203 / 209
第十六章 恐慌
16 痛恨事
しおりを挟む読み書きと計算が少しでもできるだけで、子どもたちが悪い大人からだまされたり、搾取されたりする不幸を軽減できるだろう。それに、なにもできないよりはずっと高い給金で働く機会も開ける。
ここには主人が許せば奴隷の子どもたちも来ることができるようになっている。
実は奴隷でも、読み書きと計算ができる者は主人から重宝がられることが多い。だから、こちらへ自分の奴隷を通わせたいとみずから望む者も多いらしかった。奴隷自身も、それでいずれ自分の自由を早く買い戻して平民になるという希望が生まれるはずなのである。
また武術が得意になれば、兵士として出世していく道もあるだろう。もちろん単純に身を護る術を手にいれられるという利点もある。
『大切なのは、できるだけ能力のある者を育てることと、かれらを決して我らのいいように、一方的に利用しようと考えないことだ。結局はそれが、我々の国力をあげてくれる』──と、インテス様はおっしゃった。
もしかしたらインテス様は、いずれはこの国の奴隷制そのものもなくしていきたいとお考えなのかもしれない。この学問所は、そこへ向かうための最初の一歩と言えるのかもしれなかった。
だとしたら、手伝いとはいえここで働かせていただく自分も責任重大である。
「オレ……じゃなくて、ぼ、ぼくは」
シディは「わたし」と「ぼく」とでちょっと迷ったが、最終的にこちらを選んだ。いまこの場でシディが「ぼく」と言ったからといって、あの売春宿にいたときのように見下してくる者はひとりもいないはず。だったら別にいいではないか。
「ぼくも、みなさんと同じでまだまだ学んでいる途中です。わからないこともたくさんあります。だから、ぼくは先生ではないです。みんなの勉強のお手伝いができたらいいなと思っています。……どうぞ、よろしくお願いします」
しどろもどろだったが、どうにかこうにか挨拶を終えて頭を下げ、体じゅう真っ赤になったような気分で後ろへ下がる。
──と。
「うわああああっ」
「せんせえっ」
「オブシディアンせんせえ!」
一拍おいて、凄まじい歓声と拍手がわきおこった。
(ひえっ?)
思わずシュンッと飛び上がる。尻のところで、きっとしっぽが大爆発をおこしているに違いなかった。
「来てくれてありがとうございます!」
「ぼくたちがんばります!」
「わたしたちの方こそ、よろしくお願いしますっ!」
「み、みんな……」
なんだかじーんとした。目の裏がじゅわっと熱くなり、鼻の奥がつうんとする。
と、そっと背中に手が置かれたのを感じた。見上げるとラシェルタがいる。
「あ。ラシェルタ……」
「私からもお願いします。あなた様に来ていただいて助かりました」
「え?」
「ご存知のとおり、私はこんな顔でして。特に異種族の子どもたちには、最初のうち、たいへん馴染みにくいようなのです。必要以上に怖がられてしまいまして……。物柔らかなオブシディアン様が授業で間に入ってくださるならば、望外の喜びにございます」
「そ、そんな。……でも、そうなんだね。が、がんばるね……」
「はい」
うっすらと目を細めるいつもの顔。この男としては十分、「派手ににっこりしている」状態なのだと、今のシディにはわかっている。……が、慣れない子どもたちにとっては恐らく、かなり怖い顔に見えてしまうのだろう。だからこの男の言いたいことはよくわかった。
◆
「なるほど。では早速明日から授業の手伝いに入るのだな」
「は、はい。仕事を紹介してくださってありがとうございました」
その夜。インテス様の寝室。その寝台の上。
シディ早速、今日のことを報告していた。インテス様はいちいち「うんうん」とにこにこして頷きながら聞いてくださった。だが。
「なによりだった。……しかし、ひとつだけ気に入らないことがある」
「えっ? な、なんでしょう」
インテス様がちょっとだけ黙る。
なんだかイヤな予感がした。
「あのう、どうしたんですか……?」
「どうしたんですかって、シディ!」
「ぴゃっ?」
またもや飛び上がってしまう。
「君の大切な大切な『はじめて』を、ほかの者たちに奪われるなんて! こんな痛恨事がほかにあるかい?」
「は? え? あの……な、なにをおっしゃって──」
「シディ!」
ガシッと両肩をつかみこまれて「ひっ」と凍りつく。
インテス様の目が怖い。真剣すぎるし、どこか狂気すら孕んでいるようにも見える。
「君がっ……自分のことを『ぼく』と言うだなんて! そんな大事なはじめてを、私はこの目で耳で、全身で感じられなかったとは……! 痛恨! まさに痛恨だよ!」
「……はいい?」
完全に目が点になった。
0
お気に入りに追加
185
あなたにおすすめの小説

狂わせたのは君なのに
白兪
BL
ガベラは10歳の時に前世の記憶を思い出した。ここはゲームの世界で自分は悪役令息だということを。ゲームではガベラは主人公ランを悪漢を雇って襲わせ、そして断罪される。しかし、ガベラはそんなこと望んでいないし、罰せられるのも嫌である。なんとかしてこの運命を変えたい。その行動が彼を狂わすことになるとは知らずに。
完結保証
番外編あり
大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!
みづき
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。
そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。
初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが……
架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。

男子高校に入学したらハーレムでした!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
ゆっくり書いていきます。
毎日19時更新です。
よろしくお願い致します。
2022.04.28
お気に入り、栞ありがとうございます。
とても励みになります。
引き続き宜しくお願いします。
2022.05.01
近々番外編SSをあげます。
よければ覗いてみてください。
2022.05.10
お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。
精一杯書いていきます。
2022.05.15
閲覧、お気に入り、ありがとうございます。
読んでいただけてとても嬉しいです。
近々番外編をあげます。
良ければ覗いてみてください。
2022.05.28
今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。
次作も頑張って書きます。
よろしくおねがいします。

皇帝陛下の精子検査
雲丹はち
BL
弱冠25歳にして帝国全土の統一を果たした若き皇帝マクシミリアン。
しかし彼は政務に追われ、いまだ妃すら迎えられていなかった。
このままでは世継ぎが産まれるかどうかも分からない。
焦れた官僚たちに迫られ、マクシミリアンは世にも屈辱的な『検査』を受けさせられることに――!?
悪役令息の七日間
リラックス@ピロー
BL
唐突に前世を思い出した俺、ユリシーズ=アディンソンは自分がスマホ配信アプリ"王宮の花〜神子は7色のバラに抱かれる〜"に登場する悪役だと気付く。しかし思い出すのが遅過ぎて、断罪イベントまで7日間しか残っていない。
気づいた時にはもう遅い、それでも足掻く悪役令息の話。【お知らせ:2024年1月18日書籍発売!】

親友と同時に死んで異世界転生したけど立場が違いすぎてお嫁さんにされちゃった話
gina
BL
親友と同時に死んで異世界転生したけど、
立場が違いすぎてお嫁さんにされちゃった話です。
タイトルそのままですみません。

異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします
み馬
BL
志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。
わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!?
これは、異世界へ転移した8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。
おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。
※ 設定ゆるめ、造語、出産描写あり。幕開け(前置き)長め。第21話に登場人物紹介を載せましたので、ご参考ください。
★お試し読みは、第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★
★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる