星のオーファン

るなかふぇ

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第一章 蜥蜴の男

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 しゅるしゅるとネクタイを外して、<玩具>はそれを床に落とした。その後も主人あるじを苛立たせぬようにと気を遣いながら、身につけたものを素早く取り去っていく。
 不思議なことだったが、<玩具>はその間もずっと、なぜかあるじの前にある大きな卓の向こうから、熱量のある厳しい視線が刺さってくるのをずっと感じていた。もちろん、鷹の頭をした男のものだ。
 あの被りものは恐らく、視覚や嗅覚、聴覚なども自然に装着者に再現してくれる機能があるのだろう。あの鋭い鷹の目の奥には、かの男の本物の双眸が厳しく光っているのに相違なかった。

 そんなことを思ううちにも、<玩具>はすでに最後の下着を脱ぎ終えていた。
 一糸まとわぬ姿になって、どこを隠すそぶりも見せずに主人の傍らに立ち尽くす。もちろん、靴も靴下も履いてはいない。

 と、主人あるじの太い指がすいと上がった。
「……歩け」
 その指が指し示す方向は、この応接の間の出口だった。つまり、ここから出て行けということか。
 ほっとして、<玩具>は主人あるじに頭を下げた。そうしてそちらへ歩きかけた。
 と、すぐに声のみでその動きを止められた。

「愚か者。そちらへではない」
「は……」
「わからぬか。そこを、まっすぐだ」

 主人の示すその指の先には、先ほど粉々になったグラスの破片が散らばっている。
 足の裏まで固い皮膚に覆われた爬虫類型の者ならともかく、「人間型ヒューマノイド」の柔らかい足でこの上を歩けばどうなるかなど、一目瞭然のことだった。

「…………」

 周囲の人々の空気が、さらに重くなった。
 その中には無論、かの鷹の頭の男も含まれている。
 しかし、やはり迷っている暇などはなかった。この程度のこと、やはりこれまでのことから考えればたいした事態のうちには入らない。本当に嗜虐に興の乗った時のゴブサムならば、この数倍は程度の酷いことを平気で<玩具>に命じるのだから。

 <玩具>はすぐに心を決めて、そこから一歩、歩みだした。
 決して、わずかでも道をそれることは許されない。鋭い痛みとともに足裏に容赦なく突き刺さってくるもののことは、極力考えないようにした。
 出口から出さえすれば、そこからは這えばよいのだ。ともかくも、この場では二足で歩き続けるしかない。
 じゃり、ぱりんと足元から音が聞こえる。
 そのまま、ゆっくりと出口に向かいかけたときだった。

 ずしゅ、ぐしゃりと何か粘性の音がして、<玩具>は思わず振り返った。

(……え?)

 <玩具>は、今度は我が目を疑った。そこには、さきほどまで椅子の上に巨体をうずめていたはずの、我があるじの姿がなくなっていた。その代わり、頭部の消えたようになった太い胴体が、床の上に長々と寝そべっていた。
 その傍には、あの鷹の頭をした男が立っている。
 いったい、いつの間にその場所まで移動したというのだろう。
 さらにぐちゃぐちゃと何かをかき回すような音がして、男は軽くドアでも閉じるような仕草で左腕を引いた。

(なに……?)

 <玩具>は、はっとした。
 その左腕は、先ほどまでは確かに人の手の形をしていたはずだった。しかし今、かの男の左肩から生え出ているのは、奇妙に大きくて先がいくつもに分かれ、非常に鋭い刃のようになった何かだった。その先が、赤いものでぬらぬらと濡れている。
 目線を落とすと「もと主人だったもの」の頭部はぐずぐずに崩れ、ただの肉塊と成り果てていた。脳がああまでなってしまっては、いかにこの財団の富を用いようとも、ゴブサムを再生させることは不可能であろう。

 ふと、とあることに気がついて<玩具>は周囲を見回した。部屋のあちこちにいた主の警護の者たちは、先ほど来とかわらぬ顔で、静かに立っているばかりである。その表情は空ろなもので、目は中空を睨んだまま、微動だにしないのだった。
 やがて、ひとり、またひとりと彼らがその場にくず折れた。
 こうした異常事態が発生したなら、真っ先に耳障りな警告音をがなりたてるはずのメイン・コンピュータ・システムも、今は沈黙を守っている。

(これは――)

 足の痛みのこともあって、思わず床に座り込んでしまっていた<玩具>のそばに、鷹の頭の男は無造作な足取りでやってきた。
 見れば、すでに左手がもとの形に戻っている。そこには、当然あるはずの血糊や脳漿などもひと雫も残ってはいなかった。
 男は<玩具>のそばまで来ると、片膝をつき、こちらに右手を差し出した。

「立てるか。……いや、無理な相談か」

 その後半は、何気なしに言ってしまった自分の台詞に思わず少し笑ってしまったような、ちょうどそんな声音だった。
 <玩具>は何も言えないで、その不気味に無表情な鷹の顔を、おずおずと見上げたのみだった。

 
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