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第三章 ゆれる想い
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しおりを挟むあっさりと生まれたままの姿になって、男が隣に滑り込んでくる。内側からカプセルの設定を操作して、シェードが閉じられ、すぐに治療が始まった。
お互いに裸のままだが、特に寒さは感じない。カプセル内は適温に保たれていて、柔らかなオレンジの光に満たされている。今はあの分解シャワーと同じような要領で、体に付着した毒素などを分解、除去するモードになっているのだろう。
シートは柔らかく、普通にベッドで眠るのとなんら変わらない、ごく快適な環境だ。必要とあらば水分の摂取や食事などをこのままおこなうことも可能。ただし病院食と同じことで、流動性のものばかりだが。
ベータはアルファの隣でうつ伏せになり、片肘をついた姿勢で本を読んでいる。先ほど持ち込んできたその本は、例の「星の王子さま」だった。本を持つ手の甲からは、見るまに黒い染みが駆逐されていくのが分かった。
彼の方を向くようにして横たわり、じっとその手を見ていたら、ベータがちらりとこちらを見た。
「なんだ。読みたいのか」
「あ、……いえ」
少し躊躇ってから、訊いてみる。
「好きなのですか、その本」
「ああ……。さてな。どうなんだろうな」
なんとなく先ほどから、またアルファの口調は「ですます」調に戻ってしまっている。だが、今のベータにそのことを咎める様子はなかった。少し苦笑すると、ひょいと枕元に本を放り出してこちらを向く。
「子供のころに、だれかに読んでもらったことがあってな。だれだったかは、覚えていない」
「そう……なんですか」
すると、すいと彼の手が伸びてきてこちらの頬にさらりと触れた。アルファはぴくりと体を震わせた。
「……え」
「だいぶ治ったな。あと小一時間もあれば完治するだろうよ」
「あ……はい」
なるほど、傷の程度を見られただけらしい。この部屋に戻ってきてから鏡を見たりはしなかったが、そう言えば頬のあたりにもずっと鋭い痛みがあったのだ。恐らくほかの部位と同じように、黒く変色していたことだろう。
なんとなくがっかりしながら、アルファは視線をさまよわせた。意識的に彼の体をじろじろと見ないようにはしているのだが、裸のままでこうして二人で横になっているだけでも、うっかりするとまた体に火が灯ってしまいそうになる。
いま彼の手に触れられた場所がひどく熱い。
ベータの手の黒ずみは、もうすっかり消えていた。彼もそのことに気づいたらしい。ひょいと上体を起こして、またカプセルの操作を始めている。もう出て行くつもりなのだ。
「ま、……待って」
アルファはおずおずと、彼の二の腕に手を掛けた。自然、彼に少し近づく形になる。
ベータが不審げな目になってこちらを見た。
「なんだ。お前の希望は通しただろう。俺の傷はもう治ったぞ。これ以上、ここに居る理由がないんだが」
「……そうだけど」
なんだかひどく、名残惜しい。彼がもう行ってしまうと思うと、寂しくてやりきれない気持ちになる。もうほんの少しだけでもいいから、一緒にいてもらいたい。
医療用カプセルに備え付けの枕に半分顔をうずめるようにして彼を見上げると、ベータはかすかに眉をひそめた。
その視線がひょいとあらぬ方へ投げられるのは、きっと故意なのだろう。意地の悪い男だ。きっとこの男はこうやって、ものにしたい男や女の気持ちを思いのままに手のひらの上で操って来たのに違いない。
「そういう顔をするな。俺も男だと言ってるだろう。いい加減わきまえろ」
「え……?」
意味がよくわからない。
変な顔になったのであろうアルファを見下ろし、男はやや肩を落とした。ちょっと頭など抱えている。
「勘弁しろ。頼むから、自分があの蜥蜴野郎を三年も溺れさせていた人間だというぐらいの自覚は持て」
「いや、あの……」
さらに訳がわからない。
困惑しているアルファにはもう構わずに、ベータはカプセルの内側のパネルを操作してシェードを開けてしまった。ごく小さな低周波をたてながら、するすると両側へ扉が開いてゆく。
(ああ、行ってしまう)
そう思った途端。
アルファは思わず、口走っていた。
「……から、イヤなのか」
彼には決してぶつけまいと思っていた、その言葉を。
「なに?」
男が振り向く。
「私が、三年も……ゴブサムのものだったから。こんな、汚い体だから。私なんかの傍にいるのが、だからそんなに……イヤなのか」
「…………」
ベータが絶句したように黙りこくって、アルファをじっと見下ろした。
「なんで今の流れで、そういう方向へ話が飛ぶんだ」
勘弁しろ、と口の中で呟いている。
「だって、そうだとしても何も不思議じゃないだろう。こんな体……もうすっかり、めちゃくちゃにされている。三年間、私があの男に何をされていたか、あなただってわかっているんだろう?」
男は何も答えなかった。だが、答えないことがすでに答えになっている。
アルファは思わず、自分の体を抱きしめるようにした。声が次第に震えてくるのだけは、どうしようもなかった。
「体じゅうで受け入れさせられた。何度も何度も……あいつの体液を注ぎ込まれて、あいつのものを舐めさせられ、飲まされて──」
言い出したら、思い出したくもない光景が急に次々に脳裏に現れて、アルファは呼吸の仕方を忘れたようになった。考えてみれば、よくもあれで心が壊されなかったものだ。
「時には仮面をつけた『客人』たちに、数人がかりで。あのゴブサムの目の前で──」
「やめろ」
押し殺した声。
が、アルファは構わずに続けた。
「あらゆる体位。あらゆる玩具。あらゆる『遊び』……。あらゆることを覚えこまされ、調教されて……私自身が、ほかならぬあいつの<玩具>だった──」
「やめろ!」
男は遂に大きな声を出すと、アルファに向き直った。そのまま肩を掴まれる。
「誰も、そんなことは言ってない。勘違いするな。そういう意味じゃない」
「じゃあ、どういう意味なんだっ……!」
遂にアルファが、絶叫した。
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