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第十二章 過去の世界
3 クジラになって
しおりを挟む午前のうちに準備が整えられ、インテス様とシディはその日のうちに魔塔を離れることになった。
ティガリエ、ラシェルタはいつも通りに護衛についてくれる。そのほかインテス様のための護衛と、手練れの魔導士も数名。
あまり目立った行動はできないため、シディたちは内々のうちにセネクス翁やレオ、マルガリテ女史に別れを告げ、ひっそりと魔塔の地下へ案内された。
(こんなところがあったんだ)
ここへ来て結構な月日が経ったのに、まだまだ知らないことだらけだったらしい。
一同は《隠遁》の魔法で人目を避けつつ、暗い廊下をしばらく行って、小さな隠し扉の中に入った。ちょっと見ただけではそこに扉があるだなんてちっともわからない。だがラシェルタはごく自然な態度で扉を開き──もちろん特別な呪文が必要だ──皆に先をうながした。
「どうかお気をつけを。足もとが少し暗うございますゆえ」
言って皆を中に入れ、扉を閉めて再びなにか呪文を唱えてから、手のひらの上に炎を出現させる。魔法の灯火だ。ほかの魔導士たちも次々に同じように灯火を作りだす。
シディも少しならできるのだが、「あなた様はどうか魔力を温存なさってください」と、やんわりと断られてしまった。
「下へおりるほど滑りやすくなります。どうかお足もとにお気をつけて」
螺旋状になった狭い石段はどこまでも続き、なんだか地の底へおりていくように思われた。真っ暗な階段の先には、夜目の利くほうであるシディにも何も見えない。次第に心細くなってくる。
いつのまにか、シディは前を行くインテス様のマントの端を握っていた。それまでまったく無意識だったので、その手をそっとインテス様に握りこまれたときにはびっくりしてしまった。
「あっ、あっ……す、すみません……!」
思わず発した声が周囲の岩に反響して、さらにびっくりする。慌てて手をひっこめようとしたのに、インテス様は苦笑しながらも手を放してくださらなかった。代わりに唇の前に指を立てる。
「なるべく静かに参ろう。な? シディ」
「あ、はい……」
「こうしておけば怖くはないだろう。ん?」
「ううっ……。は、はい」
もう恥ずかしくて全身から火が出そうだ。
そんなこんなをやりながら、ぐるぐるとどこまで階段をおりたときだっただろうか。ある場所から急に、潮のにおいがきつくなった。遠くにかすかな水音も聞こえはじめる。
(あ……)
急に空間が開けたことは、音の反響具合ですぐにわかった。が、視界はとても暗くて、その空間がどれほどの広さなのかは皆目わからない。足もとに暗く広がるのは海面の一部のようだった。水がぴしゃぴしゃと岩をうつ音がしている。
「では、始めましょう。殿下、オブシディアン様。どうぞこちらへ」
うながされてラシェルタのそばに寄ると、彼とともに他の魔導士たちも一緒に同じ呪文を低く唱えはじめた。
一同をつつむ魔力の壁が出現し、やんわりと全員を包み込むとふわりと足が地面から離れた。そのまま《魔力の包み》が静かに水に沈みはじめて、シディは思わずインテス様にしがみついた。
「みっ、水の中に入るんですか?」
「そうだ。水中を潜航していく。なにも心配は要らないぞ」
インテス様がにっこり笑って抱き寄せてくださる。それだけでずいぶん気持ちは落ち着いたけれど、やはり水中というのは不安になるものなのだ。これは地上に生きる者として本能的なものだから仕方がない。
それはちょうど、空を飛んでいくときの魔法を水中で使うようなものだった。魔力で作られた膜はしっかりと水とこちら側を隔てているし、中には座れるように柔らかな腰かけのような設備まで作ってくれている。
シディはインテス様と並んでそこに腰かけた。
いつもの《跳躍》のときと違って、この魔力の包はちょっと細長いように思われる。両脇に大きなひれのようなものがあり、後方は少し細くなっていて、上下にゆっくりと振られているようだ。まるで生き物のように──
「あ、あのう。これは……もしかして」
「はい。今回はクジラを擬態してみたのです」
「くっ、クジラ……?」
それは海に棲む巨大な魚だと聞いたことがある。まだシディはちゃんとこの目で見たことのない生き物だ。以前、船の中からかれらの歌う声を聞いたことはあるけれど。
「仲間の魔導士たちが《写し身》によってインテス様のお姿をとり、敵の目を攪乱している間に、われらはこれに乗って囲みを逃れまする。もちろん《隠遁》もかけておりますが、万が一、高位の魔導士に見破られた場合でも、ある程度ごまかしがきくはずにございますれば」
ラシェルタがいつものように淡々と説明する。
なるほど、つまりこれは陽動作戦と「クジラ擬態作戦」の合わせ技とでもいうべき作戦であるらしい。
(す、すごい……!)
そんな場合でないことは百も承知だったが、シディはついわくわくと心が浮き立つのを感じていた。
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