白と黒のメフィスト

るなかふぇ

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第十五章

7 インテス様の夢(5)

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「ぷっ……あは、あっははははは!」

 なんて不敬な。
 皇族の皇子殿下のことで、そのかたの目の前でバカ笑いするなんて!
 この場に折り目正しいクソ真面目な貴族の礼儀を教える教師でもいたら、きっとただでは済まない。恐ろしい大目玉を食らうに違いなかった。

「あっ、ひいいっ……ふはっはは、あははははは!」

 でも、わかっているのに止められない。
 シディは「ごめんなさい、ごめんなさい」とあえぐようにくり返しながらも大笑いしつづけた。腹を抱え、涙を流し、床をバンバン叩いて転げまわりながら。きっとこのバカ笑い、いつものように外にいるティガリエにも丸聞こえだろう。

「……あきれただろう? シディ」
「はあ、はあ、はあ……っい、いえっ!」

 もはや呼吸困難になりながらも、どうにかこうにか床から起きあがる。それでも体じゅうぷるぷる震えてしまって、ぶはっとまた吹きだしてしまった。もう、ひいひい言いながら堪えるのだが、また涙があふれてしまう。
 インテス様はますます情けない顔になった。

「そうだよなあ。そうなるよなあ? そうだと思ってたんだ。わかっていたんだ……。だからずっとずっと言うのを躊躇ためらっていた」
「インテス様……」
「あああっ、恥ずかしい。こんな気持ちになるのは生まれて初めてだ」

 首筋まで真っ赤になってしゅんとしてしまったインテス様がどうにもこうにも可愛い。そんなこと、今までいっぺんだって感じたことがないのに!
 今日のインテス様はどうしてこんなに可愛らしいのだろう。
 愛おしくてたまらなくなる。
 こんなこと、平民よりも下層の民であるシディが皇族のこのかたに持っていいような感情ではないのに。

「こ、子どもみたいだよな? でも……夢だったんだよ。大きなもふもふの生き物に包まれて眠るのが。私の、子どもの頃のな」
「インテス様……」
「そなたの毛並み! ふっさふさのしっぽに耳、それに体の大きさ! どれもこれも素晴らしい。ほんとうに理想にぴったりだ。……でも、無理は言えないよな。いいんだよ、無理はさせたくないのだから」
「インテス様っ!」

 シディはついにしゃきんと背筋をのばした。
 今度こそ、笑いは腹の底にしっかりと収める。
 だってこれは、この方が幼少のころからずっとずっと夢見ていたことなのだ。
 そして今の自分にはそれを叶えて差し上げる力がある。

(今まで、ずっとこの方のお世話になってばかりいた。ちっとも役に立たないのに、あんな場所から救い出してくださって……安心できる住処すみかをくださり、教育をくださり、その上こんなにも愛してくださって)

 その御恩をお返しすることなんて、きっとできない。絶対に一生かかったって無理。いただいた恩が多すぎるから。
 だったらせめて、これぐらいのことは叶えてあげたいではないか。

「いいですよっ」
「え?」
 インテス様がぽかんとした顔でシディを見た。
「いいですよ! もちろんですよ! それより、なんでもっと早くおっしゃってくださらなかったんです? こんなことぐらい、いつだってしたのに!」
「シ、シディ? なにを言って──」
「どこで変身すればいいですか? 今ここで? ちょっとお部屋が小さいかも知れませんけど、いいですか?」
「シ、シディ。本当に?」

 凹んでいたインテス様のお顔が次第しだいに輝きはじめる。

「だからっ。『もちろんです』って申し上げてるじゃありませんか! オレがインテス様の望みを叶えないわけないでしょう?」
「シディ!」
 
 むぎゅっと力いっぱい抱きしめられて、また呼吸困難になった。

「ふぐっ……ちょ、ちょっと離れていてください。そのあたりにいてください。そう、そのへんです。そこで動かないでください。いいですね?」

 そうでないと、大きくなった体と壁でインテス様をぺしゃんこにしてしまいかねない。あの黒狼王の姿は、小柄なシディから考えると相当大きなものだからだ。
 インテス様が期待に目を輝かせつつ部屋の隅に避難したのを見届けてから、シディはいつものように精神集中をはじめた。

(大丈夫)

 今では自在に変化へんげすることができるようになっている。これもセネクス様の教えのおかげだ。
 集中しはじめるとまもなく、いつもの「あの感覚」が体を支配しはじめた。全身に魔力がみなぎり、燃えるように熱くなる。
 次に目を開けたときには、シディはあの大きな虹色に輝く狼王の姿になっていた。
 インテス様が目を見開いてこちらを凝視している。

「シ、シディ……」
《さ、インテス様。どうぞ》
「あ、うん……」

 インテス様はおそるおそるやってくると、巨大な狼になったシディの首のあたりにぎゅっとしがみついた。長い毛皮の中に顔がうもれてしまう。そのままぐりぐりと頭をこすりつけている。

「うう……。最高だ。これだよ、これ! もふもふうっ……!」
《ふふっ》

 シディはインテス様の体を包み込むように体を丸くし、しっぽで優しく覆うようにして座りこんだ。

「ああ……本当に最高だ」

 インテス様が幸せそうだ。
 この人が幸せだと、不思議にシディまで幸せな気持ちになる。

《光っていると眠りにくいですか? 少し魔力をしぼってみましょうか》
「ん? そんなこともできるのかい」
《はい、セネクス師匠が教えてくださるので。このごろ、少しずつうまくなってきてるんですよ》
「そうか。それは素晴らしい。ではお願いしようかな?」
《はい》

 静かに呼吸し、気持ちを静める。でも、黒狼王としての姿を解いてしまうわけにはいかないから、これにはちょっとした工夫が必要だ。あまりにも緊張を解いてしまいすぎないように気を付ける。
 すると、次第にシディの身体の輝きは抑えられ、やがて真っ黒く巨大な狼の姿に変化しはじめた。

《これなら眠りやすいでしょうか?》
「うん。ちょうどいいよ。最高だ。なによりの贈り物だよ、シディ。……本当にありがとう」

 ちゅ、と頬のあたりに口づけされてひどくくすぐったくなる。
 インテス様はシディの身体にしっかりくるまって丸くなられた。少年みたいな嬉しそうなお顔だった。

 幸せな、幸せな夜。

 しかしその安らかな眠りも幸せな気持ちも、翌朝いきなりたたき起こされて、呆気なく吹き飛ぶことになったのだ。
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