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第三章 魔族たちの街
8 痛み
しおりを挟む「うう。ちょっと食べすぎた……かも」
「ははは。まあそなたのことだ、すぐに消化するのだろう。問題ない」
「いや、あんたなあ……」
人を残飯処理機みたいに言うのはやめろ。
むっとして見上げるリョウマの手を取って、次に魔王が向かったのは噴水広場からちょっと東側へ入った場所だった。大通りに面した、大きくて洗練された形の建物がいくつか集まっている地区だ。そのうちの特に大きな建物が魔都の中央図書館と博物館だと、魔王は説明してくれた。
「へ~。こんなでかい建物が? 図書館と、博物館……?」
「デジタル資料も多いとはいえ、やはりこういう建物は大きくなるものだろう」
「そうなん?」
自分が生まれたあの村には、当然こんな建物はない。ないゆえ、リョウマには「それが普通」だとか「常識」だとかいう感覚がいっさいわからないのだ。それがちょっと悔しい。
魔王であるエルケニヒは本来であれば「顔パス」なのだろうけれども、リョウマに合わせて今は《擬態》をしているため、そのための身分証を持っているらしい。それを使って、まずは図書館に入った。ちなみに身分証兼通行証は手首にはめる細いバンド状のもので、それを入口でセンサーにかざすだけでOKということになっている。
「さあ。ここにその手首のものをかざすのだ。このように」
「え、えーと。こう……? うわっ!」
図書館の入口のところで、リョウマもおっかなびっくり、自分の手首を壁の四角く光っている窓にかざした。それが「センサー」というものなのだという。すると、手首のバンドがちかっと光って、表面に小さな星印が現れた。その印がある人だけが「入館許可を得た人」ということになるらしい。
(なんか……すげえな)
いちいち、進んだシステムにびっくりしてしまう。一体これはどういう作りになっているのだろう。じっと見つめても撫でても嗅いでみても、一向にしくみがわからない。
図書館の資料は、本物の本の量もものすごかったが、なによりパネルを操作して検索することができるデジタル資料の量がすさまじかった。この地球に関連する様々な情報が、ちょっとしたキーワードをいくつか入力するだけですぐに出てくる。それも、パネルで入力してもいいし、パネルに向かって話しかけて《AI》とかいうのに答えてもらってもいいという。
魔王が先ほどリョウマに言ったことは、それを見ただけでも嘘でないことがすぐに明らかになった。地球の歴史に含まれる山ほどの情報が、長年の人類の研究成果とともにここに詰め込まれているのだ。リョウマにとっては信じられない体験だった。
驚きの体験は隣の博物館でもまったく同様だった。太古の昔の生き物たちの巨大な骨格標本。人間がホモサピエンスになる以前の、毛がいっぱい生えたような姿をした「類人猿」の姿を再現した人形。もう驚きの連続だ。
周囲にいる異形の姿をした市民たちは、それを当然のように享受していて、ごく当たり前に機器を操作したり、本を開いたりしてそれぞれにくつろいでいる様子だった。なかには学校からやってきているらしい、子供たちの集団もいる。
(なんてこった……)
もう頭を抱えたくなった。
この街は、見れば見るほど自分の村とは大違いだ。こんな凝ったシステムなんて、あの村にはない。こんなに大きな建造物も、空とぶ車も、豊かな食糧も、なにもないのだ。
ここには食べることや着るものや住む場所に困っている人なんかいなさそうだし、見たところ道で寝ている貧しい民なんかもいない。住んでいる人たちが基本的にみんな幸せそうに見える。
(こんな……こんな、ことって)
最初のうちは驚きばかりが勝っていたけれど、次第にリョウマの胸に広がり出したのはひどく虚しく、どうしようもない痛みを伴う気持ちだった。
こんなことってない。こんなのは不公平だ。
どうして俺たちばかり、あんな生活をしなくちゃならない……?
俺たちがいったい、なんの悪いことをしたって言うんだ。
故郷の村は、とても貧しい。迫りくる《瘴気》から逃れ、ごくわずかに残された清浄な地域に身を寄せ合うようにして暮らしているのだから、当然そうなってしまうのだ。人間にとって安全な空気も、水も、食料も、ほんとうに限られている。その少ない資源を分け合いながら、なんとかかんとか毎日を暮らしていくのが精いっぱいなのだ。
時にはその少ない資源を奪い合って、喧嘩や争いだって起こる。
こんな豊かさを、故郷の村人たちはだれも知らない。
「……どうしたのだ? リョウマ」
急に静かになり、壁に向かってじっと立ち尽くしてしまったリョウマに、背後から魔王が心配そうな声を掛けてきた。
「……うっ。うううっ……」
うるせえよ、と言いたかったのに、声がみっともなく歪んでしまいそうになってリョウマは唇をぎゅっと噛みしめた。
フードをぐっと下げてうつむく。そのとたん、ぱたぱたっと足元に涙の雫が散らばった。
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