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第一章 蜥蜴の男
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しおりを挟む鷹の頭部を模した形の被り物の下からは、金髪の「人間型」の男の顔が現れた。
その瞳にまっすぐに見つめられて、<玩具>は恰も言葉を忘れた人のようになった。
それは、あの瞳だった。
起きているときも、寝ているときも。
窓の外、はるか宇宙の海のその涯の、あの恒星と同じ色。
蒼く冷たく澄んだ瞳が、じっとこちらを見つめていた。
年の頃は、こちらとさほど変わらないのだろうか。男は同じ「人間型」ではありながら、<玩具>よりははるかに野性味のある顔立ちをしている。
「あな……たは」
「だから、やめろと言っている」
<玩具>がつい不用意に声をあげると、彼はまたちょっと口元をゆがめて苦笑した。長めにのばした癖のある蜂蜜色の金髪を面倒くさげにかき回し、片足をベッドに上げてそこに肘をつく。
「お前にそんな口をきかれると、尻のあたりがむずむずするんだ」
「いえ……しかし」
「可愛いのはまあ、嫌いじゃないが。昔のお前は、もっと、ずっと横柄だったぞ。そう、かなーり、可愛くない程度にはな」
冷たかった目の光がやや優しくなって、ぱちりと片方が閉じられた。
「……え」
「この顔を見ても思い出せんか。……重症だな」
あの、と言いかけた<玩具>をそのままに、男は立ち上がってコックピットのほうへと歩き出した。と思ったら、くるっと顔だけをこちらに向けた。
「ときに、あそこで何と呼ばれていた? 名前は」
「え、……その」
少し目を白黒させながらも、<玩具>は事実をただ伝えた。
あのゴブサムには、そのときそのときで、違う名で呼ばれていたこと。基本的には名など無く、ときには「野良犬」だの、「玩具」だのとも呼ばれていたこと。
男の眉間に、見る見る不快げな皺が立った。
「……ふざけたことを。あのブタ蜥蜴、もっと細かいミンチにしておけばよかったな」
やや横を向き、吐き捨てるように言っている。
そしてまた、改めてこちらを向いた。ひょいと、その手の指が上がる。
「『アルファ』だ」
「え?」
「お前は、『アルファ』。少なくとも、俺はそう呼んでいた」
「…………」
「これからはそう名乗れ。俺もそう呼ぶ」
『アルファ』。
人の名前としては、随分と奇抜なものだ。
と、思ううちにも男は続けた。
「いわゆるコードネームというやつだ。ちなみに俺はそれに合わせて、お前には『ベータ』と呼ばせていた。……まあ、仕事のときだけの話だがな」
「仕事……?」
「お前の本名については、俺は知らん。お前のほうで、教えてはくれなかった」
男の蒼い目は、そのときなぜか、すっと細められたようだった。
「出自も、住まいも、なにもな。まあ、俺も熱心に訊ねたわけではなかったが。分かっているのは、行方不明になる寸前まではユーフェイマス宇宙軍の所属で、少佐だったということだけだ。そのほかの事は、お前も話したくはないようだったしな」
なんとなしに、話をはぐらかされたようだ。
「仕事」というのは一体なんのことなのだろうか。
<玩具>は――いや、これからは己のことを「アルファ」と呼称するのがいいようだが――少しため息をつくと、壁にある小さな窓から外を見ながら訊ねた。
「……どこに向かっているので――」
「いい加減にしろ」
と、いきなり男の人差し指がのびてきて、アルファの唇をおさえ込んだ。相変わらず、素早い身のこなしだ。
「言い直せ」
その声にわずかな苛立ちを聞き取って、アルファは震えた。
今の自分は、この男の持ち物なのだ。逆らうことは許されない。男の指が離れていってから、アルファはおずおずと相手の瞳をうかがいながら、あれこれ考え、やっとその言葉を口に乗せた。
「どこに、向かって……いるんだ」
「よくできました」
男は初めてにかりと笑った。
「とはいえ、やっと及第点といったところだがな」
アルファの胸は、また落ち着きなくつきりと跳ねた。
それは思った以上に屈託のない、むしろ優しいと言ってもいいぐらいの笑顔だった。
どうやら間違いなく危い事を生業とする男らしいのだが、海千山千とは言っても、素は悪い人間ではなさそうだ。
少なくとも、あのゴブサムのようには自分を虐待することはないかもしれない。
まあそれは、その場になってみなければ分からないことではあるけれど。昼の顔と夜の顔がまったく異なる人間など、世にはごまんと居るのだから。
「怪我が治るまでは、しばらく身を潜めることとしよう。何度か|異空間航行(ジャンプ)を繰り返して、辺境へ移動する」
「…………」
黙っているアルファを見下ろして、「ベータ」は少し変な顔をした。
「お前、顔色が悪すぎる。しばらくは養生して、体力をつけろ。その後、連れて行きたいところがある」
「…………」
「あいつらも、お前を待っていることだしな」
「あいつら……?」
男はまた、にかりと笑った。
「随分心配していたぞ。なにしろ、あれから三年だ」
「…………」
男の台詞は、謎だらけだ。
この男、どうも肝心なことをすらりと話さないタイプであるらしい。要するに天邪鬼なのだ。
「あの、意味がよく――」
だが、さらに首をかしげてそう言いかけたアルファのことにはもう構わず、男は壁に作りつけられた小さな扉を開いて毛布のようなものを引っ張り出した。
「少し寝ておけ」
言ってそれを投げてよこすと、男はもうあとも見ずにコックピットの方へと戻っていった。
部屋に取り残されて、アルファはしばらく呆然としていた。しかし、ごそごそと言われた通りに毛布を体に巻きつけると、医務用ベッドの上にこてんと横になった。
すると制御システムが気を利かせたのか、ライトがすうっと光度をさげて、周囲はおだやかなオレンジの光に包まれた。
毛布から、嗅いだことのある匂いがしている。
それはアルファにとって、胸の苦しくなるような、なにか郷愁のようなものを引き起こす匂いだった。
(彼の……ものか)
それは決して、不快な匂いではなかった。むしろその逆だった。
その意味するところは、分からない。
分からないが、やはり胸の奥底で、誰かが何かを、痛いほどに叫んでいる、そんな気がしてならなかった。
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