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第三章 魔族たちの街
14 湯殿
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そんなわけですったもんだはあったのだが。
晴れてリョウマは「外出許可」──正直、そんなモノを頂かねばならないこと自体に納得はいっていないが──をもらい、久しぶりに入浴することも許された。
とはいえ、実はそんなに不潔になってはいない。魔王エルケニヒは人間に対して使っても問題のない魔法をいろいろと使いこなせるらしく、看病をしていた間、リョウマの体を清潔に保つための《清浄》の魔法を何度も使ってくれていたからだ。
「はあ~~~。生っき返るわ~~~~」
魔王城内の、魔王専用とされている広い湯殿で、リョウマは今、でかい浴槽の中で長々と足をのばし、快適な温度の湯の中でとろけた顔を晒している。
故郷の村では、こんなにふんだんに水を使い、しかもそれを湯にして入浴するなどというぜいたくは許されない。ほかの村人よりは優遇されている《BLレンジャー》ですらそうだ。湯に浸かることがあったとしても、ごく小さな風呂桶を使うほとがほとんどだった。
だからリョウマもこんな風にひろい浴槽でたっぷりの湯を使い、手足を存分にのばす経験なんて皆無だったのだ。
「ふいい~~。気ン持ちいい~~~」
貧しい暮らしを強いられているみんなには申し訳ないけれども、こればかりは堪えられない。長く病床にあってこわばった体中の筋肉がほぐれ、疲れが癒されていくのがわかる。なんという気持ちよさだろう。これは本気で癖になりそうだ。
と、背後でかたりと小さな音が聞こえた。途端にリョウマはびくっと体を固くした。
(ちっ。やっぱりか──)
この湯殿に入れるのは、魔王が許可した者だけだ。本来、魔王個人が使う空間であり、中にいる者に許可を得ずに入ってこられるのは本人以外にありえない。
案の定、腰のあたりだけをタオルで覆った姿の魔王が、堂々とした体躯をみせびらかすかのようにしてこちらへ歩いてくるところだった。今日は長い銀髪を後ろでたばねている。
リョウマはさっそく魔王を睨んだ。
「なんだよっ。出てけよ」
「ここは私の湯殿だぞ。私が入ることに否やを言える者はこの世界には一人もおらぬ」
「っかーっ。うるっせえわ、もう!」
ぷいと横を向いたリョウマのすぐ隣に、魔王はまったく遠慮する風もなくさっさと身を沈めてきた。リョウマよりもはるかに質量のある体が湯舟の面を波だたせる。
こうして見ると、改めて本当に均整のとれた体だ。身長があるのでサイズそのものは大きいが、つくべきところにしっかりと筋肉が盛り上がり、脇や腹で美しいラインを描いている。腰はぎゅっと締まっていてたくましい下半身につながっている。悔しいが、非常にきれいだ。ましてや顔はイケメンそのもの。
今日の魔王は薄青い肌色に金色の瞳を選んでいる。
「病み上がりなのだから、あまり長湯はするなよ」
「だっから。お母ちゃんかっつの」
いい加減、こいつのこういう物言いにも慣れてきた。
お互い腕をのばせばすぐに届くところに身を沈めているわけだが、そんなに身の危険を感じずにいられるのが不思議な気がする。最初にあの洞窟でふたりきりになったときには、あれほど危険に思えた相手だというのに。
やはり、忙しい身なのにずっと看病してくれたことが大きいのかもしれない。
腹は立つし、まだあまり納得は行っていないが、この男、魔王エルケニヒ自身は決して「悪いヤツ」ということではないようだ。それはリョウマにも次第にわかってきている。
そもそも「悪いヤツ」には子どもは懐かない。あの人間たちの保護区域で、たくさんの子どもたちに囲まれて「まおうさま、まおうさま」と慕われて笑っていた彼の顔を、リョウマはそっと思い出していた。
子どもたちだけじゃなく、こいつは部下や召使のみんなからも非常に尊敬され、愛されている。しばらく魔王城にいる間に、鈍い自分だってそのぐらいのことは観察し、理解できるようになっていた。まったく本意ではなかったけれど。
そういうヤツが、悪い野郎だったためしはない……と、思うのだ。悔しいけれど。本当に納得がいかないけれど。
