星のオーファン

るなかふぇ

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第三章 ゆれる想い

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「あらあ? なあに、ブラッド。バイトは雇わないんじゃなかったのお?」

 妖艶なイブニングドレスをまとった女性客が、すでに相当に酔いの回った目でアルファを見咎めてそう言った。豊満な胸元を、まさに見せつけんがためにあるかのようなドレスだ。ついでに言うと、ほとんど腰のあたりまでの深いスリットまで入っている。
 腰のあたりがきゅっと引き締まった、足の長い女だった。ただその頭頂部からにょっきりと伸びた二本の耳は、明らかにウサギのものである。よく見れば、赤いその目もその動物によく似ていた。尻にはぽわんと、白くてまるい尻尾が見える。

「いえ、ちょっとした行きがかり上のことでして。お客様には不慣れな者がお目汚しをいたしております。どうかご容赦を」

 例によってマスクをつけ、バーテンダーの姿になったベータが、カウンターの内側から慇懃な態度で返事をする。そのマスクは店の中では、なぜか暢気のんき表情かおをした羊のものに変わっていた。

「行き先を見つけ次第、辞めていただく予定ですので。どうかしばらくご勘弁くださいませ」
「あらあ、そうなの? けっこう可愛い子じゃないの。見たところ、首から下は人間型ヒューマノイド? 珍しいタイプだし、もったいないわあ。ここのいい看板になるじゃないの」
「恐れ入ります」

 ベータが無難ないらえとともに、丁寧に一礼を返している。きっとマスクの下では接客用の顔でにっこり笑っているのに違いない。
 ちなみに女が「可愛い」と言ったのは、ベータと同様、アルファも今はマスクの形を変えているからというのが大きいだろう。今のアルファは、レッサーパンダになっているのだ。ついでに言うと、これはベータの趣味チョイスである。
 カウンターの隅でひたすらにグラスを磨いたり食器を洗ったりしながら、アルファはこっそりと彼の横顔を盗み見た。素顔がそのマスクで隠れていても、ぜい肉のひとかけらもないひき締まった体躯でシェイカーを振る立ち姿は、驚くほど堂に入っている。
 とぼけた羊の顔はしていても、その男らしいからだつきや内面のありかたは隠せない。そういうことは見る目のある者にはやっぱりわかってしまうようで、夜の道にけた様子のご婦人がたが彼を放っておかないのも道理に思えた。アルファ自身、いけないとは思いながらもついつい見惚れてしまうのだ。

 この小さなバーは、ベータの隠れ家からするとかなり上の階に位置している。二つのスペースはごく細い隠し階段でつながっていた。
 こんな調子でごく気まぐれにしか開けない店であるはずなのに、ちらほらと客が現れては好みのカクテルなどを注文し、好きな場所に陣取ってそれを楽しんでいる。
 店そのものは非常に狭く、カウンター席しかない細長いつくりだ。お互いに細身だからこそどうにかすれ違えるが、カウンター内もごくごく狭いものだった。照明は可能なかぎり光度をおとしてあり、室内はかなり薄暗い。壁は古風な感じを出すためなのか、黒い板壁を模したものだ。

 先ほどのような、いかにも近くの店のホステスらしい女たちもかわるがわるやってきては、ベータを相手に仕事の愚痴をこぼしてみたり、「どう? 一晩ぐらいあたしに買われてみない?」などと彼に言い寄ってみたりと、好きに過ごしている。
 ベータはどの客に対してもごく卒なく応対してはやり過ごし、かといって相手の気分を悪くはさせなかった。ときには軽妙な会話を提供して相手を喜ばせ、今のような女客が何かの拍子にしなだれかかってくるのも適当にあしらっている。この男、ここぞとばかりにその高い対人スキルを発揮しているのだ。
 はっきり言って、とてもアルファの出る幕はなさそうだった。
 
 そんな訳で、開店してからこちらのアルファは、ただ黙ってカウンターの中での仕事に専念している。両手に手袋を装着し、基本的な水仕事を担当していた。
 この手袋はスプレー式で、手に吹き付けることでその表面にごく薄い皮膜をつくるという代物だ。使い終われば普通の手袋のように外して廃棄すればいい。実はこうした用途以外にもさまざまな場面で活用される商品なのだが、そのひとつはあまり大きな声で言えるようなものではなかったりする。
 ともかくも、その手袋をして自分の手元だけをなるべく見るようにしながら、アルファは黙々と働いていた。

 だというのに、客のほうではこのレッサーパンダ顔をした新顔に興味津々きょうみしんしんのご様子だった。そしてなにかといえばこちらに水を向け、話に引き入れようとあれこれとちょっかいを掛けてくる。
 今夜はどうやら一見いちげんらしい大きな体躯の男客がいたのだったが、その客が先ほどからどうにもしつこかった。体じゅうをつややかな獣毛に覆われ、みごとなたてがみをはやした黄金色の獅子そのものの男である。ぬっと背が高く、胸板も厚くて、着ている真っ赤なTシャツがはちきれそうに見える。
 男は店に入ってきた瞬間からずっと、上機嫌な様子で熱い視線をアルファの肢体にまとわりつかせていた。

