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第十四章 審議
10 ヴルペスの家族
しおりを挟む場はしんと静まりかえった。
シディもまた固唾を飲んで、キツネ男の証言に全神経を集中した。
が、予想通りというかヴルペスはなかなかものを言わなかった。無理もない話だ。すぐそばで、当の皇太子が凄まじい目で自分を睨みつけて座っているのだから。自分が同じ立場だったとしても、そうそう話なんてできないに違いない。そう思うと、シディ自身も身がすくむような気がした。
実際に手を下した人としてここにいるのだから、無罪になることだけはないだろう。しかし、最も罪深いのは命令者だ。それは当然だ。ヴルペスが首魁でないことは明らかだが、それをここで言わなかったらこの人だけが罰されることになる。しかも相当な罰、恐らくは極刑だろう。なにしろ皇帝を弑逆しようとしたのだから。
かといってここで皇太子を断罪して軽い罪で済んだとして、その後の身の安全は確保されるかどうかわかったものではない。いずれにしてもこの人の命は風前の灯ということだ。
(どうするんだろう……?)
シディの心配を受けたかのように、「その前にちょっといいかな」とインテス様が手をあげた。「発言を許していただけるか? 審議官どの」
三名の審議官はちょっと顔を寄せ小声でぼそぼそやったが、やがてガマガエルの審議官が重々しい声で言った。
「結構です、どうぞ」
「済まないな。……ヴルペス殿に事前に申し伝えておこう」
自分の名が出ても、キツネの男は顔を上げようとしなかった。インテス様は構わずつづける。
「刑の軽重についてはいっさいを審議官殿にお任せするが。審議の後、もしも命の伸びる刑で済んだ場合には、その後のそなたと家族の命、身の安全は保証しよう」
「家族……?」
ヴルペスの大きな橙色の耳がぴくんと動いた。
褐色の瞳がおずおずと上がり、疑い深そうな光をたたえてじっとインテス様を凝視してくる。
「わたくしの家族がなんだとおっしゃいましたか、殿下」
「みな無事だ。すでにこちらで保護してある」
「な、なんですと──」
「こちらを見よ」
殿下の言葉に呼応して、セネクス翁が手元に置いていた魔力の玉の上でまた手をふった。先ほどとはまた違った映像が上方に映し出される。
キツネ顔をした中年の女や青年、少女など十名ほどが、どこかの居間に身を寄せ合って座っていた。
ヴルペスがカッと目を見開いた。思わず映像ににじり寄ろうとする。が、足元の魔法陣の外へ出ることは叶わなかった。
「お、お前たちっ……!」
《あなた……》
女性は恐らく、この男の妻なのだろう。周囲にいるのはどうやら息子や娘たちらしい。中には小さな赤子もいる。あれはもしかしたら孫なのかな、と見当をつけた。
「大丈夫なのか? 無事なのか、お前たち」
《はい。みな無事にございますわ。あなたが身柄を拘束される少し前に、使用人たちともどもインテグリータス殿下に保護していただきました》
「な……なんと」
《たのもしい武官の皆さま、魔導士の皆様が護衛についてくださっていますし、生活面で困ることのないよう、本当に細やかによくご配慮いただいております。これは本当よ。どうかご心配なさらないでね》
「おまえ……」
驚愕にしばらくは言葉も出ず、ヴルペスは映像を必死に確認し、家族らとやっと言葉を交わした。奥方はどっしりと落ち着いた人のようで、周囲の家族たちの表情もごく自然で明るい。とても嘘をいったり何かに怯えているとは見えなかった。なにより子どもたちの表情が屈託ない。
それらをじっと見ているうちに、ヴルペスのの硬かった雰囲気が次第しだいにほどけていくのがわかった。シディの鼻には明らかに、ヴルペスの頑なだった匂いが変化したのが感じられたのだ。
「もちろん、余計なことだろうとは思ったのだがな。私も迷ったのだ。しかし状況が状況でもあるし、家族らに危険が迫っているとの情報もあった。刺客と思しき不審な影が自宅周辺に現れたと」
「な、なんですと」
(……!)
それは一瞬のことだった。だがヴルペスは明らかに、素早く皇太子のほうを盗み見た。それは場にいる全員に明らかだっただろう。
ひとり皇太子だけはふてぶてしい表情のまま素知らぬ顔をしていたけれど。
「まあ、それで勝手ながら、先に保護させていただいたのだ。お子のひとりは体調を崩されていたようだったので、こちらで医者も呼んでおいた」
「で、殿下……」
ヴルペスの耳とふさふさしたしっぽがしおっとへたれる。先ほどまで強張っていた、毛皮に覆われた顔の筋肉がゆっくりとゆるんでいく。その瞳はうっすらと潤んですらいるようだった。
「じ、自分のような者のために……斯様なことまで」
「いや、気にするな。当然のことだ」
インテス様は軽く微笑んで片手をふった。
「だが、そなたにこれを脅迫だと取られるのは本意ではない。迫りくる危難から守り、みなの安全を確保したまでのことであって、彼らを害する意図はいっさいないからな。ご家族が望み、また必要とあらばいつでも解放できる。また、釈放されたのちにそなたとともにどこかへ所替えするのもよいだろう。どこか安全な地を探して移り住むとよい」
「…………」
すなわちそれは「皇太子の手から逃れて安全に暮らせ」というインテス様のお心だった。
シディは何も知らなかった自分を恥じた。
インテス様もセネクス様も、ただ敵方の人物だから憎い、だったらその後どうなってもよいとか、家族たちのこともどうでもいいとか、そういう風にはお考えにならないのだ。
(すごいな……)
自分はこの方々から見習うべきことがまだまだたくさんあるのだ。あらためてそう思った。
「ということで。私の話はこれだけだ。審議官殿、お時間を取らせて申し訳なかった。どうぞ、審議を続行してくれたまえ」
「承知いたしました」
審議官三名が深々とインテス様に頭をさげた。
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