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第三章 ゆれる想い
5 ※
しおりを挟むしばらくは軽く唇をついばまれ、やがてしっかりと唇を重ねあわせて、男はゆっくりとアルファの舌を舌先で撫で、吸い上げて陶酔させた。
腰の中の欲望はどんどん悲鳴をあげだして、「早く、先を」と性急にことを急き立ててくる。
「んく……う」
部屋にはお互いの舌が絡み合う水音だけがしている。アルファはじんじんと頭の芯が痺れだす感覚を思う存分味わいながら、彼の体にすがりつき、その腕に身を任せた。
「いいの」、とは訊かなかった。
「もっと」、とねだりもしなかった。
そんなことを言ってしまえば、この夢のような時間があっさりと終わりを迎えてしまいそうで、ただ怖かった。自分が何か言ってしまったら、男はすぐにも我に返って、腕の中にいるのがどんなに穢れた男だったかを思い出し、放りだしてしまうかも知れないのだから。
だったら少しでも長く、彼にこうしていて欲しかった。
それがたとえ、たった一秒であるとしても。
しかし。
そんなアルファの願いは、虚しかった。
さんざんにこちらの熱を高め、自身もひどく体の中心を固くしていながらも、ベータはやがて、ほとんど引き剥がすようにしてアルファの体を自分から離したのだ。
「……どうして」
熱く掠れたままの声でやっとそう訊くと、ベータは苦しげな目でちらりとこちらを見た。自分から引き剥がしておきながら、アルファの肩を掴んだ指にはまだ強い力がこもっている。
「だめだ」
やっと返ってきたのは、そんな言葉だけだった。
「どうして……?」
アルファは泣き出しそうになる自分の声を必死に制しながらそう聞いた。
やっぱり、こんな体は要らないのか。
こんなもの、抱きたいとは思わないのか。
「……そうじゃない」
まるでこちらの意図を瞳のなかから読み取ったかのようにしてそう言ってから、ベータはついにアルファの肩から指をはなした。それは「やっともぎ離した」とでも表現したいような感じに見えた。
しかし彼はしばらく黙りこみ、言葉に窮しているようだった。それは恐らく、何をどう言ったところでアルファを傷つけることが分かっているからだったろう。
アルファは堪らず、自分から男にぐいと近づいた。その胸元をにぎりしめ、ゆすりながら言い募る。
「なぜ……。なぜ、なんですか。私が、前の『アルファ』じゃないから……?」
「もちろん、それもある。しかし……そういうことだけでもないんだ」
「そんなんじゃ、分からないっ……!」
ついにアルファは、彼の顔の間近から噛みつくようにしてそう叫んだ。そんな彼を、男は片手で顔を覆うようにしながら見返した。その瞳に明らかな後悔の色を見てとって、アルファはふっと、己が胸の熱さが引いていくのを覚えた。
「つまり、だな。まだ記憶の戻らないお前に勝手にこんなことをすれば……もしも、お前がもとに戻ったときに――いや」
言いかけて、しかし男はまた言いよどんだ。これは、非常に彼らしくないものの言い方だった。
「すまん。これもまあ、言い訳だな」
ベータは完全に渋面になっている。
アルファの体は、いまやかたかたと震え始めていた。
「そんなの……納得できない」
そしてさらに、男の体をゆするようにした。
「ちゃんと教えて欲しい。何かもっと、重大な理由があるのか? それは、あの『スメラギ皇国』とやらに関すること?」
「…………」
「ベータ!」
アルファはもう、大声を上げている。
「ちゃんと、ちゃんと教えてくれ! そうでなければ、私はなんにも、わからないっ……!」
そうだ。わからない。
記憶を失くす前のことは、ほとんど、なにひとつ、この頭の中には残っていないのだから。
(でも――)
自分はちゃんと知っている。
昔の、記憶を失くす前の「アルファ」――いや、「タカアキラ」と呼ぶべきか――も、きっと間違いなくこの男を愛していた。何の証拠があるわけでもないけれど、はっきりとそれを感じる。この胸の奥から血の滲むようにしてほとばしるものが、間違いなくそうだと証している。
そして、もちろん今の自分も。
(それに……)
きっと、彼もそうなのだ。
彼も恐らく、昔の「タカアキラ」を憎からず思っていた。
それは昔の「アルファ」について語るときの、彼の言葉の端々や表情から十分に見て取れることだった。
ふたりは、愛し合っていたのだ。互いの感情を伝え合うこともなく、表向きにはただの裏稼業の相棒としての付き合いだったのだとしても。
しかし、「タカアキラ」にも「ベータ」にも、互いにどうしても打ち明けられない何かがあったのだろう。「脛に傷もつ身」ではないが、先日の突然の激怒を見ても、ベータのそれはとても他人に簡単に詳らかにできるようなことではないのだと思われる。
アルファにとってもベータにとっても、互いにそれを明らかにできない以上、バディでも友人でもない、もっとずっと深い関係になるには問題がありすぎたのか。
と、ぐいと親指で目元をぬぐわれたのに気づいて、アルファは目をあげた。
知らないうちに、必死に堪えていたはずのものがつい、そこから零れ落ちていたらしい。
「……すまん」
「……っ!」
気がつけば、アルファは彼の手を激しくはじきとばしていた。そうしてそのまま彼の体をつきとばし、その背後のドアを開け、外へと飛び出していた。
「アルファ!」
彼の声を背中に聞いたが、アルファはそのままただ逃げた。
暗い谷底のような夜の街には、湿度の濃い空気がよどんで、重く蓋をしているようだった。アルファはその密度の濃い空気に抗うようにして、無我夢中で走り続けた。
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