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第四章 勇者の村
9 接近
しおりを挟む「……ひいひい言い過ぎ」
ぷっ、とリョウマが吹き出した。
エルケニヒが、彼のあがった口角につい触れてしまったのは、ほとんど無意識だった。途端にリョウマが変な顔になる。
「ん? なにすんだよ」
「すまぬ。そういえば初めてだな。そなたが、美味いものを食わせている時以外でこのように笑ったのは」
「そうだったか? ってか、人をただの食いしん坊みたいに言うんじゃねー!」
「ははは!」
「……んむ」
エルケニヒの親指が少しずれて、リョウマの下唇の形をなぞると、彼の体がぴくんと反応した。
──触れたい。ここに。
そう思ったら、その場所から一瞬たりとも目が離せなくなってしまった。
「な……なに、言ってんだよ……」
一生の不覚だったのは、その思いが湧きあがったのとほぼ同時に、それを口に出してしまったらしいことだ。
リョウマが目を真ん丸にしてこちらを凝視している。一瞬「まずい」と思ったが、幸いにもと言うべきか、その目のなかに嫌悪感らしいものは浮かんでいなかった。そのことにどこかでほっとしている自分に気づき、妙な罪悪感を覚える。
「触れたい。そなたのここに……。ダメだろうか」
「……だ、ダメに決まってんだろ」
リョウマがふっと目をそらし、なんとなく不貞腐れたような顔になった。
真意がよくわからない。わからないが、それは決して言葉どおりの返事ではないように思われた。
「私の『獺祭』は、それなりに続けて摂取しておく方がいいと思うのだが」
これは別に嘘ではない。ないが、この場合は体のいい言い訳にすぎなかった。
もともと魔族ではないリョウマにとって、魔王である自分の体液への耐性を高めておくことはとても重要だ。それがなかったからこそ、彼はあの洞窟であれほどの痴態を演じる羽目になったのだから。
これをなるべくコンスタントにやっておかなければ、ほんの少しの口づけ程度でも、彼の体はまたあの時のように狂いやすくなってしまうだろう。
「『ダッサイ』て……その呼び方で定着したのか?」
「ああ。面倒がなくてよいではないか? で、どうなのだ。ここに触れさせてくれるのか、くれないのか? 私の『獺祭』、摂取してみぬか。今後のために」
指の腹でゆるゆると彼の唇を撫でてやる。
リョウマの体はひどく敏感で、指の動きに合わせていちいちぴくん、ぴくんと跳ねた。その反応に、つい自分の下腹のあたりが熱くなる。
「……っんでだよ。てめーとんなこと、しなきゃいいだけなんじゃ──」
リョウマが頬も耳もじわじわと赤く染めながら、そんなことをモゴモゴ言っている。
それでいながら彼の両手はこちらの衣の胸元をぎゅっと掴んだままだ。……やはり、真意がよくわからない。本当にイヤなのだろうか? とてもそうは見えないが──。
エルケニヒは目を細めて、彼の赤くなった耳たぶや彼の拳を見下ろした。それから、そろそろと彼の顔に自分の顔を近づけてみた。
「……まことにイヤか?」
「…………」
困りきったような、怒りを灯したような、またはちょっと泣き出しそうな目がこちらを睨んだ。それでもリョウマは黙っている。
「イヤでないなら、目を閉じてくれ。……本気でイヤなのなら、この手を放す」
そのまま少しずつ彼の額に自分の額を近づけていく。
胸の奥が、どくん、どくんと大きな音を立て始めた。
(……なんだろうか。この感覚は)
体が熱い。こんな感覚は久しぶりだ。
目を閉じてくれ。……どうか。
祈るような思いが、高鳴る胸の奥から湧いてくる。
リョウマの睫毛がふるふるっと揺れて、いまにも閉じそうになった。
「っ……! ダメだ、っつってんだろーがこのエロバカ大魔王──っ!」
次の瞬間にはまたもや、エルケニヒの顔面はリョウマの手のひらでバチーンと蓋をされていた。
「いたたた……」
目を開くと、すでにリョウマは羽でも生えたかのように、ずっと遠くへ飛んで逃げていた。赤い衣の袷のところを必死に掻きあわせて、まるでわが身を守る女の子のような恰好で叫んでいる。
「バカヤロ、バカヤロ、バカヤロっ。ぜってー流されねーぞこの野郎っ。こんのエロバカ大魔王が、いつもいつも俺をロウラクしようとしやがって……!」
「……はいはい。そうだな。今宵はこのぐらいで許して進ぜるとするか」
エルケニヒは苦笑すると、すいと身を起こした。相変わらず歯を剥きだして、唸り声をあげそうな顔でこちらを睨んでいるリョウマに微笑みとともに一瞥を投げる。そうしてそのまま足早に部屋を出た。
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