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第四章 勇者の村

10 葛藤

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「はあ、あああ~~……」

 壁に背をつけたまま、リョウマはその場にずるずると座り込んだ。
 とても危なかった。魔王もそうだが、誰より自分自身が。
 「篭絡ろうらくしようとしやがって」なんて強がってはみたけれど、あのとき崩れ落ちそうになっていたのが何より自分自身の理性の方だったことは自覚していた。あともう少しで、自分は魔王が望むとおりに目を閉じてしまっていたと思う。……たぶん。

(なにやってんだ、なにやってんだ、なにやってんだあああっ……)

 両手の拳で、自分の頭をゴンゴン殴る。
 もしかしてすでに自分は、この頭の中まで、あいつの体液に侵されてしまっているのだろうか? だからこんな風に、当たり前の判断力さえおかしくなってしまっているのか。

(最初はあんな風に、勝手に奪っていきやがったくせに)

 なぜかあの男に対して、ひどく恨みがましい気持ちになる。あんな風にそっとこちらの顎をとらえておいて「ここに触れたい」なんて。あんな優しい顔をして、柔らかな声で囁くなんて。あれでうなずくなと言う方が無理があるのではないか? 
 あんな風にするぐらいなら、とっとと無理やりにでも奪ってくれたらよかったのだ──。
(いや、そうじゃねえ! そうじゃねえってばよ、俺! なに考えてんだ、おかしいっつーの!)

 そんな自分がまた、どうしようもなく信じられない気持ちになる。
 リョウマは髪をぐしゃぐしゃにかき回してその場にうずくまった。

 ……おかしい。自分はもう、ずっと前からとっくにおかしくなっている。
 あの時、魔王に迫られたとき。「早く奪って」と、胸の奥から勝手な望みがすごい勢いで湧いてきて、抑え込むのに苦労した。あともう少しで本当に、あの男の言うとおりに目を閉じてしまいそうだった。まことにまことに、危なかった。

(……いや。それでもいいんじゃねえか。そうしたら、村のみんなは助かるかもしれねえのに──)

 魔王本人は、なぜかそういう流れをひどく嫌悪したようだったけれど。でも、実際そうではないか。
 あの男はいま、なぜかこの自分を求めている。それもなぜか、意味で。すでに今でも「配殿下」などと自分を呼ばせて、周囲の人々から完全に「王妃」みたいな扱いをされているのだ。あいつの好みはまったく理解できないが、とにかく自分を「そういう相手」として認識し、まちがいなく「欲しがっている」。
 だったらそこに付け込めばいい。あいつをなんとか「篭絡」し、うまく取引をもちかけて、自分の村や人間たちを守るのだ。《BLレッド》になれない以上、いまの自分ができることといったらそれぐらいしかないのだから。
 だが、腹をくくって申し出たその言葉は、魔王によって一蹴された。

(ったく。なにを考えてるんだってばよ、あの野郎──)

 ギリギリ奥歯を噛みしめる。
 今更、「本当に欲しい」だなんて。つまり魔王が言ったのは「リョウマの心も体も、どちらも自発的に心から差し出してほしい」と、そういうことなのだろう。
 ……つまりは、「心から恋をしてほしい」と。そういうことだ。

(くっそう! くっそう!)

 いったい、自分が何に苛立っているのかよくわからない。
 わからないから余計に腹が立つし、あいつが許せないという気持ちにもなる。
 リョウマはそっと自分の唇を指先でなぞってみた。ちょうど先ほど、魔王が自分にしたように。途端、背筋がぞくぞくっと、先ほどの快感を思い出して粟立った。

「くっそう……」

 暗い部屋の片隅で、膝を抱えて座りこむ。
 もう、頭の中は大混乱だ。
 どうすればいいのかわからない。……いや、わかっている。「嘘でもいいから」、魔王を好きになったような「演技」をして、あいつに言い寄ればいいだけだ。
 そして言えばいいのだ。

 ──抱いて、と。

「うっ……うわ、うわあああああっ!」

 リョウマはガバッと立ち上がると、さらに激しく髪の毛をかき回し、部屋じゅうをどたばたと走り回った。最終的にはベッドに飛び込み、枕をあっちこっちへ乱暴に投げつけて布団の中へもぐりこむ。

(アホか。んな真似、できるわけねえだろうがああああっ)

 ……そうなのだ。
 その一事で、すべての結論になってしまう。
 わかっている。自分はそんなに器用にできた人間ではない。第一、そんなウソ、あの魔王にはあっという間に見破られてしまうだろう。
 そしてきっと、魔王は傷つく。いや、ものすごく怒らせてしまうかもしれない。
 もしもそうなったら、仲間の人間たちは今よりも、もっともっと危険になってしまうかもしれないのだ。あの魔王を本気で怒らせてしまったら、その報復はどれほどひどいことになってしまうことか。

「は……八方ふさがりだ」

 掛け布団をぐるぐる巻きにして縮こまり、リョウマは力なく、ため息とともにそのセリフを吐き出した。
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