「ニューフェース君、かわいいじゃないか。今夜、何時に上がりなんだい?」
「いえ、あの……。ご容赦ください」

 ベータからも基本的に、客とはあまり口をきくなと言われている。が、アルファがどんなに「店長マスターにしかられますので」と断っても、獅子の男はめげなかった。
 ベータはベータで、あちらの女性客の相手をしていてこちらを見てはいない様子だ。しかし、かの男の性格と能力からいって、こちらが見えていないはずはなかった。だとすると、あれはもしかして故意なのだろうか。おたおたして困るアルファを横目に、あの男は密かに楽しんでいるのかも知れなかった。

「おっと、危ない」

 と、かちゃんと獅子男の手元でグラスが転がった。下に落ちなかったので壊れはしなかったけれど、半分ほど残っていたバーボンがテーブルに広がって、床に雫を落としている。

「ごめんね、こぼれちゃった」
「いえ、どうかお気になさらず」

 それは明らかにわざとだと思われたが、もちろんそれを処理することも仕事のうちだ。すぐに「代わりのものを」とベータに伝え、アルファは専用のクロスを手にして、始末をするためカウンターの外に回った。男の脇でグラスを取り上げ、テーブルを拭く。
 すると案の定、その獣毛に覆われた大きな手がごく慣れた手つきでするりと尻を撫でてきた。

「っ……!」

 ぞわりと全身の毛が逆立つ。
 あのゴブサムに散々なことをされてきた身体ではあるのだが、これはこれで気持ちのいいものではなかった。いや、間違いなく気持ちが悪い。これがもしベータの手であるのだったら、恐らくそうは思わないのだろうけれど。

「近くで見ても、ほんとかわいい。声もすてきだ」
 ごつい男の手がやわやわとアルファの尻を撫でまわし続けている。
「なにより、とってもイイ匂いがする」
「……!」
 くんくんと、首の辺りに鼻先をつっこむようにして嗅がれ、さらに肌が粟立った。
「ボク、こう見えてとっても鼻が利くんだ。本当のことを言うと、ドアの外から君のことを嗅ぎつけていたんだよ。それでこの店に入ったのさ」
「……え」

 ぞくっとして、思わずアルファは返事をしてしまった。いや、返事というほどのことではなかったが。なんとなく、ベータのほうから不快げなが飛んできたような気がする。

「ね、一晩いくらだったらオーケー?」

 獅子男はそのままひょいとマスクの耳のあたりに口を寄せ、そんなことを囁いてくる。
 アルファはあまりのことに硬直して、クロスを握ったままついこくりと喉を鳴らした。それをまた、男は別の意味に取ったらしい。にやりとその目元が卑猥にゆがんだ。

「お。まんざらじゃなさそうだね。大丈夫だよ? こう見えて、ボクは優しい男なんだ。あんまり気持ちがよくって、ちょっとおかしくなっちゃう子もいるぐらいさ。そのかわいい声も枯れるぐらい、ひと晩じゅう鳴かせてあげるよ。ね? いいでしょう」
「いえ、あの……お客様」

 ただそう言うばかりがやっとのことで、あとは絶句していたら、隣からすらりと低い声が割り込んできた。
 もちろん、ベータだ。

「申し訳ありません、お客様。は当店のではございませんので」
「ああ! ごめんね。そうだよね。ここがそういうお店じゃないことはよくわかっているつもりさ」

 彼の声が慇懃いんぎんそのものだったせいなのか、獅子男は悪びれる風もなく、にこにこ笑ってまたアルファを見た。
 なにか今にも、その太い両腕に抱きこまれそうな勢いだ。いや、すでに腰のあたりはがっちりと片腕に抱かれてしまっているのだが。

「悪かった。いきなりお金の話なんかしちゃって、野暮だったよね。じゃ、お友達からでもいいから、これから真剣にボクとのおつきあいを考えて──」
「アレックス。奥の倉庫の掃除がまだだったな。ぐずぐずするな。さっさと行け」

 いきなりベータの声が冷たいナイフのようにしてこちらの耳に突き刺さってきた。アルファはびくりと身体を竦ませた。
 彼の羊のマスクには、当然ながらなんの表情も浮かんでいない。相変わらずのとぼけた顔だ。だがそこからははっきりと、彼の怒りのオーラを感じた。

「はっ、はい……! すぐに。すみません……!」

 言ってどうにか男の太い腕から逃げ出すと、アルファはもうあとも見ないで店の奥に駆け込んだ。



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