「どうしたのだ? 黙りこくって」
「んお? いや、べっつに……」
ふん、とそっぽを向いて口を尖らせる。
「もうのぼせかかっているのではないか? 一度あがるか」
「……ん。そうだな」
珍しくも素直にそう返事をして、ざばりと立ち上がった。べつによろめいたりもしていないのに、魔王の大きな手がさっと伸びてきて手助けしてくれる。大理石か何かのきれいに磨き上げられた石で造られた湯舟の縁から床へあがって、リョウマは魔王から差し出された大きなバスタオルを肩に掛けた。魔王は外していた腰のタオルを再び巻き直している。
広々した湯殿にはあちらこちらに観葉植物が置かれていて、柑橘系のさわやかな香りがしていた。香油か何かだろうと見当をつける。窓は三方に大きく開いていて、それぞれ高い天井にまで届いており、夜空の星が光っているのがくっきりと見えている。
周囲はとても静かだ。召使いたちがあちこちで働いているのは確かだけれども、プロフェッショナルである彼らは常に、ほとんど気配や物音を消して動く。
湯殿の中に置かれたベンチの上の飲み物もまた、かれらの仕事の一環であろう。それを、魔王はコップに注いで当然のようにリョウマに手渡してきた。黄色っぽい色をしたもので、甘くて少し酸っぱい。果物のジュースのようだ。風呂上りだからなのか、ひどく美味しい。リョウマは喉を鳴らして飲んだ。
リョウマ自身はベンチの端っこに座り、魔王は飲み物の盆をはさんで少し離れた場所に腰をおろしている。
しばらくは、どちらも口をきかなかった。
「……あの、さ」
「ん? どうした」
自分から口をきいておきながら、リョウマはしばし言葉を飲み込んでしまった。
自分が今から何を言おうとしているのか。本当にこんなことを言ってもいいのか、まだ判断がつかない感じがあったからだ。
「……あのさ。いいのか? こんなことして」
「どういう意味だ」
「だからさ。俺とあんたは敵同士。この国と俺らの村も敵同士。だろ?」
「……まあ、そうだな」
「だったら。こんな風に俺によくすんの、おかしいじゃねーか。……なんであんた、俺にこんなマネをする? ……つまり、親切にさ」
「…………」
腰の脇にジュースのコップをとん、と置いて、魔王はじっとこちらを見下ろしてきた。
晴れてリョウマは「外出許可」──正直、そんなモノを頂かねばならないこと自体に納得はいっていないが──をもらい、久しぶりに入浴することも許された。
とはいえ、実はそんなに不潔になってはいない。魔王エルケニヒは人間に対して使っても問題のない魔法をいろいろと使いこなせるらしく、看病をしていた間、リョウマの体を清潔に保つための《清浄》の魔法を何度も使ってくれていたからだ。
「はあ~~~。生っき返るわ~~~~」
魔王城内の、魔王専用とされている広い湯殿で、リョウマは今、でかい浴槽の中で長々と足をのばし、快適な温度の湯の中でとろけた顔を晒している。
故郷の村では、こんなにふんだんに水を使い、しかもそれを湯にして入浴するなどというぜいたくは許されない。ほかの村人よりは優遇されている《BLレンジャー》ですらそうだ。湯に浸かることがあったとしても、ごく小さな風呂桶を使うほとがほとんどだった。
だからリョウマもこんな風にひろい浴槽でたっぷりの湯を使い、手足を存分にのばす経験なんて皆無だったのだ。
「ふいい~~。気ン持ちいい~~~」
貧しい暮らしを強いられているみんなには申し訳ないけれども、こればかりは堪えられない。長く病床にあってこわばった体中の筋肉がほぐれ、疲れが癒されていくのがわかる。なんという気持ちよさだろう。これは本気で癖になりそうだ。
と、背後でかたりと小さな音が聞こえた。途端にリョウマはびくっと体を固くした。
(ちっ。やっぱりか──)
この湯殿に入れるのは、魔王が許可した者だけだ。本来、魔王個人が使う空間であり、中にいる者に許可を得ずに入ってこられるのは本人以外にありえない。
案の定、腰のあたりだけをタオルで覆った姿の魔王が、堂々とした体躯をみせびらかすかのようにしてこちらへ歩いてくるところだった。今日は長い銀髪を後ろでたばねている。
リョウマはさっそく魔王を睨んだ。
「なんだよっ。出てけよ」
「ここは私の湯殿だぞ。私が入ることに否やを言える者はこの世界には一人もおらぬ」
