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第十三章 雌伏
3 抗弁
しおりを挟むなにか役に立てないか? なにか──
そこでハッと思い至った。
(そうだ……!)
もしもたったひとつ、役に立つことがあるとしたら。それは自分のこの嗅覚ではないだろうか。これはなかなかいい考えに思えた。
しかし。
「シディがここから出て活動するなんて! とんでもない!」
翌朝その提案をしたときのインテス様の態度は恐ろしく強硬なものだった。もちろん想定内のことだったけれど、あまりの激しさにシディもちょっと息を飲んでしまったほどだ。
しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。
「インテス様。オレだってみなさんのお役に立ちたいんです。みなさんがものすごく頑張ってるのに苦戦されてることは知ってますし」
「しかし」
「今のオレは、前よりはだいぶ嗅覚も上がっていますし。きっとお役に立てると──」
「だめだ! いったい何のためにこの隠れ家にそなたを隠していると思ってるんだ」
インテス様は珍しく眉間に皺をよせて頭を抱え、ずっと室内をうろうろと歩き回っておられる。
「それならインテス様だって、隠れていらっしゃらないとだめじゃないですか。危険なのは同じなんだから!」
「……そ、それはそうだがっ」
隠れ家の居間。場にはほかにラシェルタとティガリエ、それにインテス様づきの魔導士と兵らがいる。今回は特別にシディからの提案があると伝えて、忙しい中を集まってもらったのだ。
「あの大きな狼に変身してから、オレの魔力も五感もすごく能力があがったみたいなんです。今のオレの鼻や耳なら、ほんの少しの痕跡でもきっと追えます。薬の出どころや、使った人のこともわかるかもしれません。皇帝陛下のご寝所に連れていっていただくか、衣かなにかを嗅がせていただくだけでも──」
「ダメだ。危険すぎる!」
インテス様が首と手を激しくふった。
「インテス様っ!」
遂にシディも立ち上がった。と同時に、皆が一斉にシディを見つめた。シディはそのままつかつかとインテス様に歩みよった。
「インテス様がオレのこと、心配してくださってるのはよーくわかってます。それがどうしてなのかも」
「…………」
「でもオレ、イヤなんです。ここでただ守られて、みんなが苦労してるのを見てるだけなんてっ……」
「シディ──」
インテス様の瞳には、目下の者から反抗された者によくあるような憤慨や怒りの感情はいっさいなかった。むしろある種の驚きとともに、悲しみがあるように見えた。
ふっとのばされた手が自分の頬に当てられたのを感じても、シディはインテス様の目から視線を逸らさなかった。
「お願いです、インテス様。オレにも手伝わせてください。自分の身は自分で守ります。みなさんにご迷惑はかけませんから」
「シディ……」
ふ、と苦笑しながら頬を撫でられた。
「そなた……変わったのだな」
「え? ……そうでしょうか」
「そうだとも」
目をぱちくりさせて思わず周囲を見たら、ティガリエとラシェルタが「まことに」と言わんばかりに目配せをし合ったりうなずいたりしている。
「以前のそなただったら、そもそもこんな風に進言してくること自体がなかった。ましてやここまでまっすぐに私に意見して、拒否されているにも係わらずさらに食ってかかってくることなど、絶対になかったじゃないか」
「あっ。……す、すみませんっ!」
慌てて飛びさがろうとするのを、がしっと肩をつかまれて止められた。
「ああ、そうじゃないんだ。褒めてるんだよ、私は」
「えっ」
ぽすぽす、と頭を軽く叩かれる。
「成長したのだな、シディ。……嬉しいよ」
「い、インテス様……」
本当だろうか? これが成長?
そんなに自分は変わってしまったというのだろうか。よくわからない。
「何度も言うが、私とそなたは対等な関係なんだ。どちらかが偉くてどちらかがそうでないということはない。それが《半身》なのだから。そうだろう?」
「…………」
「だから、今のままの態度でいてくれ。それでこそ私の《半身》というものなのだから」
「インテス様……」
感動しかけたけれど、ハタと気づく。これは、話を逸らされてしまっているのでは?
「あのっ。それで、オレがご提案していることは?」
「あー。うーん。そうなんだがなあ──」
インテス様が片手で口許を覆ったまま難しい顔になってしまう。
と、そのときだった。
《そのお話。この爺いにも一枚かませて頂いてもよろしゅうございますかのう》
「セネクスさまっ!」
そうだった。
優しい老人の声が、机の上に置いてあった通信用の魔石──石とはいってもきちんと磨かれた球体のものだが──から、ゆるやかに流れだしていたのだ。
《殿下がそこまでご心配とあらば。この爺いめがともに参り、隠遁を使うと致しましょうぞ》
「師匠。まことですか」
《いかにも。ついでにそろそろ例の《目》と《耳》を取り戻しておきたく存じましてな》
「おお。それでは?」
インテス様の問いに、はい、と老人の声が満足げに答えた。
《こちらの証拠はすでに固まりましてございます。あとは下手人、証人を確保するのみ》
「そうか! でかした」
話はそれで決まったも同然だった。
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