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第一章 スメラギ皇国
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しおりを挟む《いかにも、その通りにございます。わたくしは、第三皇子、タカアキラ》
《やはり、そうであられましたか》
さわやかな少女の心の声が、するりとタカアキラの胸に滑り込んできた。
タカアキラは思わず、見えてはいないと知っていつつもその場で彼女に向かって頭を下げた。
《此度はたいへん不躾な真似を致してしまいました。申し訳ありません、義姉上さま。どうかお許しを賜りたく》
《そのようなこと。どうぞお気になさいませぬよう――》
《ただいまは、お気遣いくださって面目次第もございません。まことにありがとうございました》
《いいえ。さほどにおっしゃっていただくようなことは、なにも致しておりませんわ》
タカアキラは、少女の態度に少しばかり気圧されるものを覚えた。先ほどからこちらに飛んでくる思念は、とても自分と同い年くらいの少女のものとは思えぬほどに落ち着いている。
もっとも本来、このぐらいの年の男女はその精神的な出来具合がかなり変わってくるのが普通ではある。一般的に、「男子はいつまでたっても、どこかしら幼いものにござりまするゆえ」などとあの<恩寵博士>たちも笑って言うことがあるほどだ。
しかし彼女の思念の中に、どうにもならない寂しい気配を感じて、タカアキラの胸は痛みを覚えた。それで、何となく聞きづらくは思ったけれども結局は恐る恐るこう尋ねた。
《こちらで、何をなさっておいでだったのですか。義姉上さま》
《『義姉上』だなどと……。ご勘弁くださいまし、タカアキラ殿下。あなた様もご存知でいらっしゃいますでしょう。わたくしは、とてもあなた様にそのようにお呼びいただくような者ではありませんわ》
《……いえ。義姉上さまは、義姉上さまではありませんか。わたくしには、ほかにお呼びのしようもありませんゆえ》
それを聞いてなのだろうか、少女の思念がやや柔らかいものを含んだようだった。とはいえ、お顔は相変わらず池の面を見つめているばかりであるため、表情は伺い知れなかった。
《真面目なかたでいらっしゃいますのね、タカアキラ殿下は》
《左様なことは……》
《いいえ。実は大変ご無礼なことではありますけれど、婚儀の席でも、ずっとそう思っていたのです。まことに、思った通りのお方でいらっしゃいました》
《えっ?》
《このとおり、わたくしにはささやかながらこうした<恩寵>がございます。それゆえ、お式のあいだはずっと、皆様がたのご様子を――つまり、そのお心栄えをということですが――そうっと拝見しておりましたの》
《そうでしたか……》
《はい。それで、不躾ながらあのお席では、あなた様とだったらこうしてお話しできるかもしれないと……いえ、お話ししてみたいと思っていたのです》
(そうなのか――)
驚きだった。今しているものよりは遥かに濃い、真っ白な化粧をして、まるで人形のようにお行儀よく、ひな壇にお座りだったあの姫が。まさか自分のことをそんな風に、こっそりと精査していようとは。
《あ、あの、義姉上さま》
《はい》
そうして、タカアキラはあれこれと逡巡してはみたものの、結局はずけずけと、訊きたいことを思いに乗せてしまった。
《その……失礼を承知でお尋ね申し上げますが。<恩寵>を賜っておいででありながら、なにゆえ義姉上さまはこちらへ入内が叶われたのでありましょうか。本来ならば──》
《ああ……そうですね》
ふっと、ヒナゲシの思念がまた悲しげな色に戻った。
《おっしゃる通り、こうした身でこちらへの入内は叶いません。殿下もそうであられたでしょうけれど、わたくしたちのもとにもよく、あの<恩寵博士>たちが参られては、わたくしたちの様子を観察、吟味しておられたものです》
《そ、そうなのですか?》
《はい》
これは初耳だ。
ということは、あの老人たちはこれら皇太子妃候補となる少女たちのことも、皇子たちに対するようにして色々に試験し、吟味してきたということか。
《ですがわたくしはこの通り、多少ではありますが相手の心のうちを感じ取る力に長けておりました。それゆえどうにか、博士がたの目を欺くことができたのです》
《あの……そ、それは》
《博士さまがたも、まさか三つや四つのいとけない幼子に、大人を欺く技量があるとまではお思いでなかったのでございましょう。もちろん、それを露呈してしまう子のほうが、はるかに多うございましたけれど》
(なんてことだ――)
タカアキラは舌を巻いた。
なんという賢さ、心の強かさをもつ方だろう。
この人はすでに三つや四つの頃に、自分の<恩寵>に気づいていたのか。そして、それをあの博士らに知られれば、自分が将来困ったことになるのにも気づいていた。だからこそ、その幼さで博士を欺き、この宮への道をつないだのだ。
(ということは、選ばれなかった者たちは……?)
ああ、訊きたいことがたくさんある。こうしてもたもたと話をするのは、いかにも隔靴掻痒の感があった。
この方は今、自分たちのことを「わたくしたち」と表現した。つまり彼女にはもといた場所にたくさんの仲間のような者たちがいたということだろう。恐らくそれは、あの母も同様であったのに違いない。
《申し訳ありません。お差し支えなければ、お教えいただきたいのです。あなた様は、どこからおいでになったのでしょう。今おっしゃった、他にもいた方々というのは、その後どうなったのでしょうか。教えてください、どうか──》
そのように、思いの中だけで言い募ろうとした時だった。
今までヒナゲシの傍らにじっと膝をついていた側付きの女が目を上げて、「妃殿下。そろそろ、戻られませんと」と言ったのだ。
彼女の腕には、長い衣の袖で隠れてはいるが、空間に画面を表示させる小さな腕輪の形をした人工知能がはめられている。そのまま装飾にもなる、美麗な品だ。女はその画像から今日の予定をあれこれと確認し、ヒナゲシに帰りを促したようだった。
女には「そうですね」と答えておいて、彼女は思念でタカアキラにこう言った。
《此度はここまでのようですね。申し訳ないことでございます。殿下、どうかお許しくださいませ》
いかにも、申し訳なさそうな声だった。
《あ……待って。待ってください――》
待ってくれ。
訊きたいことが、まだまだあるんだ。
こんな程度では、ほとんど何も分からないのに等しい。
思わず彼女の後ろ姿を追いかけそうになったタカアキラに、ヒナゲシはほんのわずかに顔を向けた。タカアキラははっとして足を止めた。
そこにはやはり、ほんのわずかの微笑みが乗っていた。
《もしよろしければ三日後に、またこちらでお会いいたしましょう》
《えっ……。あ、は、はい……!》
《お話は、おそらく少しずつしか出来ぬでしょうけれども。それでもわたくしも是非、殿下には聞いていただかねばならないことがあるのです。むしろわたくしはそのためにこそ、この地に参ったのですから》
(え……?)
それは、と尋ねることはもはや叶わなかった。
側付きの女房はややヒナゲシを急かす風情に見え、彼女はもはやそれに逆らうことはできない様子だったのだ。
義姉は結局、こちらをちらと見ることすらせずに踵を返した。重ねられた単の裾がふわりとゆれる。
《それでは、失礼つかまつります、タカアキラ殿下。どうかそれまで、ごきげんよう──》
最後に飛んできたその思念に、タカアキラは<隠遁>を続けたままではありながら、静かに頭を垂れたのだった。
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