白と黒のメフィスト

るなかふぇ

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閑話 月夜のふたり

閑話

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 耳のいい獣人同士の場合、貴人たちにとっては常識であるノックなどはあまり意味をなさない。
 大抵の獣人は相手の気配や足音をかなり遠くにいる時から感じとっているからだ。
 そんなわけで、自分はいつもそいつに対して、部屋の外から無造作に声を掛ける。

「ういーす。起きてんだろ? ちょっと付き合えや」

 片手には厨房で適当にもらってきた麦酒の壺。木をくりぬいて作ったカップも一緒に持っている。
 貴人の前室からうそりとトラ顔を出した相手は、あからさまに憮然とした目をしていた。

「こんな時分に、一体なんのつもりですか」
「だから、ちょっとろうやって。あっちはもう眠ってんだろ?」

 くいと顎で示したのは奥の部屋。この世界を救うといわれる《半身》のお二人が眠る部屋である。

「自分は仕事中ですので」

 言ってトラの男が閉じようとした扉を、有無を言わさず肩でこじ開ける。片足まで突っ込んだところで、トラの男は諦めたようだった。

「なにをなさるのです」
「俺に敬語は要らねえよ。どうせ平民出なんだしな」
「いまは将軍様にございましょう」
「そーだけどよー。勘弁しろって。堅っ苦しいのはきれえなんだよ」

 皇子づきの近衛隊隊長というのは、一応は将軍職と決まっている。レオとしてはひたすら面倒くさいので断ったというのに、この立場になるにあたって、千騎長から万騎長に昇進させられたのだ。あの第五皇子に、半ば無理やりに。
 貴人の護衛をするための前室は、大男が二人座るには非常に狭苦しい場所だ。そこへ無理やりどかりと座り込み、トラの男の衣服をひっつかんで無理やり座らせる。

「皇太子と神殿の魔導士どもは、一旦ひいた。しばらくはやって来ねえだろうっつーのがマルガリテ女史の見立てだ。魔塔の守りは少々のことじゃびくともしねえ。まあいいじゃねえか」
「……そのようなわけには」

 トラ顔の男はどこまでもクソ真面目だ。最初は水が合わないと思ったものだが、最近はこの男のこういう態度が妙に好ましい。
 レオは酒をついだカップを男の手におしつけ、自分もなみなみとついでぐいとあおった。

「まあ、飲れって。ひとりで飲んだってつまんねーのよ。ひと口ぐらい付きあえって」
「…………」
「それともアレか。あんたは下戸か」
「そうではありませぬが」

 男は困った目をして酒のおもてを見つめている。どうあっても口をつけるつもりはなさそうだ。まことに真面目。自分自身に対してひと筋の緩みも許さない男である。
 レオは構わず、ひとりで二杯目、三杯目をあおった。

「……ふう。そうそう。これをよー」

 言って懐からとあるものを出す。
 男の手にぐいと突っ込むと、また変な顔をされた。

「これは?」
「ネコ族に特化した耳栓よ」
「耳栓?」
「そっ」

 それは大きなネコ族の耳にあわせて、ぽわぽわした毛皮に覆われたふたつの耳栓だった。これをつけて寝るとよく眠れるというので、ちまたではちょっとした人気商品になっているものなのだ。以前、傭兵の仕事で付き合いのあった商人から聞いて手に入れておいたのである。
 まだ変な顔をしたままのトラの男に、敢えてわざとらしく肩をすくめて見せた。

「だっておめえ、困ってね? あいつら結構、お盛んなんだろ。夜のほうはよー」
「…………」

 急にがくんと部屋の温度が下がった感じがあった。
 トラの男の目が据わり、殺気を帯びている。

「怒んなって。事実だろ? 俺らの耳じゃあ、耳栓したってイヤでも聞こえんだろ。困るだろ? さすがのあんたでもよー」
「……余計な気遣いにございます」

 言ってぐいと耳栓をこちらの胸に押し付けてくる。さすがは剣士。かなりの力だ。

「っつうか、貴人のアレコレに耳を澄ますのって不敬なんじゃなかったか? それはいいのか。ま、あいつらは別に気にしてねえっつうか、そもそも気づいてもいねえのかもしんねえがよ──」
「……それはそうですが。このようなものを使用していては、肝心の警護が務まりませぬゆえ」
「あっそ」

 そう言うだろうとは思っていた。だからゴリ押しはしない。レオは素直に出したものをひっこめ、もとどおりに懐に戻した。

「大変だぁな~、護衛っつーのも」
「左様なことは」
「言葉遣いとか態度とかも、きっちりしてねーといけねえんだろ? 俺にゃあ到底務まんねえわ」
「左様なことはございますまい」
「ございますっつーのよ」

 くはは、と笑う。少し酔いが回ってきたかもしれない。
 最初は窮屈に感じていたこの男との会話が、このところ不思議と楽しいのだ。
 先日、ともに戦ったときにも思った。こちらは大剣、あちらは長剣使いだが、息もぴったり合っていた。どうやらこいつとは波長そのものが合うようなのだ。
 そして人の好みも合う。
 トラの男は真摯な目を虚空に向けて少し黙った。

「護衛の自分がもしも下卑た真似をすれば、それは主人あるじの評判にかかわりまする」
「あー、うん。そりゃそうだわなー」

 つまりオブシディアンのことを思って、この男はこれからもずっとこの四角四面でクソ真面目な態度を貫いていくのだろう。
 まあ、それもいい。そういう心地よさはあっていい。
 そういう男があのオブシディアンを守り、ひいてはインテグリータスを守ることになるのは喜ばしいことではないか。

「う~うっと……。んじゃ、行くわ」

 ひとつ伸びをしてから立ち上がる。トラの男は引き留めはしなかったが、何となく心残りのありそうな目でこちらを見上げた。

「んじゃまあ、これからもよろしくな。トラのおっさん」
「……あなた様とさほど年は違わぬと思いますが」
「そうだっけか?」

 すっとぼけて顎をこすり、けらけら笑って見せる。

「んじゃ、おやすみ。トラの

 それはそれで何やら不服なのか、トラの男は眉間に皺を寄せたままうなずいた。

「まっ、明日からもよろしく頼まあ。神殿の件じゃ、まだまだひと悶着ありそうだかんな」
「……は。おやすみなさいませ」

 几帳面なお辞儀と返事とともに、静かに扉が閉じられる。

(ったく。面白おもしれぇ)

 灯火と月明かりだけの暗い廊下を戻っていきながら、レオは腹の底から湧きあがってくる笑いを堪えるのにひと苦労した。
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