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第十三章 雌伏
14 心の扉
しおりを挟むしかし。
出番は思っていたよりも早くやってきた。
《跳躍》の魔法陣を使って、気を失ったキツネの老人ヴルペスとともに隠れ家にもどろうとしたのだったが、魔法が発動すると同時に激しい衝撃が襲ってきたのだ。足もとで輝いていた魔法陣がゆらりと崩れ、元通りに足裏が床につく。どうやらだれかに邪魔をされているらしい。
「おやおや。そんなところにおったのかえ」
セネクス翁がそう言ったと思ったら、部屋の隅から急にいくつかの人影が溶け出るようにして現れた。
「止まれ! みんな動くな」
独特の長い衣やフードつきのマント。暗いうえにフードで隠されているので顔は見えないが、どうやら魔導士であるらしい。魔塔の魔導士でない以上、これらは神殿の者だろう。どうやらここで罠を張っていたらしい。
「大人しくしていれば手荒な真似はせぬ」
ひとりがそう言うなり、手にした短い魔法の杖をふると、何もない空間からしゅるしゅるっと細長いものが現れた。それがキツネの老人ごとみんなをぐるぐる巻きにする。どす黒い蔓は、いばらを模したものだった。あちこち鋭い棘が飛び出ていて、このままきつく締められれば体に傷がつきそうだ。
が、セネクス翁は涼しい顔をしていた。
「さすがは皇太子宮のお抱え魔導士といったところじゃの。昔よりはだいぶ使える魔法になっておるではないか」
魔法のいばらに縛られていながらも、むしろ嬉しそうににこにこ笑っておられる。大した肝の太さだ。
こちらも事前に強力な防護魔法がかけられているため、ちょっとやそっとのことでは破られない。
対する敵の魔導士たちは明らかに激昂した様子だった。
「だまれ、イタチのおいぼれめが!」
「邪教に染まった黒魔導のやつがれめ!」
「おとなしく縄につき、裁きを受けるがいいわ!」
口々に罵りの言葉を浴びせ、いばらをさらに締め上げようとするが、どうもうまくいっていない。
セネクス翁は、なぜかちらりとシディを見た。
(……ん?)
「シディや。ちょうどよい獲物があちらから飛び込んできてくれたようじゃ。ついでにこやつらも連れて戻るというのはどうじゃろうの?」
「ええっ?」
「よき考えかと思います」
静かな声で答えたのはインテス様だった。
「これで、皇太子と神殿のつながりが証明されることになりましょうし」
「左様。まさに『飛んで火にいるなんとやら』にございまするな」
と言ったのはラシェルタだ。
「うむ」
翁は満足げにうなずいた。
「ではシディ。やっておしまいなされ」
「……ええっ?」
いきなり何を言われたのかわからない。ぽかんとしていたら、翁は「ほっほっほ」と楽しげに笑った。
「そなたはもう、なにをどうすればよいかわかっておるはず。前は殿下を《闇》に奪われたことで激昂したことが鍵となったが……そろそろ己が意思によって本来の姿と力を取り戻せるようにならねばの。これはよい機会ではないか」
「へ? いえあの、でも──」
つまりいま、自分にあの大きな古の狼の姿になれとおっしゃっているのだろうか? いったいどうやって?
「そなたのそばにはすでに、五柱の精霊さまがたも揃っておられる。そばには《白の精霊》を戴くインテグリータス殿下もおられる。必要な助力はいつでも得られよう。あとはただ、そなたがそなたの心を解放するのみ」
「心を……解放ですか?」
「そうじゃ」
セネクス様はゆっくりとうなずいた。
「今までそなたは、どこかで『こんな自分なんて』と思ってはおらなんだか? それも無理はないことじゃ。長年あのような場所であのような目に遭わされてきておったのじゃからの。しかしそれも、もう過去のこと」
「…………」
「いまのそなたにはもう、なにひとつ欠けたるところはないのじゃ。しっかりと閉じている心の扉を開いてみよ。インテグリータス殿下と、精霊様がたを信頼し、その心をしかと感じてみよ」
「セネクス師匠……」
「呪われた仔」だと言われ、「ケシズミ野郎」などと罵られ。ただ客の欲望のままに体を好き放題にされる以外に、なんの存在意義もなかった場末の男娼。いつも腹を減らしていて、客にすらなかなか選ばれず、あぶれた日には必ず親方の鞭が待っていた。
あの時の自分に、己に価値があるなんて考える余裕があったろうか? いや、あるはずがない。
ただただ毎日を生きていくだけで精一杯だった。不思議と死にたいとは思わなかったけれど、だからといって生きたいと思っていたわけでもない。あの苦しみが少しでも遠ざかるなら、なんでもしようと思っていた。ただ腹が減っているから、それを満たすために仕事をしていた。それだけだった。
だけどそこへ、インテグリータス殿下がやってきた。
殿下は自分をあの泥沼のような生き方から救い出してくださり、こんな自分を「私の半身」だと言ってくださった。温かい寝床を与え、美味しい食事をさせてくださり、なにより優しい手と笑顔と愛情で、そっとこの体を、心を包み込んでくださった──。
ほかの人たちもそうだ。
ティガリエも、セネクス様も、ラシェルタも。それにレオも。ほかの兵士や魔塔の魔導士のみんなも。
みんな今のシディを「《救国の半身》よ」「古の黒狼王よ」と言って尊崇すらしてくれる。……それがこそばゆいけれど、決していやな気持ちにはならない。むしろ、そうやって大事にしてくれるみんなのためなら、自分の力を使ってなんでもやってあげたいと思っている。本当だ。
(そして誰より……インテス様のために)
ふと見上げた先に、いつもの優しいインテス様の瞳があって、どくんと胸が跳ねた。
(そうだ。……この方のために)
胸にかかった首飾りをぎゅっと握りしめ、そう思った瞬間だった。
「あの感覚」が、再びシディの全身を駆け巡り、凄まじい力が漲りはじめた。
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