている自分に驚き、慌てて己を叱咤した。
(何を考えているんだ。これから大事な仕事だぞ)
そんな馬鹿なことをつい考えているうちに、目標の惑星の姿が眼前にどんどんと迫ってきたのだった。
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