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第十六章 恐慌
5 亀裂
しおりを挟むその時点で、《皿》の周囲を取りまいたシディとインテス様の《魔力の網》は、まだ全体の半分も《皿》を覆うには至っていなかった。
(ダメだ。こんなんで魔力がなくなるなんて……!)
シディは必死で、遠くなっていきそうな意識を励ました。
シディの様子にいち早く気付いたのは、やはりインテス様だった。
「大丈夫か、シディ? そろそろ限界かい?」
ひどく心配そうな声だ。
しかし、そう言うインテス様だって決して楽そうな様子ではなかった。表情にこそ出さないけれど、顔色は次第に青ざめていき、額には汗の玉が浮かんでいる。唇を噛みしめて、じっと苦しさを堪えておられるのがシディにだけははっきりわかった。
《大丈夫、ですっ……》
言ってシディが必死で気合を入れ直したときだった。
ぐん、と全身に何かの圧力が襲い掛かってきて、シディの身体はぐらりと傾いだ。
(え……!?)
あやうく背中のインテス様を落っことしそうになり、慌てて体勢を立て直す。が、全身を打つ圧力──恐らくそれは魔力のようなものだった──はどんどん強くなってきた。
(ううっ?)
それは明らかに《黒き皿》から発している力だった。輝く網が縁にべたべたと張り付けられたようになっている状態なのに、どくん、どくんと心臓の音のような間隔で強い圧力が襲ってくる。
やがてその圧力が、ぐぐっと一気に力を増した。
「あっ……!?」
それはその場にいたみんなの驚愕の声だったかもしれない。
インテス様が練り上げた光る網に、びしっと亀裂が入ったのだ。続いてバリバリ、めりめりと不穏な激しい音が続く。
「反発している……。《黒き皿》が」
インテス様が唸るように低く言った。
気のせいかもしれないが《黒き皿》がさらにその巨体を膨張させたようだった。ぐぐ、ぐぐぐ、と張り詰めた周囲の空気を押しのけ、網の力をも跳ねのけてさらに成長しようとしている。
(ダメだ。このままじゃ……!)
インテス様が再び《網》を練り上げはじめ、シディの身体からまた膨大な魔力が飛び出て行く。意識がまたもや遠のきはじめ、シディは必死で気を保とうと力を籠めた。
だが、つらい。体じゅうの細胞が全部悲鳴を上げている。全身の血が逆流し、骨も筋肉もみしみしと軋んでいる。
こちらの気持ちとは裏腹に、身体はまったく言うことを聞かなかった。どんどん足が萎えていき、心臓の音は耳の中で早鐘のように鳴っている。
(ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう……!)
こんなことじゃダメだ。こんなことじゃ!
こんなんじゃ、インテス様たちに御恩返しができるわけがない。こんなに助けていただいて、愛していただいて。もっともっともっとお返ししても、まったく追いつかないぐらいなのに!
シディはもう泣きそうだった。いや、泣いていた。自分の不甲斐なさが申し訳なく、ただただ悔しかった。
せっかく黒狼王にもなれたのに、自分はまだまだ力不足なのだ。「きのう今日、やっと変化できるようになったばかりなのじゃ、無理もないことよ」とセネクス翁ならおっしゃるだろうが、「だからそれでいい」なんてとても言えない。すでにここは実戦で、やり直しなんて効かない土壇場なのだから。
魔力だってまったく足りない。こんな状態では、《皿》を封印なんてまったく無理ではないか……!
と、遂に《網》にビシッと大きなヒビが入った。その周囲が見る間にめりめりと亀裂を広げていく。
(ダメだ……!)
ばくんと開いた亀裂に向かって、さらに凄まじい風が起こる。
周囲を囲んだ魔導士たちの《飛翔体》もなにも仕事をしていないわけではなかった。すでに周りを自分たちで防御魔法をたて並べて取り囲み、世界への影響を最小限にするべく動いてくれているのだ。そちらの采配はマルガリテ女史が引き受けてくれている。ここまでは一分の隙もない布陣だった。
が、亀裂から生じた強風はそんな彼らを襲った。
《飛翔体》のいくつかが不安定にぐらぐらと揺れたかと思うと、急に体勢を崩して《皿》に吸い込まれそうになりだした。
《あぶない……!》
「シディ!」
思わずそちらへ飛び出そうとしたところを、インテス様に止められた。
「集中を切らしてはいけない。そなたはとにかく集中するんだ」
《でもっ……》
「そなたの仕事は、いまこの《皿》を封印することだ。かれらのことは、師匠やラシェルタ、ティガリエたちに任せよう」
《ううっ》
でも、どうしたって魔力が足りないのだ。
シディにはわかっている。もう自分の魔力は枯渇しかかっている。これ以上を放出すれば、もう黒狼王としての姿を維持することも難しくなるだろうことも。
(どうすればいいんだ。どうすれば……!?)
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