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第十三章 雌伏
6 侵入
しおりを挟む翌日の深夜。
果たして皇帝の寝所への侵入作戦が開始された。
「私は恐らく現場では役に立たぬから」という理由で、インテス様はおもに隠れ家で全体の指揮を執ることになっている。
皇帝は皇宮の最も奥まった場所である後宮におり、その周囲は当然ながら厳重な警備が敷かれている。だがこの世で最高峰の《隠遁》を操るイタチの老人セネクス翁から見れば、そんな「警備」はあって無きがごとしだった。
魔法を伝授してもらうようになってシディもはじめて知ったことだが、術者の位によって魔法の程度にはかなりの幅がある。《隠遁》で言えば姿を隠していられる時間や人数、臭いや気配まですべて隠せるか否か……などなど、相当な差が出るのだ。
シディがそうであるように、警備の者の中には非常に鼻が利く者が多い。それだけでなく勘もよい者が多いものだ。単純に姿が見えないようにするだけでは、彼らの警備をかいくぐることはほぼ不可能なのである。
だが我がセネクス翁の《隠遁》はまことに素晴らしかった。今のシディの五感をもってしても、かの方がつくりだす《隠遁》を見破るのは困難だったのだ。
というわけで今、シディはセネクス翁、ティガリエ、ラシェルタとともに足音を忍ばせながら皇宮の奥まった廊下を壁にそって歩いている。残りの別動隊はみな、皇宮の周囲や中庭などで《隠遁》を使ったまま待機している。それぞれ、四、五名ほどの集団だ。
あまり大人数がいっぺんに《隠遁》を使って動くことには危険が多い。姿は見えずとも、つい周囲の物を落としてしまったり、そこいらを歩いている兵や下働きの者に体が触れてしまったりしやすいからだ。《隠遁》で動くには少人数がいちばんよいのである。
セネクス翁は四人の先頭を歩きながら、あちこちでひょいひょいと例の《目》や《耳》を回収しておられた。これも《隠遁》の魔法がかけられた魔石の類いであり、ふわふわと空中を浮遊することができる。こうして皇宮内のさまざまな出来事や噂話、密談などを集め、記録してきたのだ。セネクス様の衣の懐は、たくさんの魔石でごろごろしている。
ちなみに、一緒に《隠遁》をかけられている者同士にはお互いの姿が見えるようになっているのだ。
回廊や中庭を歩き回っている衛兵や下女などをやり過ごしつつ、一行はそろそろと宮の奥へと進んでいった。すでに深夜にさしかかる頃合いだが、廊下のあちこちで灯火が燃えており、あちこち影は濃いものの暗すぎるということはない。庶民の家では到底こんな贅沢はできないが、さすがは皇帝の住まいというべきか。
やがてセネクス翁がぴたりと止まった。
《うむ。あの角を曲がったところが寝所じゃ》
翁の声は直接頭のなかに響いてくる。《念話》の魔法だ。耳のいい衛兵なら、どんなに小さな囁き声も聞かれてしまう恐れがあるからだ。
《あと少しで、夜番の者が交代のために出て参る。それと入れ替わりで入り込むのじゃ》
《はい》
《終わったら今のように頭で念ずるだけでよい。そなたが出てくる一瞬だけ、衛兵の注意を逸らすゆえの》
《はい。よろしくお願いします》
《よし。……今じゃ》
セネクス様の言葉とほぼ同時に、寝所とおぼしき部屋の垂れ幕が音もなく開いたのが見えた。皇帝の世話をする女官が数名、盥や衣類などを持ってしずしずと出てくる。入れ替わるようにして、また別の女官が入室しようとしていた。
シディは四つん這いで音もなく走り、衛兵や出て来た女官の間をすりぬけると、入室せんとしている女官らのすぐ後ろにぴたりとついた。そのままそろそろと中へ入っていく。
(うっ……)
入ったとたん、不快な臭気が鼻をついた。
ごが、ぐごがああ、と奇妙な音がすると思ったら、それはどうやら寝所の中にいる人物のいびきであるようだった。
(皇帝……。いるのか)
《隠遁》で身を隠したまま、シディは天蓋のさがった寝台の脇にするりと駆け寄って隅にうずくまった。
女官らはもの慣れた様子で寝台の脇に近づき、皇帝の身体を拭いたり衣服を着替えさせたりという世話にとりかかっている。
(それにしても……ひどいニオイ。これ、なんの臭いなんだろう)
なにかが腐ったような、つんと来る臭いだ。それが恐らく薬のものだろうと思われる草や木の根みたいな匂いとごたまぜになって、なんともいえない臭いを作り出している。鼻の利く獣人なら、きっと耐えられない仕事だろう。
自分も鼻をつまみたくなる衝動をどうにかこうにか抑えつつ、シディはそこらじゅうにあるものの匂いを丁寧に嗅ぎ、憶えていった。
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