「っかーっ。うるっせえわ、もう!」
ぷいと横を向いたリョウマのすぐ隣に、魔王はまったく遠慮する風もなくさっさと身を沈めてきた。リョウマよりもはるかに質量のある体が湯舟の面を波だたせる。
こうして見ると、改めて本当に均整のとれた体だ。身長があるのでサイズそのものは大きいが、つくべきところにしっかりと筋肉が盛り上がり、脇や腹で美しいラインを描いている。腰はぎゅっと締まっていてたくましい下半身につながっている。悔しいが、非常にきれいだ。ましてや顔はイケメンそのもの。
今日の魔王は薄青い肌色に金色の瞳を選んでいる。
「病み上がりなのだから、あまり長湯はするなよ」
「だっから。お母ちゃんかっつの」
いい加減、こいつのこういう物言いにも慣れてきた。
お互い腕をのばせばすぐに届くところに身を沈めているわけだが、そんなに身の危険を感じずにいられるのが不思議な気がする。最初にあの洞窟でふたりきりになったときには、あれほど危険に思えた相手だというのに。
やはり、忙しい身なのにずっと看病してくれたことが大きいのかもしれない。
腹は立つし、まだあまり納得は行っていないが、この男、魔王エルケニヒ自身は決して「悪いヤツ」ということではないようだ。それはリョウマにも次第にわかってきている。
そもそも「悪いヤツ」には子どもは懐かない。あの人間たちの保護区域で、たくさんの子どもたちに囲まれて「まおうさま、まおうさま」と慕われて笑っていた彼の顔を、リョウマはそっと思い出していた。
子どもたちだけじゃなく、こいつは部下や召使のみんなからも非常に尊敬され、愛されている。しばらく魔王城にいる間に、鈍い自分だってそのぐらいのことは観察し、理解できるようになっていた。まったく本意ではなかったけれど。
そういうヤツが、悪い野郎だったためしはない……と、思うのだ。悔しいけれど。本当に納得がいかないけれど。
「どうしたのだ? 黙りこくって」
「んお? いや、べっつに……」
ふん、とそっぽを向いて口を尖らせる。
「もうのぼせかかっているのではないか? 一度あがるか」
「……ん。そうだな」
珍しくも素直にそう返事をして、ざばりと立ち上がった。べつによろめいたりもしていないのに、魔王の大きな手がさっと伸びてきて手助けしてくれる。大理石か何かのきれいに磨き上げられた石で造られた湯舟の縁から床へあがって、リョウマは魔王から差し出された大きなバスタオルを肩に掛けた。魔王は外していた腰のタオルを再び巻き直している。
広々した湯殿にはあちらこちらに観葉植物が置かれていて、柑橘系のさわやかな香りがしていた。香油か何かだろうと見当をつける。窓は三方に大きく開いていて、それぞれ高い天井にまで届いており、夜空の星が光っているのがくっきりと見えている。
周囲はとても静かだ。召使いたちがあちこちで働いているのは確かだけれども、プロフェッショナルである彼らは常に、ほとんど気配や物音を消して動く。
湯殿の中に置かれたベンチの上の飲み物もまた、かれらの仕事の一環であろう。それを、魔王はコップに注いで当然のようにリョウマに手渡してきた。黄色っぽい色をしたもので、甘くて少し酸っぱい。果物のジュースのようだ。風呂上りだからなのか、ひどく美味しい。リョウマは喉を鳴らして飲んだ。
リョウマ自身はベンチの端っこに座り、魔王は飲み物の盆をはさんで少し離れた場所に腰をおろしている。
しばらくは、どちらも口をきかなかった。
「……あの、さ」
「ん? どうした」
自分から口をきいておきながら、リョウマはしばし言葉を飲み込んでしまった。
自分が今から何を言おうとしているのか。本当にこんなことを言ってもいいのか、まだ判断がつかない感じがあったからだ。
「……あのさ。いいのか? こんなことして」
「どういう意味だ」
「だからさ。俺とあんたは敵同士。この国と俺らの村も敵同士。だろ?」
「……まあ、そうだな」
「だったら。こんな風に俺によくすんの、おかしいじゃねーか。……なんであんた、俺にこんなマネをする? ……つまり、親切にさ」
「…………」
腰の脇にジュースのコップをとん、と置いて、魔王はじっとこちらを見下ろしてきた。
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