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第十三章 雌伏
5 守護神
しおりを挟むだが、ことはそう簡単ではなかった。
いくら《アクア》様が言葉を直してくれていたとしても、どうしても直しようのない言葉というのがあるらしいのだ。それはもとの言語のままでしか記録されておらず、そこはインテス様とセネクス翁とシディが頭をつき合わせて「ああでもない」「こうでもない」と推定していかなくてはならなかった。
だが、最終的にはこういうことであったらしい。
まだこの世界に《救国の半身》たちが生まれてくる、ずっとずっと昔。
この世界には多くの人間たちがいた。それも、純粋な人間ばかりで構成された人間たちの世界だったというのだ。
そのころ、世界に《闇》が出現した。最初は小さな《闇》だった。
《闇》少しずつこの世界を食らい、無の世界へと吸収していった。吸収すればするほど《闇》は勢力を拡大し、出現する《闇の皿》も巨大なものへと変貌していった。
人間たちがその《闇》の襲撃に気がついたとき、この世界の千分の一ほどはすでに《無》の世界に取り込まれてしまっていた。《闇》は人間があまり住んでいない場所から狙いはじめていたため、発見が遅れてしまったのだ。
もちろん人間は《闇》に対抗した。だがみるみるうちに人口は減っていったらしい。世界が食われて行くにつれて、人間にとって環境はどんどん厳しいものに変わっていった。
科学者たち──当時、人々はかれらをそう呼んだらしい──はそこで、いわゆる禁忌に手を染めた。人間の力だけでは生き残れないような厳しい環境にも対応できるよう、様々な動物の形質を人間に植えつけたのだ。
海に生きるもの、山に生きるもの。草原を駆けるもの、空を飛ぶもの。地中に生きるもの、砂漠に棲むもの。人間にとって厳しい環境にも生きられる生き物たちの力を借りれば、人間は生き延びられるかもしれない。少なくとも、そのチャンスを見いだすことができるかもしれない。ほんのわずかの命綱でも、つかむことができるのかも──。
もちろん、それは禁忌だ。
科学者たちがずっと長い間、自分たちを制して手を出さなかった禁域だった。
……それが、いま生きている人々祖先になった。
それと同時に生まれてきた者がある。
それもまた、科学者たちの研究の賜物だった……と言いたいところだったが、これは少し違ったらしい。
どうにかしてあの《闇》の侵攻を食い止めるため、特別な力をもつ存在を求めたのは事実だ。だが科学者たちにそれを作ることはできなかった。
だから《半身》が生まれてきたのは、なんらかの「突然変異」だったらしい。
「人は、生きようと足掻いたのじゃな。全身全霊をもって」
すべての記録を見終わったとき、セネクス翁は静かな声でそうおっしゃった。
「足掻いて、足掻いて、足掻いた。……その結果として、偶然とはいえ生まれてきたのがそなたら《救国の半身》。つまりはそういうことなのじゃろ」
「…………」
シディとインテス様は声もなく、互いに目を見合わせた。
「いや。偶然とも言えぬのかもしれぬのう」
「と、おっしゃいますと」
「当時の人間は、全体で『生きよう』と足掻いておった。生きものとして、なにをやってもいいからと考えるほど、ただがむしゃらに生き延びようとしておったのじゃ。それに天が応えた……と言うのが正しくはないならば。人間ぜんぶで出したひとつの答えじゃった、と言えるのかもしれぬのう」
「ひとつの……こたえ」
「そうじゃ。人間全体にとっての、ひとつの救いの形じゃったのじゃ。そなたら《救国の半身》は」
(救いの……かたち)
だからこそ与えられている、《闇》を払いのけ、封印する強大な力。
それが自分たち《救国の半身》──。
ぞくり、と背筋が寒くなった。
気がつけば、いつのまにかインテス様としっかりと手を握り合わせている。
「とりわけ、その中でもそなた……オブシディアンの祖先である黒狼王の系譜に連なるものは大いなる力を持つものたちだったようじゃの」
「なるほど。《闇》どもが幼いそなたを狙うはずよ」
掠れた声でインテスさまがおっしゃった。
「インテス様……」
「かつて、幼いそなたを抱えたそなたの母と、父とは《闇》どもに襲われて命を落とした。それは《闇》にとってそなたこそが、大いなる脅威であることの証左であろう」
シディは絶句したままインテス様を見上げた。
まさか。そんなこと、信じられない。
「《半身》とは言うが、ただの脆弱な人間にすぎぬ私などはほんの添え物よ。あれらが何より恐れているのはそなたを措いてほかにない。そなたこそが、この世から《闇》を打ち払う、人間にとっての強力な力。守護神そのものなのだ」
(守護神……だって?)
もはや言葉にはならなかった。
シディはただ呆然と、インテス様とセネクス翁とをかわるがわる見つめるほか、なにもできずに黙り込んでいた。
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