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第二章 辺境の惑星(ほし)
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しおりを挟む自分の口元を押さえたまま、アルファはしばらくその場で棒立ちになっていた。
あの蜥蜴の男に飼われていた間じゅう、こんな言語を話した覚えはなかった。改めてそういわれてみれば、確かに自分はあの子供たちに駆け寄ってこられたとき以来、ずっとこの変わった言語を操って話をしていたのだと思う。
それは、公用語に比べれば文法も単語もなにもかもがまったく違う言語だった。
「それがもともと、お前が母国語としていた言語だ」
すべてを分かっている瞳をして、ベータが言った。
そんなことを言ってはいるが、彼とて同じ言語をごく流暢に操っている。
彼を照らしていた夕日が、そうこうするうちにもどんどん沈んで、今にも水平線に隠れて見えなくなろうとしていた。
「わたしの……母国?」
早くなってくる胸の鼓動を聞きながら、アルファは一心に相手を見つめた。そして、はじめから「もしかして」とは思っていたが、いまひとつ自信が持てずに棚上げしていたその質問を、遂に彼に投げつけた。
「ベータ。知っているんだろう? ……私が、いったい誰なのか」
それはもはや、確信だった。
ベータは視線を逸らさないまま、しかし黙っているだけだった。
アルファは改めて、自分の下腹に力をこめた。
「教えてくれ。私はいったい……だれなんだ?」
「…………」
「あの子たちは、何なんだ。私とあの子たちとは、いったいどんなつながりが?」
遂に、今日という日の最後の光を投げ終わった恒星が姿を消して、空は次第に宇宙そのものの色へと戻っていきつつある。夕焼けの色が駆逐されていくのを一瞬だけちらりと見やって、ベータは再びこちらを見た。
「……だから、知らんと言っている。少なくとも、お前自身は俺に明かそうとしなかった。それは事実だ」
「でも、知っていたんだろう。あなたは知っていたんだ。そうだろう?」
「…………」
「ベータ!」
アルファは遂に、男の胸元にとりついた。
そして初めて、男に向かって真正面から噛み付いた。
「そういうのは、もういい! もう誤魔化すのはやめてくれ。あなたは知っていたはずだ。私が隠していようと、何だろうとだ。なぜならあなたは、そんな素性も分からない人間と容易く手を組むような人ではないからだ。あなたはそんな、うかうかと無謀なまねをする人じゃない……!」
「…………」
男の眉間が、あからさまに顰められた。
「……お前が、何を知ってるんだ」
その声は、気味が悪いほどに低く、不快げに聞こえた。そして次にはもう、アルファは男の手で胸倉を掴みあげられていた。
「貴様に、俺の何がわかる。……記憶まで失くした身で、知ったような口をきくな」
それは、今まで聞いたことのない声だった。少なくとも今の今まで、アルファはこんな男の声を知らなかった。ぞくりと怖気を震うように冷え切った、しかし激しい怒りを潜ませた声。
もともと野性味のある彼の相貌が、いまやすぐ間近にあってその本質を見せ、凶暴なものを垣間見せている。憤然と燃え上がった蒼い瞳は、まさに野生の鷹そのものだ。
アルファはあまりの彼の変貌ぶりと剣幕に、思わず言葉を失った。
なぜ彼が、そこまで怒りを発したのかが分からなかった。
「では……それなら」
胸元を掴まれているせいで、少ししゃべるだけでもアルファは喘いだ。
「あなたは……何なんだ」
「なに?」
ぎらりとベータの瞳が光る。
「だから、……あなたは、何なんだ」
それもずっと、アルファが彼に訊いてみたかったことだった。
「あなたは、私の……なんだったんだ?」
「…………」
途端、かっと彼の両眼が光ったように見えた。と思ったら、ベータはそのままさらにこちらの体を持ち上げ、いきなりアルファの唇を奪った。
「ん、……んんっ!」
まるで、噛み付くようなキスだった。
アルファは逃げようとしてもがいたが、男の強い両腕が動きのすべてを封じていた。そのまま熱く、激しく口内を蹂躙される。
もはやほとんど息もできずに、アルファは熱い舌を絡められ、口内のすべてを暴かれた。
「ん……んうう」
いつのまにか自分がぎゅっと目を閉じて、その手が男の背中に回っていることに、アルファは気づいていなかった。やろうと思えば相手の舌を噛んで逃げることだってできたはずだが、そんなこともしなかった。
じんじんと頭の芯が麻痺したようになって、足から力が抜けてゆく。
もしかしたら自分の知らない、いまだに脳の奥底に隠れているあの「アルファ」が、それを望んでいたのかもしれないとふと思った。
砂地にくずおれるようにして座り込んでも、ベータはアルファを離さなかった。
いつのまにか、一度互いのそれが離れても、アルファのほうから濡れた唇を寄せて口を開き、とろりとした目で彼を見つめてその先をねだっていた。ベータが迷わず、再び噛み付くようにして応えてくれる。
互いの吐息を奪い合い、唾液すら惜しむようにして、何度も何度も口づけた。
(……そうか)
――つまり自分たちは、そういう関係だったのか。
そんなことを、今のアルファはぼんやり思った。
それなら、この男はなにもあの子らに頼まれたから、ただそれだけの理由であのゴブサムに逆らってまで自分を助けに来たということではないのかもしれない。
アルファはまだその男に熱く唇を求められ続けながら、先ほどわけもわからず不愉快に凝り固まっていた胸の奥が、ゆっくりと氷解していくのを覚えた。
「嬉しい」と、確かにこころが叫んでいた。
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