白と黒のメフィスト

るなかふぇ

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第十二章 過去の世界

8 海底の扉

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「ともかく、ついてゆこう。《アクア》様たちが我らに見せたいものを見るほかはない」
「はい」

 そのまま不気味な石の──しかも死んだ林の──中をくぐり抜ける、心の冷える時間がかなり続いた。
 心ばかりではなく、手先や足先が妙に冷たくなっている。シディはいつのまにかインテス様にしっかりだきつき、あちらからもしっかりだきしめられた状態になっていた。
 その胸から落ちついた心音が聞こえてきて、やっと気持ちが静まってくる。ティガリエもラシェルタも、こんな状況でもふたりを守るようにしてすぐそばに立っていてくれる。なにも不安になる必要はない。かれらがいれば、自分はなにも不安に思うことはないのだ。
 いや、いざとなれば自分だって、またあの巨大な狼になって彼らを守らねばならない。そんな事態になることは望まないけれど、もちろんそうするつもりだった。なにがあろうと。ただ今のところ、「なろう」と思ってあの状態になれたことがないので不安ではあるけれど。
 あの時はインテス様を奪われて、極限の状態に叩き落とされていた。ああいう状況にならなければ自分は変身できないのかもしれない。もしもそうなら、自分はほとんど役立たずだと言ってもいいのではないだろうか……?

 またもや長い長い時間が経ったような感覚があった。だが、その自分の感覚を本当に信じてもいいのかどうかもわからなくなるほど、それは不気味で不安を誘われる時間だった。

《ヤア。ヤットツイタヨ》

 ようやく《アクア》様たちの声が耳に届いて、シディは詰めていた息をほうっと吐きだした。インテス様やみんなのお陰で、だいぶ気持ちは落ち着いていた。

「……そうなんですか?」
《ウン、アソコ》
《アソコマデキテネ》

 言われた通り、魔導士たちが《クジラ》を操って《アクア》様たちについていく。行く手にあるのはまた、特に大きな建物の残骸らしいものだった。あちこちに大穴があき、それがまるで怪物の口みたいに見える。内側はその怪物の真っ黒な腹というわけだろう。やっぱりぞっとしないが、ここまで来て尻込みするわけにもいかなかった。
 《クジラ》はいくつもの穴を通り抜けていく。どれも大穴とはいえ、それでも次第に《クジラ》がそのままの図体でいては通れないようになってきた。魔導士たちは何事かを相談し、声を合わせて呪文を唱え、《クジラ》の体を少しずつ縮小させ始めた。
 巨大な親クジラだった乗りものは少しずつ小さくなっていき、やがてこの人数が乗っていられるぎりぎりの状態まで縮小していった。その頃には周囲が非常に狭くなっていたのである。

 ここまで来ると、これが明らかに人工物であることがはっきりし始めた。そこは複雑な彫刻や規則的なひだに覆われた柱が林立する長い長い廊下であるようだった。天井は高くて果てが見えないほどなのに、幅が狭い。小さなクジラは前を行く《アクア》たちにひっぱられるようにして、そこを音もなく進んでいく。
 このあたりではもう、生物はみな小さくて海底を這うようなものばかりになっている。光の届かぬ世界に住まうもの特有の、目をもたない生き物ばかりだ。だがかれら自身はときおり、背筋やひれを虹色に発光させていた。それがまるで星のようで、夢のような美しさだった。

 やがて目の前に大きな扉が現れた。
 ……たぶん、扉だろうと思った。
 なにしろ端がどこにあるのかわからないほど細長い扉なのだ。扉の表面にはやっぱり規則的な襞が並んでいて、脇に小さな四角い窓が開いているのが見えた。
 《アクア》たちがその手前で静かに止まる。

《ココカラハ、クロイコト、シロイコダケ》
「えっ。そ、そんな──」

 慌ててみんなにそう伝えたら、皆は息をのんだようだった。

「そのようなこと。承服できませぬ」
 真っ先に言ったのはティガリエだった。
「なにがあろうと自分だけはお供させていただく」
 さもあろう。彼はシディの第一の護衛官として命を懸けてでも守り抜くと誓っている武人なのだ。ラシェルタも同様に、厳しい目をして隣でうなずいている。

「そもそも、我らなしでどうやってこの水中を行くのです? 畏れながらお二方には、まだ《クジラ》の魔法は十分にお操りになれぬかと」
 そう伝えてみたら、《アクア》たちがきらきら光った。笑ったらしい。

《ダイジョウブ》
《ボクラガイルモノ》

(あ。そうか)

 ずっと昔、この《アクア》たちが海の中に自分を隠してくれたということを思い出す。そのときだってきっと、《クジラ》と似たような魔法を使ってシディを守ってくれたはずなのでは?
 そう言ったらインテス様がやや緊張した面持ちながらもうなずいてくださった。

「そうだとも。かれらには悪意はない。《アクア》様たちを信じよう」
「は、はい」
「皆も、それでよいな」
「は……はい」

 渋々みなが頭を垂れる。
 が、ティガリエは頑として受け付けなかった。インテス様が慈しむものを見る目で彼を見やった。

「頼む、ティガリエ。どうか呑み込んでくれぬか。ここから先は恐らく、われら二人だけでなくば通れぬ世界なのだろうと思われる」
「しかし」
「ティガ」
 遂にシディは前に進み出た。
 トラとしての毛皮に覆われたごつい武人の手を握る。

「ごめんなさい、ティガ。ありがとう。ティガの気持ちはよくわかってる。どんなにオレのことをしっかり守ろうと頑張ってくれているかも。本当にいつもありがとう。……でも、ここからはインテス様とふたりで行くよ」
「オブシディアン様──」
「そうでないと、きっと《アクア》様たちがへそを曲げてしまう。大丈夫。きっと無事に戻るから。ここで待っていて欲しいんだ。……いいよね? ティガ」
「…………」

 ティガリエはそれでもしばし逡巡する様子だったが、しまいにはとうとう大きなトラの頭を下げた。

「了解いたしました、オブシディアン様。どうか必ず、わが元へお戻りくださいませ」
「うん。約束するよ」
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